見出し画像

なぜ「体に悪いもの」は美味しいか?

体にいい食事は味気なく、物足りないことが多い。逆に体に悪いものは、しばしば満足感をもたらしてくれる。だから、体に悪いとわかっていても、つい食べたくなってしまう。似たようなことは他の様々なことにも言える。悪いとわかっていても、ついやってしまった経験をあなたもお持ちだろう。

では、なぜ「体に悪いもの」の方が満足感をもたらすのだろうか?色んな視点からこの問いに答えられるが、ここでは「目的」の有無という点から答えてみたい。先ほどの例で考えよう。体にいい食事は「健康のため」に食べる。食事それ自体ではなくて、その先の目的ありきの食事だ。一方で、体に悪いものは「食べたいから」食べるのではないか。食べたくなければ、体に悪いものを好き好んで食べる人なんかいない。アリストテレスが言うように、行為それ自体が目的となるような行為こそが幸福なのだ。

ここでさらに一歩考えを進めて、なぜ目的なき行為こそが幸福をもたらすのかを考えてみる。目的の前では、過程は全く意味をなさない。目的を達成しさえすれば、その過程はどうでもいいからだ。健康という目的に適うものであれば、食べるものは野菜でも肉でも、なんでもいい。一方で、アイスは美味しいから食べる。そこに目的はなく、アイスは決して他の何かであってはならない。つまり、目的にとらわれると、その過程の「体験」が阻害される。

人生は「体験」の連続である。だから、目的によって「体験」が阻害されると、人生は空疎なものになってしまう。人生が空虚になれば、当然不幸になる。言い換えると、目的なき行為によって、目の前の「体験」をじっくりと味わえば、充実した人生を送れ、幸福になれる。そういうことではないだろうか。

でも、だからと言って、目的を完全に排除しようとしてはならない。そこには「目的を排除しようとする目的」があるからだ。それに、目的にはいい面もある。例えば、目的に向かって努力するからこそ、人は成長できる。じゃあ、どうすればいいのだろうか?

別に、目的のために行動を起こすのは何も問題ない。しかし、実際に行動するときは、行為それ自体のためにするのでなくてはならない。目的意識を持ちつつも、マインドフルに、目の前の出来事を体験するのだ。難しく考える必要はない。要するに、豊かな人生を送るには、あれこれ考えず、目の前のことを楽しむのが1番なのだ。だからあなたも、日々の出来事を思いっきり味わい尽くしてみてはどうだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?