れきしーくんの知育歴史話
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まないたのルーツ
まな板にもルーツがあったんだよ。 ポンと昔。 今は、一枚のまな板で、お魚もお肉も菜っぱも切ったりするね。 昔のまな板は『真魚板(まないた)』。 漢字からわかるように 昔はお魚を料理するのにだけ使ったのがまないただったんだ。 昔、日本人の大切なおかずはお魚だったよ。 お魚は貴重な動物性タンパク質だった。 だから特別なまないたの上で調理したんだって。 野菜を切る時には別の物を使っていたんだね。
冷蔵庫のなかった江戸時代
江戸時代、お魚やお肉はどうやって保存していたのかな? ポンとむかし。 もちろん、江戸時代には冷蔵庫もガス台もなかったよ。 冷蔵庫がないのにどうやって食品を保存していたのかな? ずばり!! 江戸時代には食品を保存していなかったんだ。 買いだめなんてしていなかった。 1食1食食材を買っていたんだ。 しかも、お店に買いになんて行かなかった。 「あさりー、あさりー」 朝飯時にはあさりやしじみ、納豆なんかを
もっとみる江戸時代のお花見のお弁当ー
今から300年くらい前、 江戸時代の元禄時代の頃だよ。 8代将軍徳川吉宗はね、 隅田川や飛鳥山なんかに 桜の木を沢山植えさせたんだよ。 庶民もお花見を楽しめるようにってね。 今と同じように、みんな、家族やお友だちを誘ってお弁当を持ってお花見に出かけて行ったんだね。 どんなお弁当を持っていったのかな? キョー和元年、1801年に刊行された 醍醐山人の『料理 早指南』には 漆塗りの重箱や、手提げ式重箱
もっとみる江戸時代のお花見のお弁当
じゃ、庶民はといえば、 落語の『長屋の花見』で おもしろおかしく紹介されているよ。 貧乏長屋のみんなで大家さんも一緒にお花見にお弁当と飲み物を持って出かけたんだ。 桜の木の下でさっそく宴会が始まったよ。 お隣のお大尽の豪華なお弁当をチラ見しながらね、 お酒だというんで喜んで呑んでみたら それは、番茶を水で薄めた物だったよ。 じゃ、かまぼこを1つとかじってみたら、 こりこりと音がする。 なんだ、色だ
もっとみる江戸時代のお花見のお弁当1
今から300年くらい前、 江戸時代の元禄時代の頃だよ。 8代将軍徳川吉宗はね、 隅田川や飛鳥山なんかに 桜の木を沢山植えさせたんだよ。 庶民もお花見を楽しめるようにってね。 今と同じように、みんな、家族やお友だちを誘ってお弁当を持ってお花見に出かけて行ったんだね。 どんなお弁当を持っていったのかな? キョー和元年、1801年に刊行された 醍醐山人の『料理 早指南』には 漆塗りの重箱や、手提げ式重箱
もっとみる義家えと貞任との歌問答 2
天喜5年、1057年、 安倍の頼良しが殺されてしまったよ。 でも、頼良の後をついだ子供の、貞任、宗任の兄弟はお父さんの頼良以上に強かったから、 源頼義たちを困らせていたんだ。 安倍一族はね、 『作』と呼ばれている陣地から戦っていたよ。 さくはようさいのような物で、 その陣地の中には掘っ立て小屋があって、 その周りには10メートルにもなる堀が作ってあって、 その底には鉄の矢が幾本も上を向けて立てられ
もっとみる浦島太郎さんを乗せたカメさんに会ってきました。
今日はね、浦島太郎さんを乗せた亀さんに会ってきたんだよ。 ポンと昔。 「亀さん、あなたがあ浦島太郎さんを背中に乗せて竜宮城へ行ったという亀さんなんですか? 季節はいつ頃だったんですか?」 「あれは、暑い夏でしたよ。 太郎さんはお優しい方でしたよ。 私が赤ちゃんを産むのに浜に上がってきた時でしたからね」 「えっ?太郎さんを乗せた亀さんはママ亀さんだったんですか?」 「ええ、そうですとも。 私はウミガ
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