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「無駄」は本当に無駄?

最近、ますます効率や生産性が重視される世の中になってきている。確かに、それらは俺たちに大きな恩恵をもたらしてくれた。機械化、情報化が進んだからこそ、今の豊かな生活がある。それは否定できない事実だ。でも、効率や生産性を追い求め過ぎたために、失ってしまったものも沢山あるのではないか。

例えば、食事について考えてみよう。最近では、多くの人がファストフードやコンビニ飯を買うようになった。もちろん、それらには時短や便利などのいい面もある。だけどその代償として、心身の健康や、誰か共に食事をする豊かさなど、多くのものを失っているように思う。時間をかけて手作りし、誰かと食べるからこそ得られる恩恵を、効率主義のこの世界は、無駄なものだと切り捨てる。

今の世界では、無駄なもの、無意味なものはどんどん切り捨てられる。だけど、一見無駄に見えるものこそ、人生を豊かにする上で本当に大切なものなのではないだろうか。上の例からもわかるように、「無駄」というのは「効率や生産性の向上という観点から」は無駄という意味でしかない。

だけど、俺たちの人生において重要なことはそれだけなのだろうか。効率や生産性だけを追い求めるならば、俺たちは機械と何も変わらない。そんな人生のいったい何がいいだろう?「無駄」を存分に享受してこそ、人間らしい生と言えるのではないか。

だからこそ、今俺たちがすべきことは、不要だと切り捨ててしまった「無駄」を取り戻すことだ。そのためには、まず「心の余裕」を取り戻す必要がある。生産性にとらわれ、「有意義なことをしなければ」と焦っていては、目の前にある本当の豊かさを享受できない。

何も特別なことはしなくていい。のんびり散歩する時間や、食事をじっくり味わう時間を、1日の中に取り入れるだけでいいのだ。そうして「心の余裕」を取り戻せば、これまで気づかなかった豊かさに気づくようになる。きっと毎日がもっと楽しくなる。

だから、1日の中にほんの少しでも、「無駄」を取り入れてはどうだろうか。

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