『レゴバットマン ザ・ムービー』を観ての考:バットマンは恵まれすぎたヒーローか

 ツイッター大混乱の本日、制限なのか不具合なのか、「このリクエストは、コンピュータによる自動的なものと判断されました」タイプの閉め出しを食らってしまったヨドミです。大人しく仕事や創作活動の続きをしてもいいんですけど、タイミング的に妙に宙ぶらりんな気分。
 で、気分転換も兼ね、こないだふと「バットマン」について思ったことをつらつらまとめていこうと思います。きっかけとして先日観賞したある映画の紹介と感想も兼ねて。

 大丈夫です。ここから約5000字「バットマン最高!」って書いてあるだけですので。


愛しすぎ「レゴバットマン」

 バットマンでいまホットなのは『ザ・フラッシュ』(そっちも観ました)ですけど、先日観たっていうのはこちら、『レゴバットマン ザ・ムービー』。今日感想つぶやくつもりでもあったんですよね。

 ツイッターである映画関連タグが流れてきたときに見つけたもので、「バットマンのこじらせぶりがすごい」「ジョーカーが泣くレベル(笑)」なんて聞いて見逃せるはずもなかった代物(笑)。実際口コミは高評価。ネトフリに置いてあるのを発見。
 最推しなんて言いつつダークナイト3部作からの新参ファンで結局そこまで熱心な追っかけでもない自分には、レゴアニメのバットマンなんて遠い遠い存在だったんですが――まあとにかく、結論から言って、めちゃくちゃ面白かったです。もちろんバットマン的に。

 しっかり子供向けの内容にはなってたんですけどね。
 バットマンを「本当は寂しがり屋だけど過去の厄災から家族を持つことを恐れて孤独に生きる男」とすることで、キャラクターの根幹的な部分はそのまま、とってもスマートなデフォルメに成功してるんですね。複雑なのにわかりやすい。アルフレッドにいいかげん身を固めろと刺されてヤダヤダと駄々をこねるとぼけたノリでも、一定のシリアスな共感が続く。

 ここへジョーカーもですね、デフォルメっていわば極端化でもあるんですけど、「歪みマックスのバットマンラブ」を最大限に発揮する仕様になってるんですね。もうですねえ、関係性のキモチワルサならダークナイトをも越えてました(笑) 「おまえはオレに一度も〇〇〇(=スキの反対)と言ったことがない!」なんかもうだいぶうるさいです。犬も食わないどころか逃げ出すレベルの痴話ゲンカwでも正直ジョーカーの言うことももっともだと思えてきちゃうんですよね。それぐらいバットマン=ブルースがこじらせすぎててめんどくさい!w

 そういう掘り下がった部分以外でも、バットマンはその他のアメコミヒーローたちと違って純然たる“生身”なので戦うために“武装”をするんですが、そこがレゴアニメと相性がよかったりもするようです。これはレゴバットマンシリーズ全体で言われてることでしょうね。大富豪設定も手伝って実写やコミックの歴代作品内には乗り物系兵器が無数に存在します。それらやバットマンの基地にウェイン城もレゴの力で(かなり大げさに)再現すれば豪華絢爛。隅々まで堪能するには視神経が足らなかったです(笑)

 そんなこんなで『レゴバットマン ザ・ムービー』は楽しんだんですけど、余韻に浸りながら、ふと思ったんですよね。

 バットマンって、とてつもなく恵まれませんか?って。

こっからがこの記事のメインです。

 無数にいるアメコミヒーローたちの筆頭でありながら、よく異色作品としても紹介されるのがバットマンです。
 特別なパワーを持たず生身で戦う点もそうですし、不特定多数の犯罪者たちに私刑をおこなうというダークヒーローとして広範で積極的なスタンス、ゴッサムという架空の都市をテリトリーとすることなども。
 後発で部分的にかぶっているキャラならいるでしょうか。それでも、単に先行逃げ切りとは呼べない無二性を、ジャスティスリーグ、アベンジャーズなどから順に眺めていっても否めない印象です。記号以上に他の追随を許さない側面、その一つとして自分が思ったのが、「彼は非常に恵まれている」ということでした。

 ってどういうことでしょう?

