3月11日の旅‐プロローグ
2021年3月11日。
まだ新型コロナが落ち着かず、周囲が隣県でさえ行くのを必死に拒んだ時期だった。
それでも、行きたいところがあった。
前日3月10日に秋田を出、盛岡の大学に在学していた同郷の親友と合流し、盛岡を11日の午前2時過ぎに三陸へと飛ばした。
2021年3月11日は東日本大震災の発生から10年。
この日だからこそ被災地を訪れたいという思いだった。まずは、それまでに至った話をつらつら書き記しておきたい。
2011年3月11日は秋田にいた。
感じたことのない大揺れ。雪降る中での停電。
近くで殺人が起きたとかというデマ。
ラジオから繰り返し流れる”〇〇は壊滅的”の言葉。
続く余震。怖かった。
数日以内にインフラが戻り、少し胸をなでおろしてつけたテレビの映像に言葉を失った。
津波。濁流。流れる家と車と…。なくなった街。
同じ東北なので親近感はあったといえ、非常に遠いのもあり、訪問した地域も殆どない。正直馴染みは薄かった。しかし、年を経るにつれて行きたいという気持ちが強くなっていった。
小さい頃、乗り物が好きだったこともあり、車では助手席で、列車では運転台にへばりついて景色を眺めていた。好きが嵩じて地図も眺めるようになった。
地図を開く度、いろいろ疑問が湧いてくる。
なぜそこに道路、線路があるのか。
なぜそこに街ができたのか。
そこに住む人はどのような営みを行っているのか。
その街はどう変わるのか。
こうして、街に興味をもちはじめた。
時間を作れるようになった大学生時代。親友が盛岡の大学に行ったので、遊びに行く機会が増えた。彼らから震災や復興の話を聞くようになった。大学で取組みが続きているのだと言う。
被災地に行きたいと感じるきっかけが揃ってきた。
プロローグ②につづく
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