ルーブル

人は人をこう表現してきた、と思う。②|ルーヴル美術館展で普段考えないようなことまでたくさん考えられた話

人は人をこう表現してきた、と思う。①|今の美術館がいろいろとイケすぎてた話 こちら



高橋一生さんの音声ガイドを買わなかったのを少し後悔しながら、いよいよギャラリーへ。

(※本記事での作品画像は、全て"http://www.ntv.co.jp/louvre2018/"より引用しています。)


来世への願いを込めて

プロローグ - 肖像の起源

まずは、エジプト最古の肖像の形 ー 2つのマスクから、展示がスタート。

《棺に由来するマスク》
新王国時代、第18王朝、アメンへテプ3世の治世(前1391-前1353年)

古代エジプトでは、故人が来世でも生を授かるように願いを込めて、ミイラをつくっていたらしい。このマスクは、故人の頭を飾るためのもの。
上のマスクは、当時の理想の顔立ちを模して造られたんだって。

《女性の肖像》
2世紀後半 エジプト、テーベ(?)出土

一方でこちらは、ミイラの顔を覆う板に描かれたもの。
故人自身の顔立ちが、いきいきと表現されている。

"理想化"と"写実性"
対極する表現でも、どちらも故人の来世を願って造られたもの。

“エジプトの人、めちゃくちゃステキやん。”



あなたが生きた証が、ずっと消えないように

第1章 - 記憶のための肖像

そのまま進むと、一目でこの絵に惹きつけられた。

ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房
《マラーの死》
1794年頃 油彩/カンヴァス 162×130 cm

人の記憶に留め続けるために、作品に残すのは理解できる。
とてもステキな考えだとも思う。

でも、死体でその姿を残す意図はなんだろう?


《マラーの死》は、フランス革命の重要人物であるマラーが、対立する派閥の若い女性に殺害された様子を描いたものだ。
国民公会にマラーの肖像画を描くように依頼されたダヴィッドは、《キリストの埋葬》に寄せて腕をだらりと垂らす姿を取り入れることで、マラーを革命の『殉教者』に変えた

掲載元: https://www.louvre.fr/jp 《キリストの埋葬》

人々は、マラーを英雄として後世に語り継ぎたかった。
あっけなく殺されてしまったけれど、彼の功績を紡いでいきたかった。

だから彼の死体は均整がとれていて、美しい。

大切な人が忘れられないように、その姿を作品に遺した昔の人たち。
大丈夫、ちゃんと届いてる。



芸術を使うということ

第2章 - 権力の顔

芸術は、感覚に作用することで人の心を撼わす。
音楽も、建築も、絵画も、皆ある種宗教的な何かを感じて、圧倒される感覚には身に覚えがあるんじゃないかと思う。

そして人は、都合が良いように芸術の力を利用する。

いつの時代も、きっとそうだ。
サン・ピエトロ大聖堂はキリスト教の象徴として建てられたし、日本でも昭和の時代に、国会議事堂が権力を象徴する色を帯びてデザインされた。
戦時の軍歌は士気や愛国心を高めるためにあったし、鎌倉初期では「屏風歌」・「障子歌」が、権力の象徴として発生したようだ。

だから、やっぱりな、と思った。

欧州を中心に、権力者は統治戦略の一環として自分の肖像を
哲学者は、「精神の権威」として自分の肖像を

さっきの第1章 - 記憶のための肖像までは、作者が、被写体への純粋な願いを込めた作品だった。

でもいつも間にか、被写体の欲求に基づくものに変わってしまった。

ただ、利用の仕方にも「イケてるやん」と思えるもの。

嗅ぎタバコのパッケージに権力者の肖像を載せたり、硬貨にプリントしたりするのは、かなりイケてる。
国民に幅広く権力を誇示して、忠誠心を高めることが狙いだったけど、嗅ぎタバコのパッケージングなんかを思いつくあたり、昔の人もブランディングやマーケティングみたいなこと考える頭があったんだなとビックリした



権力による独占から、"個の時代"の到来へ

第3章 - コードとモード

「記憶」のための肖像、「権力の誇示」のための肖像は、王族や高位聖職者だけが制作できた特権的なものだった。

しかしルネサンス以降のヨーロッパでは、これらの技法(コード)を踏襲した上で、地域や社会独自の流行(モード)を組み合わせた肖像作品が、民衆に至るまで広く普及した。

権力による独占から"個の時代"への変遷は、とても自然だと思う。
現在でも、権威的な大企業と対比的な考えとして、個人で働いていくことも普通になった。
Youtubeの普及によってYoutuberが生まれ、これまで敷居高く考えられてきたビジネスがメルカリの登場によって個人でも手軽にできるようになったのは、テクノロジーの進歩と現在の風潮が相まってできた流れだ。

肖像芸術も、社会の風潮や新しい技法の登場によって誰でも気軽に制作できる環境が整い、民衆の才能が解き放たれた。


そんな中で、この作品が目に留まった。

エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン
《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》
1796年 油彩/カンヴァス 80×66 cm

ヴィジェ・ル・ブランの描く肖像は当時、モデルの魅力を最大限に引き出すことで定評があったらしい。

それはきっと盛れる写真を撮ってくれるカメラマンがモテるのとか、snowとかのアプリが流行るのと似てることで。

この夫人も、

「この肖像超盛れたwww」

とか、友達と話してたんかなあ。



著名なアートは、やっぱりすごい

エピローグ - アルチンボルド―肖像の遊びと変容

この絵、美術の教科書に載ってたの、覚えてる人も多いと思う。

そのくらい有名なアートは、やっぱりすごいらしい。

ここでは敢えて載せないけど、今回の主役の1つである《美しきナーニ》は、なんでかわからないけど目の前にしたら口元がニヤついてしまった。

どんな風にスゴイかは、実際に足を運んで、感じてきてほしいです。



記事を書いてて-

ルーヴル美術館展は7/14に行って、記事を書くまで2週間も経ってしまった。

美術館で感じた「記事にしたい!」って熱量は、こんなレポートチックな感じにしたかったわけではなかったのになぁ。

想いをことばにするのは奥が深くて、まだまだ全然飽きないな。




まだ何者でもないですが、何者かになりたくて文章を書いています。記事を読んで、どこか1つでも共感できるところがございましたら、サポートいただけると、何よりの自信につながります。