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メンタル弱者のサバイバル

休職中につき、日々noteを書いています。

今回は「サバイバル」についての考察。
メンタル弱者の、とかタイトルに入れていますが、あまり関係ないかも。
現代人なら誰にとっても、という視点でどうぞ。

現代社会のサバイバル

「サバイバル」と聞くと、何をイメージするでしょうか。
単語の意味は、"困難な状況の中で、生き残ること"です。

私の場合、シルベスター・スタローンの昔の映画『ランボー』が、まず頭に浮かびます。サバイバルナイフ1本で、大勢の追っ手を相手に闘っていましたよね。しかも、実は誰も殺していないそうです(!)。

現代日本においては、そんな極限の状態に陥ることはまずないので、サバイバルという言葉は、大きく分類して、主に3つの意味で使われている印象です。

①社会生活の生き残り術(仕事や暮らし、経済、健康など)
②自然災害からの生き残り術(地震や津波、洪水など=防災)
③趣味の事故などで助かる方法(登山や釣りなどアウトドアスポーツ)

※私が勝手に分類しただけです。
②も③も大きなテーマで、それだけで何冊も本が出てそうな話ですが、それらはある意味特殊な状況下なので、今回は日常的な①の範囲について書いてみます。

現代、必要なサバイバル術とは?

生き残るためには、何らかの個人のスキル(能力)が必要と思っていませんか?

もちろん、大人になっても常に勉強は必要で、新しい知識や情報を得ることはとても大事です。
学んだことから、とっさのことに応用できたり、事前に備える力、というのも生き残るためには重要でしょう。

知識や技術を持っているに越したことはないのですが、自分の能力を高めていくことだけが、最も有効な生き残る術である、と考えるのは、ちょっと疑問です。

すべての人が、あらゆる分野で人並み以上の能力を持てるわけではないし、個人でできることにも限界はあります。

例えば、キャンプに行って、生の食材があるのに、それらを調理するための火がなかったとします。
火種を忘れたってことね。痛恨のミス。

その時、乾燥した木材の摩擦によって火をおこす知識を持っており、森に入って探し出した小枝を使い、必死で時間をかけて木をゴシゴシするのか。
それとも、そこらの人に「すみません、ライターを貸してください」と頼むのか。
後者のほうが、圧倒的に早いし、確実と思いませんか?

アウトドアで怪我をしたときも同様。
薬になる成分を含んだ野草を知っているとか、ヒグマの油を傷に塗るとか(ゴールデンカムイで言ってた)よりも、「誰か応急セット持っている人はいませんか?」と呼びかけて、すみやかに現代の医薬品で処置をするのが賢明です。

何が言いたいかというと、自力で生き残るための知識や技術を持っていたとしても、人の助けを借りることができる能力のほうが、圧倒的に生きやすくなるのです。

そもそも人は他人と協力し合える動物です。
よほどのことでなければ(自分に大きな害がなければ)、人から助けを求められたり、人を助けることは、不愉快なことではない、と思う人が大半だと思います。
まあ、これは性善説に頼り気味の意見かもしれませんけど。

まとめ

まとまりのない文章になってしまいました。
無理矢理まとめると、現代社会を生き抜く力=サバイバルというのは、

1.素直に人に助けを求めることができるマインド
2.信用できる頼り先を判別できる能力
3.助けられたら、素直に感謝を表すことができる謙虚さ
4.別の誰かを助ける気持ちを持てること

ということだと思っています。
一言で言うと「頼り力」とでも言いましょうか。

何もかも他人に依存する、ということではありません。
共助の精神とも言えるかと思います。

振り返ってみれば、仕事でも「許容量を超えている」、「責任が重い」みたいな状況になっているのに、「手伝って」とか「これ以上は無理」と言えなくて、倒れてしまうケースもあるのでは。

頼る人がいない、という場合もあると思いますが、頼る先は身近な人物だけとは限りません。
見知らぬ人かもしれないし、公共のシステムだったり、情報だったり、機械、サービス、アプリ、場所、本など、何か助けになるものはないか、という視点で広く世界を見渡してみるといいと思います。

探している答えは、すぐ隣の人の中にあるかもしれないし、手の中の画面にあるかもしれません。


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