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「うちのチビ」という呼称と基本的欲求について考えてみた。

「うちのチビが〇〇で〜」

頻繁ではないが、たまに耳にする聴くこのフレーズ。
先日、このフレーズを口にしている人に遭遇した。

要は自分の子どものことを指すワード。
それが「うちのチビ」である。

私はこの言葉に、ほんのり違和感がある。
ほんのりね。

今日は、この違和感の正体について
考えてみたいと思う。

違和感なんてないけど?
という人も、読んでもらえたら嬉しい。

******

「うちのチビ」という呼称の違和感。

おそらく、
「所有物」感が、そう感じさせるのだと思う。
あくまでも、私がそう感じるだけだけど。

可愛くて仕方がない。
ゆえに、自分の所有物のように感じているのではないか?

子どもは、大人のお供ではないと思っている。
もちろん養育するのは大人だけど、大人の所有物ではない、と私は思う。

こんなことを真面目に書いているが
おそらく「うちのチビ」と言っている人は、そんな堅苦しいことは考えていないと思われる。

おそらく、こんな感じではないだろうか?

①無意識に使っている
②周りに「うちのチビ」を使う人がいたため、違和感なく使っている
③愛・所属の欲求が強い

「愛・所属の欲求」

これは基本的欲求の概念の一つ。
アメリカの精神科医であったウィリアム・グラッサーの提唱した、選択理論心理学の一部として提供されているらしい。

生存の欲求
愛・所属の欲求
力の欲求
自由の欲求
楽しみの欲求

出典↓
出典:選択理論.jp


これはあくまでも仮説なのだけど

もしかしたら、
「うちのチビ」と言う人は
愛・所属の欲求
が比較的強い傾向があるのではないかと。

愛の強さゆえ、自分の所有物のような表現をするのかもしれない、と。

そう考えると、私が違和感を持つのも分かる気がする。

なぜか?
私が「基本的欲求」テストしてみた結果がこれだから。

じゃーん

見事に「愛・所属の欲求」が低い。

おそらく持っている(?)基本的欲求が異なるから、それが違和感となって現れたのかなと。

だからと言って、
「うちのチビ」という人を否定したり、攻撃したいわけではありません。

「そうか、自分とは異なる基本的欲求を持っている人なのかもしれないな」

ふむふむ

という理解をするだけ。

むしろ、そういった理解をするのに、
この「基本的欲求」は役立つと思うのです。
うんうん。

******

ということで、
「うちのチビ」という呼称を使う人は、
もしかしたら、「愛・所属の欲求」が比較的強い人なのかも?という話でした。

で、みなさん。
自分の基本的欲求、気になりませんか?

ここからテストできますよん。

全51問・3分程度。
確か、メールアドレスを入れる必要があった気がするけど、そんなに面倒ではなかった気がする。
無料だよ。

週末、よかったらやってみてくださーい。

<あとがき>
選択理論心理学は、勝間さんの本にチラッと載ってて興味を持ちました。なんだか面白そうな世界。
今日もありがとうございました。

▼勝間さんの本はこちら。


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