 彼は大金持ちではあります。しかし、まっとうかつ順当に悲劇の主人公です。
 幼い頃に両親を(多くの場合目の前で)殺され、心に傷を負い、怒りと悲しみ、憎しみと恐れに囚われ突き動かされています。最新シリーズ『ザ・バットマン』ではパラノイア(妄想系精神疾患)とされるほど追い込まれてのめり込んでいます。個人として見れば、恵まれているなどとはとても言えたものではないでしょう。

 しかし、お金もまた力です。
 そして、ここに彼は活路を見いだしました。
 ここもちょっと特殊なんですよね。スーパーパワーを持つ多くのヒーローたちは、そのパワーを“使わない”という選択肢は持ちづらい立場に強制的に立たされます。使い道を決めずに放っておくことはたいてい物語的に許されません。遊んでいる空白をある種義務的に、じゃあ正義のために使うか、などのように埋めることになります。
 けれどバットマン=ブルースの場合、力・パワーはお金なので、一般論から言ってそこまで致命的に持て余すようなものではありません。比較的善悪に悩まず自由に使っていいものです。もちろん、お金の怖さや責任というものはありますが、結局バットマンの作中でそこが問われたことはあまりないんですよね。アメコミヒーローもののテーマっぽくもないですし。

 また、その”パワーにあたるもの”がまた一般論から言えば比較的「わずらわしいものでなかった」点も重要です。
 パワーの使い方を決めなくてはいけない他のスーパーヒーローたちは、パワーを持つがゆえの責任だとかをよく負わされています。あるいは、そもそも持ちたくて持ったパワーでなく、事故などで得た「望まぬ力」であるケースも多いですし、さらには不用意に行使したことで人を傷つけてしまう展開なんかもあるあるです。
 使い方を決めなくてはいけないのは、そういう不慮の獲得物を“天災”とするか“天啓”とするかという部分にドラマが生まれるからでもあります。物語的にはおいしいんですけど、当人たちにとってはそんな選択をさせられること自体は災難以外のなにものでもありませんよね。バットマンとかなり近い要素を多く持つアイアンマンですら、そのヒーロー的なジレンマからは逃れられていません。

 バットマンはこの点はそれこそパスしています。いいえ、ここも厳密なことを言えば、「両親の遺産」を使うことへの個人的な葛藤はあるんですが、しかし物語的に焦点が当たってドラマチックな選択を要請されることってほとんどないんです。ドラマ『ゴッサム』のような長い物語でようやく出てくるか、たまにジョーカーにイジられるくらいだったでしょう。パワー(=お金)の使い道より彼の物語はいつだってもっと他のいろんなことが重要です。おかげで、彼は目的のために邁進するにあたって、手段についてはほとんど忖度をせずに済んでいるんです。

 ここで、忖度なしで目的のために邁進していると書きました。
 そう。彼ってとっても主体的なんですよね。

 凶悪かつ強力な犯罪者のひしめく街で、過去の傷に突き動かされてくり返される彼の活動は、他のヒーローたちと同じように運命に操られているようにも見えます。
 しかし、不慮の獲得物であり使い道を求められるスーパーパワーを持たない生身の人間に過ぎない彼は、戦うことを自ら選択したという印象も非常に強いです。

 身も蓋もないことを言ってしまえば、彼は逃げてもよかった。お金という無類の汎用性を持つ力を使って、月並みに幸せな人生を歩んでもよかった。彼自身の人間性がそれを許さなかったにしろ、バットマンとなったのを彼自身の選択とするのは大いにありうる見方だと思います。バットマンは主体的かつ能動的なのです。

 その面でいえば、人間関係も特筆されるべき要素です。『レゴバットマン ザ・ムービー』が焦点を当てた部分でもあります。

 彼はオーソドックスな顔を隠すタイプのワンマンヒーローです。
 しかし、顔バレしている“一般人”が当初からいて、その人物らの頼もしさが桁違いです。アルフレッド、ゴードン本部長、作品によってはロビンやバットガールのサポートもありえます。このあたりは自分のパワーでなんとかできてしまう筆頭のスーパーマンの泣き所でもありますね。
 活動の外でも、ヒロインがいることがあります。お金持ちで紳士なら本来結婚に困ることはありませんね。

