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寺山修司の短歌「刑務所にあこがれし日は」

刑務所にあこがれし日はこぶのあるにんじんばかり選びて煮たる

『血と麦』(『寺山修司全歌集』202頁)

『血と麦』の小題「砒素とブルース」の「参 Soul, Soul, Soul.」に収められている。

■語句

あこがれし日――「あこがれている日」。「し」は助動詞「き」の連体形。「き」は基本的には過去の助動詞であるが、完了としての使い方もある。その場合、動作・作用が完了し、その状態が存続しているという意味(~している、~してある)になる。

煮たる――「煮ている」。「煮たる」は、動詞「にる」の連用形「に」に、助動詞「たり」の連体形「たる」が付いたもの。助動詞「たり」はここでは、存続(~している)の意。なお、「煮たり」なら終止形だが、「煮たる」は連体形。連体止めは余情効果がある。

■解釈

世の中や周囲の人間関係のことで鬱憤がたまり、ええい、もういっそのこと犯罪でも行って刑務所に入ってやろうかとヤケになることは誰にでもある。(え? ない?)「刑務所にあこがれし日」とはそのようなイラつく気分の日のことだ。

そういった日に料理をするとき(そんなときもやっぱり料理をしなければならない)、まっすぐで形のいいにんじんではなくて、ごつごつと瘤のある不細工なにんじんばかりを選んで煮ている。

意識的に選んでいるのはなく、無意識のうちにそんなにんじんを選んでしまっているのだ。「瘤のあるにんじん」が、心の中にある不快ないらいらを具現化しているからだ。

いろんな鬱屈を抱えつつも、日常を受忍しつつ生きている人間というものに対する共感がある。

■おわりに

「刑務所にあこがれし日は」で始まると、いったいどんな犯罪に言及されるんだろうと、読者は勝手にあれこれ想像する。

ところが、続くのは「瘤のあるにんじんばかり選びて煮たる」で、読者はまったく予想外の日常的情景へと誘導される。

異質なものを結びつけるのは、寺山は本当にうまいなあ、と思う。

■参考文献

『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011

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