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ストロー/かさぶたのあと/観測

写真:最近、雲ばかり見てます(2021-1003)。

 秋だ。息をするだけで、詩がかけるんじゃないかと思ってしまう季節がやってきてしまう。おそろしい。お夕飯が南蛮漬けだと言うと、息子が「それって、4番目くらい?」と訊いてくる。あー、それは考えたことなかったわ。

 その息子が、今度はストローを手にやってきた。ストローを吹くと、スースーいう音がしている。なんの遊びかと思ってみていると、「ね、わかった? ママに風の音をきかせてあげようと思ったんだよ。」と言う。
 ストローを吹いて風を起こそうと思ったことになのか、それを私にきかせようと思ったことになのか、すぐにはわかりかねて、返事につまる。ママとはこうも新鮮な気持ちになるお役目なのか。

 「落ち込んだとき、どうしますか?」ときかれた。その時のことを、たびたび思い返している。まだ知り合って日も浅い私たちに、落ち込んだときにどうするか?ときいた彼女の素直な感じというか、その様子が、秋の日差しの中で、映画みたいだな、と思った。
 私は、年を重ねた厚かましさでいろいろ言ってしまったけど、彼女と同年代の女の子が「あるよね。わかる。」と言い合っていたことも、まるで映画みたいだった。 
 どうしてこんな風に感じたんだろうと思っていたら、ああ、そうか、もう、私にとっては、完全に過去のことなんだってわかった。身に覚えがあると言えば、ある。当時は、このままずっと生傷のままなんじゃないかと思っていた出来事も。でも、いつしかかさぶたになって、場所すらも曖昧になった。そして、出来事が過去になった、というよりも、その時の私自身が過去のものなんだってこと。同じことが今の私の身に起こったとしても、もうぜったい、彼女たちみたいにはなれないってこと。つまり、年をとったんだね。

  ずっと、読むことは自分の中に記憶をつくることだと思ってた。同様に、映画を見ることも。まだ経験したことのない、あるいは、実際に経験することはないかもしれないことも、本や映画を通して疑似体験する。そうして、少しずつ自分の中に記憶が蓄積されていく。来るべき人生のあれやこれやに備えた学びとして。しかし、最近は、その記憶に私の経験が追いつくことが増え、そのうち、多くの記憶は懐かしむものになっていくのだろう。その時、私は、なんのために読むんだろう…… 

 帰り道にふわっとやってきた。
 きたな、と思う。きたよーーーーーー!と思う。全世界に報告したい気持ちだ。間違いなく、日本を代表する匂い。以前、当時京都に住んでいたフランス人に「最近、外を歩くとなにかの匂いがするんだけど...何?」と訊かれて、誇らしげに教えたことなどを思い出す。
 その夜、Twitterで報告しようとしたら、すでに友人たちがあちらこちらで開花宣言で盛り上がっていた。思っていたよりも広範囲で、今日、観測されたらしいです。金木犀。さて気合を入れようね。神さまは温泉旅行中だもの。

 ストローで神送りの風を吹いていたのね。

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