 さらに、ヒーローとしてはとても大事な要素として、アメコミ界的における存在感では無双とも言える超ド級のヴィランがライバルでもあります。そう、ピエロマスクなあいつです。あいつとの“相性の良さ”も手伝って、バットマンというヒーローの戦う理由は盤石もいいところで、そこで悩む必要はほとんどありません。

 つまりこういうことです。
 わずらわしいスーパーパワーも持たず、お金持ちな上に信頼できる人たちを惹きつけながら、愚かとも言えるような無茶な選択をして一人になりたがり、しかしたった一人でその選択を正当化してくれるほどの好敵手までいる……「恵まれている」というのは、バットマンというヒーローが成立する条件においてです。
 さらに言えば、「逃げてもよい立場で戦いを選択したこと」や「良縁を得ながら孤独を選びがちな性格」、「望みどおりに戦えてなお満足を得られない感情的な根の深さ」と、条件的に恵まれている事実をこの上なく踏みつけながらそれがより核心的な魅力に昇華するという点で、極限まで恵まれていると言えるでしょう。こうして見ていけば、「お金さえなければ彼はバットマンにならずに済んだかもしれない」という悲劇的な見方ですら、メタ的には彼の武器だとわかります。いったいはたして、これほどまでに“武装”できたヒーローが他にいるのでしょうか。

2023. 6月 TOHOシネマズ高知にて

ブルース様、いいかげんに……でもそこが好きッ!!

 こんなことを考えたのは、冒頭で紹介した『レゴバットマン ザ・ムービー』を観たのがきっかけですが、同じくつい先日劇場観賞した『ザ・フラッシュ』とも関係があります。
 主人公フラッシュこと、バリー・アレンくん。彼を思いだすと、面白いくらいバットマン=ブルース・ウェインとは対極なことが気になってきます。

 両親を理不尽に奪われる来歴だけはやや似ています。しかし、お金持ちではありませんし、真面目ですが仕事では上司とそりが合わないさえない青年です。雷の事故で“偶然”にして能力を手に入れました。そして能力に振り回され、訓練によって使い道を見いだし、しかしやはり運命と能力の連携によって災難に見舞われます。
 友だちらしい友だちも恋人もいません。ヒロインとはまだ距離が遠かったです。バットマンやワンダーウーマンたちヒーロー仲間はいますが、結局ジャスティスリーグの世界線だからという作外事情の存在感が強すぎて彼の人望という見方はかなり険しいです。

 アメコミヒーロー内でも際立った若さのおかげもありますが、この素朴さは素朴さでバリーくんの魅力だとも思いました。一応主体的なんですけど、やはり能力を完全に理解して使ってるわけじゃないのでボロが出るんですね。そういう点は手堅くおいしいし、アクが強すぎない分ダイナミックな物語の中でも動かしやすく、かといって没個性にもならず感情移入もしやすい(MCU版ピーター・パーカーのようにお子様すぎてイラつかれる心配も少なめなほどよい若さかと)。想定外にいいキャラクターでしたね。

 彼のような動かしやすさこそは、バットマンにはないものかもしれません。
 キャラクターとしての必須要素が固まりすぎているがゆえに、どうしてもそこを踏襲した作品にしなくてはいけないのがバットマンの弱みでもあります。ネタがベタになってしまいかねない問題もあり、『ザ・バットマン』がそこは少々苦戦しているようではありました。

 とはいえ、レゴバットマンは逆にその動かしにくい彼をクリティカルに料理してみせてくれて、この完全武装されたヒーローにはまだまた掘り下げがいがあるとも感じた次第。取り巻くものすべてを含めてやはり他にはいないヒーローなのです。
 『ザ・バットマン PartⅡ』は2年後でだいぶ気長な話。それでもやはり楽しみですね。

※『ザ・フラッシュ』の感想はツイッターに投稿済みのコチラをどうぞ☟(内容に触れてますが、一応プロモーション等でわかっている範囲までのつもり)


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