学校は○○な人間を量産する場所?
え、どんな人間?
こちらの記事が興味深かったので、一部抜粋して紹介。
学校は勉強だけでなく、社会のルールや社会での「正しい」振る舞いを身につけるための場所。
で、内容を要約すると
髪の長さや靴下の色などを制限する校則がある理由→わけのわからない規則で縛りつけられることに慣れさせ、規則を守り、上に逆らわない「従順な人間」をつくるため
1学級が40人→勝手な言動をしないおとなしい人間をつくるため。40人が一斉に勝手なことをしだしたら、授業は成立しないから
ゆえに、ほとんどの先生は生徒に対して高圧的、強権的になるしかない
産業革命以降の学校は、人間を忠犬にするための調教システムとしてつくられたにすぎず
「いえない」「いわない」「いわせない」人間を生産するための組織。
今もその本質は変わらない。
だから、いつまでたっても自立しない従順な人間を育てることしかできない、という話。
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詳しく知りたい方は、記事読んでみてね。
なので、タイトルに入るのは「従順」
学校は、従順な人間を量産する場所?という話。
ちょっと極論な感じもしますが…
確かこの本にも、同じようなことが書いてあったような。
で、従順。
最近、FAXなどのやりとりがあるアナログな部署に異動。
私は紙ベースのやりとりを避けたいので、地道に先方にオンライン上のやりとりを依頼。
しかし他の人は、そうでもなさそうな様子。
度々この「疑問に思わないことへの疑問」
がフツフツと沸いていたのですが、今回気がついたこと。
それは、疑問に思わない人たちは
「従順な人間」
なのかもしれない、ということ。
もちろんそれだけが理由ではないとは思いますが、一つの可能性としては考えられるよなと。
従順だから、言われた通りの方法で進めることに疑問を抱かない。
そうか、そうなのか…と。
記事には日本の教育はオワコン(終わったコンテンツ)だとも書かれていて、さすがに言い過ぎ?とも思いましたが、あながち言い過ぎでもないのかも?と思ったり。
…
ここで、自分のことを振り返ってみる。
過去の記憶が薄いのですが、私もたぶん従順な人間。
小学校で「起立」「礼」と言われても軍隊みたいとは思わなかったし、校則は守っていた。
色々と疑問に思い始めたのは、やはり
「読書」をするようになってからかも。
日常的に本を読むようになったのは、2年前くらい。
それまでは、気になる本をたまに読むくらい。
年に数冊レベル。
だったのですが
誰の本だったか忘れましたが、そこに書いてあった内容が印象的で、そこからずっと読んでます。
本を出版する人というのは、全人口の1割程度。
その1割の人は、残り9割の人間とは違う思考を持っている貴重な存在。
そんなレアな人の脳内が1,000円ちょっとで覗けるなら、こんな有意義なことはないよね、というような話。
「確かにそうだな」
「本ってすごいな」
と思い、そこから色々読んでいくうちにどんどんおもしろくなり、今も定期的に読んでる。
あくまでも、私が思うだけなのですが
おそらく、日本の教育を受けてきた人間の9割が従順。
で、従順ではない「日本の教育に染まらなかった」1割の人間が、世間を驚かせる活動をしたり本を出したりしているのかも?と。
ということは?
少なくとも本を読めば、その1割の人間に近づける可能性はあるのでは?
あくまでも仮説だし、読書が全てではありません。
首を傾げるような本にも何度も遭遇しましたし、本より経験というのも分かります。
それでも、色んな人の脳内を覗けるということは楽しい。
従順な人間からの脱却をはかる方法としての
読書。
そしてこれからも、疑問に思ったことをnoteで発信していこ。
そんなことを考えた木曜日でした。
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