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#1 「私」というひと、個性って

私はモンテッソーリ教育の幼稚園で
自由にのびのび過ごした。
幼稚園に入園する前も
外を駆け回り野猿のような子どもだった。
スペイン人の園長先生で声がやたらと大きくて、廊下ですれ違うだけで心臓が飛び出るんじゃないかというほど怖かったけど、モンテッソーリの環境は私に創造力や発想力をいかんなく発揮させてくれたし、カラフルな脳や心に制約を与えられることなく文字通り私は自由だった。
まあこれが、個性のまま生きるという自由な環境だとはその時は分からなかったけど。
それからごく普通の公立の小学校に入学した。
入学して教室に入って、決められた席に座って、チャイムがなれば決められた科目の授業が始まる。
ルールが山ほどあって、Majority decisionこそ正である初めての世界。
猛烈な違和感。
小さい私が強烈に違和感を感じた小学校という社会のはじまり。
当時、祖母によく手紙を書いて文通をしていたのだけど、こんなことを書き綴っていた。
______________
おばあちゃん
小学校はとてもへんです。
みんな同じことをしていてへんです。
______________
自分が感じた違和感をそのまま書いた手紙が今も実家のどこかに仕舞ってある。
この時感じた自分の感覚や個性に伝えてあげたい。
その気持ち、その感覚、間違ってないよ。
ずっと大切に胸に抱えてあなたらしく生きていいんだよ、と。
幼稚園の頃か、小学生になって間もなく私はきっとその他大勢と同じスーツを着て、同じ場所に出勤ということをするサラリーマンという人にはならないんだろうなと、ものすごく明確に自分の将来を想像したのを覚えている。
なくても良いルールや規律に縛られるのが心底嫌だったのだ。
人と同じ、ヨーイドン、そんな世界にモーレツに反発心があったのだ。
心身に違和感を感じるほどに。
思春期に差し掛かるころには、いつの間にかその記憶は薄れていったけど、それはとても正しい直感で、私の個性であり私の生きていく根底にある軸になっている部分そのものなのだと思う。
私が私らしく生きるということ。
あなたがあなたらしく生きるということ。