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Think Globally、 Act Locally.映画『存在のない子供たち』

『誰も知らない』『万引き家族』。是枝監督の作品は、スコープすることで社会全体に横たわる問題を浮き彫りにする。

この作品もそうだった。フィクションと分かりつつも、圧倒的現実味を帯びて私たちに訴えかけてくる。キャストは演じる役柄によく似た境遇にある素人が集められたそうだ。

「存在しないも同じ」という絶望。

存在のない子供たち』。出生届が出されてない12歳の男の子ゼイン。そこに確かに存在するのに、IDを持たない彼は社会にとっては存在しないも同じ。ただ生きることはもちろんのこと、そこから逃げ出すこと(この場合、国外逃亡)もIDを持たぬ彼はいっそうままならない。

ゼインのような境遇の移民たちは、そこに暮らす人々にとっては、ひとりの人間ではなく、ただの街の背景を構成するひとつの要素にすぎない。

【story】わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から、「何の罪で?」と聞かれたゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に劣悪な労働を強いられていた。唯一の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、さらに過酷な“現実”だった。果たしてゼインの未来は―。(HPより)

世界のどこかで、今、たしかに起こっていること。

「自分を生んだ罪」で、子供に告訴される親。這い出すことがほぼ不可能な社会システムの袋小路の中、この両親たちを非難することなど到底できない。鑑賞中、突きつけられる現実に「私に何ができるのか」という苦しい思いにかられるが、ゼインに手を差し伸べる弁護士が劇中で絶望感に打ちのめされる瞬間、私も自分の中の「偽善」に打ちのめされることとなる。

世界で起こる不幸すべてに寄り添うことは不可能。

私にすぐできることと言えば、現地に足を運び活動するプロに希望を託し微力ながらの寄付をすることくらいである。自分の無力感に愕然とするが、それが現実だ。

自分にはどうしようもできない不条理を知る。自分の非力を知る。それでも、たとえ同じ場所に立っていたとしても、知る前とは違う視野を手に入れた自分を頼もしく感じたい。だからこそ、今、自分にでもできる「世界を少しだけよくできるかもしれない」と感じられることに意識を向ける。自分の身の回りでおこる些細な違和感に、いっそう敏感になり、きちんとアクションを起こす必要性を思う。

ゼインは行動する。そして、新しい自分を手に入れる。



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