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「いい子」に育てると犯罪者になる、のか?

「面白かった」と思える本はたくさんあっても、「読んでよかった」と思える本はそうそう多くはない。

そんななかで『いい子に育てると犯罪者になります』は、まさに「読んでよかった」と思える本だった。

本のタイトルは一見すると過激だ。でもそれがいわゆる"釣り"でないことは、一読すればすぐにわかる。

むしろこれ以上にふさわしいタイトルはないと思える。編集者として羨ましいくらいのタイトルセンスだ。

この本では、著者が刑務所で関わった受刑者とのやり取りとその犯罪心理から、幼少期における子育てのあり方を問い直している。

僕も仕事で犯罪者に取材することがある。彼らの話をよくよく聞いてみると、だいたい幼少期にたどり着く。

とくに親との間に問題を抱えていた人が多く、この本で書かれている内容はとても腑に落ちた。

ちなみに、僕は仕事の参考として読んだけど、「子育て本」という観点からもこの本は抜群によかった。

自分なりの解釈を多分に交えながら印象的だった箇所をいくつか抜粋してみたい。

▼なぜ「いい子」だった人が犯罪を起こすのか

非行少年・少女や受刑者は「親からちゃんとしつけをされてこなかったから罪を犯した」と思われがちだ。

たしかに、放任されてしつけをされてこなかった人もいる。だけど、実際は逆のパターンのほうが断然多いという。

逆のパターンとは、親や養育者による厳しすぎるしつけを受けてきたこと。

「男だったらしっかりしろ!」「弱音を吐くな!」「決めたことは最後までちゃんとやれ!」などのしつけ(?)に、子どもは一生懸命従おうとする。

それは「しつけに従うことで親から褒められたい(愛されたい)」という心理があるからだ。子どもは本能的にいつも親の愛情を欲している。

何かあるとすぐに怒られるようなしつけを受けていると、次第に子どもは「怒られないような『いい子』でいよう」と考えるようになる。

そうして大人の顔色をうかがう「いい子」になろうとする。

それは同時に「裏表のある人間」になってしまうことを意味する。

親の前では厳しいしつけを守る「いい子」だが、親がいないところでは「いい子」であることのストレスを他者にぶつけてしまう。

学校で暴れる子どもに困った教師が親を呼び出して注意をすると、親は「家では親の言うことをよく聞く『いい子』なんですが」と言って、逆に教師あるいは学校に不信感を持つ。こうしたケースは決して珍しくはない。

そして、子どもは誰にも相談できなくなり、どこかの時点で蓄積していたストレスが犯罪という形で爆発することになる。

それが「いい子に育てると犯罪者になる」という典型例だ。

▼犯罪者の原点は不遇な幼少期にある

犯罪者の共通点として、幼少期に不遇な家庭環境で育っていることがある。

暴力を受けていたなどのわかりやすい例でなくとも、たとえば親が仕事で忙しくしている家庭だったとすると、親はどうしても子どもに関わる時間が少なくなる。

そんなときに物分かりのいい子どもほど、親の忙しさになんとか理解を示そうとして、親の思いを察する「いい子」になろうとする。

我慢して「いい子」を演じ、もっと愛してもらいたいという思いを隠してしまう。

親は「この子は文句を言わないし、大丈夫だろう」と思い込み、子どもはますます我慢することが当たり前になる。

幼少期に素直な甘えることができなかった子どもは常に寂しさを抱え、それがストレスにもなる。

そして、そのストレスはいつか大きな問題を起こす燃料になってしまうことにつながる。

本の中では、傷害致死罪で受刑している男性が紹介されていた。

男性は、自分が起こした事件を振り返って話をしているときに笑っていた。

残酷な事件の話をしているのになぜ笑ったのか。「笑うなんて人間じゃない!」と反応しがちだが、そこにこそ重大な意味がある。

普通、人は嬉しいときに笑い、悲しいときは涙を流したりする。

だけど、自分の本当の感情(とくに否定的感情)と向き合うのが怖いとき、人はその感情を押し殺すか、別の感情を出すことがある。

大人になっても、感情を素直に表現できない人がいる。

そのような人は、幼少期の悲しいときに悲しい感情を出せなかった過去がある。悲しいときに笑う癖は、幼少期につらい体験をした人が身につけるものでもある。

いじめを受けている子どもがいじめっ子集団からプロレスの技をかけられているときに笑うのは、もちろん楽しんでいるからではない。いじめの苦しみに耐えられなくて笑っているのだ。

先の男性は、笑うことで苦しみを感じないようにするために「偽の感情(癖)」を出していた。

でも、笑いながら事件について話す姿は周囲からはただの残酷な人間にしか映らず、ますます人から理解されなくなっていた。

こうした例のように、犯罪者の多くが不遇な幼少期を送り、ただ不遇だったことを本人が自覚していないケースも多いという。

▼親が子どもに与える影響

幼少期には知らず知らずのうちに、さまざまな価値観を取り込まれる。

最も大きな影響を与えるのは、言うまでもなく親だ。親から幼少期に刷り込まれる価値観が、その後の人生で問題行動を起こす原点にもなる。

親は往々にして子どもを都合の良いように育てようとしがちだ。

たとえば、人に優しい人になってほしいという思いから、「人に優しくしなさい」と口すっぱく言いながら育てる親は多い。

だけど、言うだけでは意味がない。

人に優しくするためには、人に優しくされる体験が必要であり、優しい子どもになってほしいと思うのならば、親が子どもに優しく接することが欠かせない。

人助けも同じだ。私たちは「困っている人を見たら、助けなさい」と言われるが、人を助けたい気持ちは誰かに教えられて身に付くものではない。

自分が人に助けられた経験があると、自然と人を助けたくなるものだ。

人は、自分がされたことを人にして返す。人を傷つける人は自分自身が傷ついている。

自分が傷ついているから自分自身を大切にできず、自分を大切にできないことは他者を大切にできないことにつながる。

「親に言われた嫌なことは、自分の子どもには絶対に言わない」とか、親に殴られて育った人が「自分の子どもには絶対に手を上げない」と言いながら、苦しくなったときに思わず自分がされたことを返してしまうことがある。

