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なんでもない記憶こそ大切だった

おじいちゃんとまごの話。

私は、祖父母と
ともに生活していた。
今は二人とも亡くなり居なくなってしまったけど。

現在の日々の中で
子供のころの祖父母との思い出を
ちらちら思い出すことはそう多くない。

先日、サブスクでザッピングして何か見るものを探していたら
小学校の時によく見ていたドラマを見つけた。
鮮明に覚えていたそのドラマの印象は
男女の恋愛もの、ドロドロみたいな、悲劇もありみたいな。
一体、小学生の私は何に惹かれてこのドラマを毎週みていたのだ?
しかも毎週、祖父と一緒に見ていたんだ。

その当時の記憶を思い出して
幼少の私はこの当時にはテレビっ子として完成している
ことは間違いない。
そして今になって思うことは、
なぜ、祖父は何も言わず一緒にこのドラマを見てくれていたのか?
祖父はそもそも、時代劇や火曜サスペンス劇場とかが好きな人であった。
だから、若い男女の恋愛のドロドロの悲劇的な作品に惹かれるはずもない。
私自身もどうして毎週熱心にそのドラマを見ていたのかも不明なのだ。
祖父はただ、私に付き合って一緒に観てくれていた。
それだけなんだと思う。
なんだかありがたいなと思いながら20年ぶりの同じドラマを見て感じていたことは、一緒に観てくれた理由はわからない。
だけど、20年経ったいまでも、その記憶があるということが
とても大切な出来事になっていること。

祖父からしたら、孫に対してどんな気持ちだったんだろうと
単純な疑問も出てくる。
この子はこういうドラマが好きなのかとか?ね。

観ながら何かを話したかはあまり記憶がないが、
もし今、生きてたりしたら聞いてみたいと思う。
どうして一緒に観てくれていたの?と。

居なくなった人だと聞けないからこそ思うこと。
もう聞くことができない人の行動って
その理由を知りたくなるものなんだと。

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