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満月の朝、ふと思い浮かんだ様々なこと

数年前の誕生日前日に

あなたが見た・感じた「エジリヨウコ」とは?

という質問をFBで投げかけてみた。
在り方も含めて本質行動学を学んでいる最中で、共通しているコメントもたくさんあれば、意外なコメントもあったりして、客観的に自分を見てみる、言語化する機会を多くの方に協力していただいた。


裏の山際に咲く大手毬


そこから3年半程。
環境も社会も生活や仕事の中での立ち位置も変わって、私自身の変化したこと、変化していないこと、そんなことを考える機会が増えた今日この頃。
今の私は、客観的に見てどう見えているんだろう?とふと思ったり。

そして、働くこと、政治のこと、経済のこと。一度海外で生活したからこそ以前より違う視点でも考える機会が増えたことがたくさんある。



満開となった木香薔薇



最近思うことは、個人と組織のことが語られることもしばしばあるのだけど、個人だからできることがあれば組織だからこそできることもあるということを忘れたくない、と。

便利な生活を支えてくれる企業や仕組みがあるからこそ成り立っているこの社会があることに気付いていないのか前提を無視している話なんかもあって。そしてこの便利な社会に感謝はできているんだろうか?なんてことも考える機会が増えた。



華やかな牡丹



当たり前のことが当たり前ではないかも知れないこと。
世界で一番幸せな国と言われていたブータンも技術が発達して他国のことがわかるようになると他国と比較して幸せを感じる人が減り今では90何位かまで下がったのだとか。



足るを知る、ということは?
豊かさとは?幸せとは?
様々な価値観と改めて働くということとは?



目が覚めてから、ふと、様々なことが思い浮かんだ今朝。



開き出した皐月の生垣




写真は実家の私が子供の頃からある皐月と大手毬、そして母が育てた牡丹と木香薔薇。
自然豊かで美しい環境もやはり何かしらの不便さと大変さはあって、それらと折り合いをつけながら生活をしていて。


だからこそ生活できる環境を支えてくださる方々へ感謝することが増えた。


本当の意味でそこに身を置かねばわからないことってたくさんある。そこに根ざして生活しなければわからないことがたくさんある。台湾で感じたことを改めて今感じていたりも。



ここ数日慌ただしかったので、今日は京都で少しのんびりすることに。その時その時に感じている感覚を大切にしたいなぁと、大好きな珈琲を飲むことにしよう。


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