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王の挽歌【読書のきろく】

悩みや葛藤と向き合い続けた生き様に、人としての共感を感じる

こころの声を聴く』の中に収録されている、河合隼雄先生と遠藤周作さんの対話。そこで話題に挙げられている作品が、『王の挽歌』です。

ここでの王は、戦国時代の九州の大名、大友宗麟。

「挽歌」、はじめて触れることばなので、調べてみました。

「挽歌」
①死んだ人を送るときに歌う歌。②人の死を悲しんで作った歌。

>三省堂 現代新国語辞典【第五版】より

その人生を描いた物語が、今は亡き王に捧げる歌である、といったところでしょうか。

大友宗麟は、ゲーム「信長の野望」にも登場し、個人的に好きな武将の一人です。好きの基準は、ゲームの中で強いかどうか、なんですが・・・。政治力、武力、知力、それぞれが、なかなかのパラメータになっています。ですが、人物像については、ほとんど知りませんでした。

読んでみると、悩みや葛藤と向き合い続けた生き様に、人としての共感を感じます。

名家に生まれ、苦労を知らずに大名の座についたと周りからは思われているけれど、心の内は常に葛藤に揺れていた宗麟。下剋上の世で、周辺の国々とは絶えず駆け引きを繰り返し、一族の中からも裏切りが生まれる。そんな中で出会った、キリスト教の宣教師。
異国の神父に対して、こんなことも打ち明けるのです。

「そなた・・・・他人を・・・・信じることができるか」
と彼は、秘密でも打ち明けるように低い声で、
「余は心より他人を信じることができぬ。家形である身として・・・・余は一族過家臣はもとより身の周りの誰をも、いや・・・・おのれの心さえも信じられぬことだ」

>王の挽歌 (上) p.140

この葛藤は、歪んだ性的支配にも向かい、そこに溺れてしまう瞬間と、そんな自分を客観的に見てさらに自己否定を感じる悪循環も生み出ます。
キリスト教の道に心が傾くものの、仏教・神道を信じる家臣や領民たちを思うと、個人の思想の自由も抑えないといけない。
そうやって、ずっと迷い続ける人生を歩んでいるのです。

ちなみに、宗麟が出会い影響を受けた宣教師は、かの有名なフランシスコ・サビエル。でも、出会った瞬間からキリスト教の信者になったのではなく、はじめは貿易手段としか見なしていません。他国との戦闘や騙し合いを繰り返す中で、領主としての振る舞いと個人の心の揺れ幅が大きくなります。心の内側が揺れ動くその過程がしっかりと描かれていて、読み応えがありました。

もうひとつ、キリスト教が日本にどんな根を張り、どう浸透していくかという宗教の姿もおもしろかったです。これは、遠藤周作さんの『沈黙』でも描かれていたので、遠藤さんにとって重要なテーマのひとつなのかもしれません。
仏教や神道との対比で、どちらか一方を正として他方を否定するだけでは自己否定も孕んでいることが浮き彫りになるのは、宗教の分野に限らず、人と人とが生きていく環境の中で気を付けなければいけない問題だと思わせてくれました。

読書のきろく 2021年48・49冊目
『王の挽歌 上・下』
#遠藤周作
#新潮社文庫

#読書のきろく2021 #歴史小説

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