幼少期に形成された価値観は自分ではなかなか気づくことはできない。

気づくことができないからこそ、幼少期に自分が親に言われたことやされたことは、自分の子どもにもして返すように連鎖することがある。

子どもを愛さない親はほとんどいない。ただ子どもの愛し方を知らない親は少なくない。

一方で、そこで無理に「いい大人」であろうとしすぎるのはよくない。

「親として、きちんと背中を見せてあげられるような人間にならないといけない」という考えを持ちすぎてしまうと、子どもも苦しくなる。

「きちんとする」ことは大事かもしれないが、「きちんとする」ことができないときは無理してなくてもいい。

大切なのは、「いい大人」を子どもに見せるように努めることよりも「ありのままの自分」を見せること。

そうすることで、子どもも「いい子」になるのではなく、「ありのままの自分」でいてもいいと思えるようになる。

▼悪いことをしても反省を求めない

子どもが非行や問題行動を起こしたとき、それは見方を変えれば、親が子どもの本音を知る最初のチャンスでもある。

そこで適切な対応をしないと、子どもの本当の気持ちを知る機会を失うことになる。

子どもが問題行動を起こすのには必ず理由がある。問題行動は、しんどい気持ちを発散する側面を持っている。

適切な対応とは、親が「なぜ?」という視点を持ち、子どもがそうした理由を考えることだ。

子どもの最初の問題行動として最も多いのは嘘をつくことだが、子どもが嘘をつく理由の多くは親に叱られたくないからであり、つまり子どもが嘘をつく原因は親にある。

子どもが嘘をついたときに最もやってはいけないのが、「嘘をついてはいけない」と叱ること。

叱ると子どもは「ごめんなさい」と謝り、反省する素ぶりを見せる。

反省をさせてもいけない。ただただ反省させることだけが繰り返されると、いずれ犯罪につながることがある。

問題行動を起こし、反省させられて、結果的に犯罪を起こしてしまった代表例が、刑務所の受刑者たちだ。

そもそも、悪いことをしてバレたときの人間の心理は、反省とはほど遠いはず。

最初に思うのは反省であるはずがない。直後に反省すること自体、不自然であり、すぐに反省の言葉を口にする人はより悪質とも言える。

仮に私たちが犯罪を起こしたとして、拘置所に入ったときの自分自身の気持ちを想像してみる。

悪いことをしたのは認めるとしても、被害者のことを考えるよりも、自分自身のことを考えるので必死になる。

自分の刑が軽くなるために裁判でどう話そうか、どう言えば裁判官によい印象を与えられるかといったことを考え、弁護士と一緒に対策を考える。

そうして被害者よりも自分のことを考えるのは、ある意味自然なことだ。

にもかかわらず、重大な犯罪が起きたときに、メディアは「まだ容疑者は反省の言葉を述べていない」「残虐な事件を起こしておきながら、まったく反省している様子はない」などと報じる。

メディアだけでなく、少年院や刑務所における矯正教育でも、やはり即座に反省を求める傾向がある。

ところが、反省を求めるほど、何度も刑務所に入った人は皮肉なことにどんどん「反省の仕方」を学ぶことになる。

こうして反省を求めてしまうのは「人は悪いことをしたら反省することが当たり前だから」という考え方が大半の人の心に刷り込まれているからだ。

だけど、そうした考え方自体を問い直す必要がある。

これは、大半の受刑者が「もう二度とやりません」と言うが、固い決意ほどあてにならないものはないということにも通ずる。

本当に更生が期待できそうな受刑者は、固い決意ではなく、不安を口にする。

受刑者に限らず、本気で生き方を変えていこうと思う人なら誰もが不安を感じるもので、それこそが本音だ。

それに対して「不安なんて言うな、しっかりしろ」などと正論で返せば、受刑者はまた上辺だけの固い決意と反省を繰り返すだけになってしまう。

更生させるためには、最初に反省を求めてはいけない。反省させるのではなく、なぜ問題を起こしたのかを考えることから始めないと更生は望めない。

僕も取材で、反省の深さと再犯率に相関がないという話を聞く。すごく深く反省しているように見えても、数日後に再犯するケースは決して少なくない。

とくに加害者臨床においては、加害行為に対する責任をとる、つまり反省や被害者への謝罪に至るのは、最終段階だという。

* * * 

この本の著者である岡本茂樹さんは、『いい子に育てると犯罪者になります』の他に、『反省させると犯罪者になります』『凶悪犯罪者こそ更生します』といった類似するテーマの本も書いている。

ただ岡本さんは『いい子に育てると犯罪者になります』が出版される1年前に亡くなっている。

遺稿として残されたものを遺族の希望もあって新潮社によって出版に至ったのが、この本だったという。

もしご存命なら、真っ先に取材したい人でもあった。

上記のまとめはかなり僕の解釈を加えてしまっているから、興味があれば『いい子に育てると犯罪者になります』を手に取ってもらいたい。

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鈴木洋平(編集者)

1988年2月生まれ。2017年まで出版社で『編集会議』をはじめとするメディアや広告・マーケティング専門誌の編集者。2018年より“社会の無関心の打破”を掲げる社会問題に特化したメディア「リディラバジャーナル」記者。さまざまな社会問題の現場を取材している。
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