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「円坐」を体験した話


2023年8月29日(月)16:20頃

横浜市青葉区の里のengawaに到着
里の恵季(eki)をフランス人の方が流暢な日本語で案内してくれる
手作りの木工や陶器や畑で採れたものや加工したものが並んでいた

17:00 「はなれ」に移動して円に置かれた座布団に6名が座る

主催は中尾さとしさん
16時過ぎには田んぼに入って膝下は泥だらけになっていた
自然にとけこんでるいいおじさんだなーって第一印象(*^ω^*)

「円坐」初体験٩( ᐛ )و

「決まっているのは17時から19時までという時間だけで自由です」
「よろしくお願いします」の後に様子を伺う空気が漂う

テーマはない
そこに集って円に座した人
話しても話さなくてもいい
話したくなれば話す
聴く人がいて尋ねる人がいる
ただそれだけ

自由なので自己紹介と動機を切り出してみた
僕の参加した動機の一つ
「対話をテーマとする活動をしている人や場のご縁が増えている」
いろんな思いで対話の場があるけれど同じではない
「円坐」はどんなものなのか体験してみたい

参加する動機や目的はそれぞれあるだろう
初対面もいれば、顔見知りがいたり
関係性も話題もどうなるかわからない場
話して深めたい気持ちで期待しても
期待通りになるかもしれないし
期待外れになるかもしれない
いろんな人の思うことや考えは聴けるだろう
積極的に話そうとすれば話せだろう
そんなことを思いながら
あとはその場の雰囲気に身を委ねてみた

家族、友達、仕事上などの人間関係、社会の捉え方
主観、客観、好き、嫌い、メソッド、NVC、オープンダイアローグ
いくつかの話題、色んな言葉で話は流れていく
話すタイミング、目線、仕草もそれぞれ
その時間を共有しているけれど
何をどこまで共有できているかはわからない
一期一会を楽しむ場なのかな・・
こんな場があるんだと興味深い初体験でした(*^ω^*)

一人一人の話をもっと時間をとって対話してみたい
という感想を聴いた時
だよね〜わかる〜(*゚▽゚*)と思った


「会話や人間関係で大切にしていること

って何だろうなぁ気になってました」
そんな言葉を終了後のメッセージでいただいた
帰りの電車で読みながら思ったのは

・相手がどんな人で何を思っているか関心を持つ
・ありのままを受け止める(自分の捉え方、ブラック含む( ^ω^ ))

電車の乗換えしながら、他にもあるよなぁ・・

会話なら
・話の内容は事実とは違う(話す人の主観で語られている)
・感じてること、思うこと、考えてることを言葉にしてもらう
・否定しない
・自分は話しすぎない
・思うことは伝え方や伝えるタイミングを考える

人間関係なら
・相手の距離感と自分の距離感を考える
・相手の立場や価値判断を尊重する
・相手も自分も気持ちを大事にする
・無理をしない

そんなことが浮かんできた
思っていてもできているとは限らないけど
仕事的な思考になってきた・・ヤバ( ・∇・)


ソーシャルワーカーの経験で思う

関係構築や支援者として学んだことが染みついている
「ラポール形成」「バイステックの7原則」「面接技術」・・
色々と浮かんでしまうのも当然
それが役立つことももちろんあるけれど
学んでいても上手くいくとは限らない
「円坐」で「メソッド」というワードが飛び交ってたのが気になった

医療や福祉の現場でメソッドに囚われすぎと感じる経験を思い出す
効果的とされるメソッドを活用してもうまくいかない話は多い
メソッドを意識するのか、人を意識するのか、何を大切にするのか
運営する人にもよるし利用する人にもよる

メソッドは活用しやすいようにルールや理論を明確にしたもの
効果的なエビデンスがあるということで輸入されるものが多い
支援課程や診療報酬など仕組みに組み込まれていく
このメソッドを実施すれば「収益」になる
このメソッドを取り入れていることが「アピール」になる
「やり方」を知る人も増える

情報がなく手探りの状態より
情報や選択肢があることはメリットになる
でも疑問に思うことも多く経験してきた

ひとつの手段としての選択肢にすぎないのに
社会や業界に変化を促すためのツールとなった時
活用しようとする人や変化を期待する人は
「やり方」を多くの人に「当てはめる」作業になりやすい
社会や業界も「当てはめれば」「収益」になると受け止めてしまう
そんな仕組みを作って誘導していく
学歴のある人?成績のいい人?はそうやって仕組化して人を動かす
人は社会はそんなことを繰り返していると思う


「感動」をよく考える

円坐を体験して思ったこと
メッセージで尋ねてもらって思ったことから
1日経過して感想を追記してみる

対話や関係性で大切にしてること

多くの人との関わりを重ねて「感動」を意識することが増えた
「感動のポイントはどこだろう」

何に感じるかは人によって違う
感じるものがないと心も動かない
心が動かないと行動しない
心が動いてない行動は続かない

人も社会も変わっていくもの
挫折だったり成長だったり
いろんな経験から考えや行動も変わっていく
でも「感動」したことは心に残っていく
心に残っていることは思いだす時がある
そういう事がその人の軸を支えている

人の「感じて心が動く」ところを刺激した時
やっと「気づく」ところに近づける

それでも「気づくのは本人次第」
気づこうとしない人もいるし
向き合うのが辛い時もある
心が動いて気づきを得て行動できる人もいる
どちらがいいいとか悪いとかでもない

力不足を感じることも多い
結果が怖かったり不安になることもある
相性もあるだろうけれど
あるがままを認めて
今の自分にできることをやるかやらないか
できなくてもチャレンジするか、努力するか
それは自分次第

自分も感動できないことは心が込もってないはず


何と向き合うのか

「関係性」「対話」は相手がいる言葉であるけれど
自分との関係性や対話も大事と思う

円坐の字を見て「もう一人の自分に気づく」を思い出した
興味があれば読んでみてください

円坐という場の面白さも感じる
目的やテーマを明確にした場ももちろん必要
どんな場であっても影響しあえることは必ずある
刺激を受けたり気づくことがあったり
円坐で感じたことを振り返って書いてみたけれど
初めてで不思議で面白いと思ったことと
専門職の立場から離れて体験していることであっても
ソーシャルワーカーの経験を意識している自分を再認識できた


円坐の場を作っていただいた主催のさとしさん
同じ時間と場所で共有した方々
この円坐に声をかけていただいたもちゃさんに感謝です!
一緒に参加したもちゃさんの感想にも興味津々(@ ̄ρ ̄@)


最後まで読んでいただいてありがとうございます。


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