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座右の銘

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 座右の銘を訊かれたら、「1日10分、人間が作らなかったものを見なさい」と答える。身の回りを見渡すと、人間が作ったもので溢れかえっている。机、パソコン、テレビ、時計、ボールペンなどなど。観葉植物を置いている人もいるかもしれないが、私はこれを自然とは言わない。人間がそこに置いたものだからである。もしも床板の隙間から草が生えてきたら、あなたは癒されるどころか急いで引っこ抜くだろう。
 なぜ人は自然を嫌うのか。自然を嫌う? そう、人間は自然を嫌っている。そうとしか言いようがない。「雑草という名前の草はありません。」昭和天皇はそうおっしゃった。それなら、雑草とは何か。それは「植えたつもりがない草」ということである。自分で植えたものは喜んで育てるが、勝手に生えてきたら除草剤を撒く。これを自然を嫌っていると言わずになんと言おう。
 要するに、不気味なのである。床から草が生えてきたら、どうして生えてきたのかがわからない。だから不気味。自分で植えたものなら、理由がわかるから不気味ではない。グリムやペローの童話では、なぜ森にオオカミや魔女が棲んでいるのか。現代では人間に管理されていない自然は少ないが、中世では森とは、文字通り人の手が入っていない場所であった。だから、そこには何が棲んでいるかわからない。未知で不気味な空間だったのである。
 もうひとつ、自然はコントロールできない。天気予報が外れると怒る人がいるが、天気は気象予報士が決めているのではない。自然現象である。それなのに文句を言う人がいるのは、コントロールできないものは、あってはならないからである。そういうものがあるのは、文明化されていないからだ。つまり、コントロールできない自然を排除すること、それこそが進歩なのである。
 だから先進国は少子化になる。子供くらい、コントロールできないものはない。「そんな風に育てたつもりはありません。」つもりはないが、雑草みたいに引き抜くわけにいかないから、それなら最初から産まないほうがいい。それで子供が減る。子供は都市社会においては、まさに「あってはならない」存在なのである。
 そういうわけで、人間が作らなかったものを見るのは大事なのである。電車が数分遅れたくらいでイライラしなさんな。そこに何人の人間が乗っていると思っているのか。その人たちが全員、思った通りに動くと思いますか? どうせあなただって、糖尿病の予防はおろか、自分の体重だって減らせてないでしょ。思い通りにならない方が、当たり前なんだから。それに、忘れてはならないが、人間だって自然なのである。自然を消せば、やがて人間も消える。
(二〇二三年四月)


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