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対話6/これって本当に豊かな社会なのか?(後編)

前編はこちら↓


※本記事は対話形式で進んでいきます。
※イ=イト吉、与=与多朗の発話です。
※連想があればぜひコメント下さい!


イ:じゃあ、どんな社会が”豊か”っていえるんだろうね?

与:このアゴラの取り組み自体それなんだけど、やっぱり”対話に拓かれた社会”は豊かな気がする。
それと、最近、明石市の元市長の本を読んだんだけど、子供がワイワイいる社会は豊かな社会な感じがするかな。

イ:ほー。なんとなく、交流が盛んなイメージなのかな?

与:うん。なんか、思ったんだけど、東京って全然豊かな感じしなくて。『社会』って感じがしないんだよね。東京って『社会』じゃなくて『機関』なイメージ

イ:『機関』かぁ…たしかに、機能的な街ってイメージはあるね。
私は最近、胎児学の本を読んだんだけど、あとがきに書いてあったことが印象に残ってて。
文化っていうのは、おじいちゃんおばあちゃんが孫から学べることもあるし、孫が祖父母世代から学べることもあるしで、上下の世代で双方向に学び合えるところがいいんだって。

与:ほうほう。それで?

イ:それで、さっき与多朗君が言ってた『社会』と『機関』の違いって、
”文化があるかどうか”なのかなと思って

私のイメージだけど、『社会』には文化があって、『機関』にはなさそう…あ、でも、東京は文化めっちゃあるか。

与:一理あるな。機関っぽい社会なのかもしんないし。
祖父母の話に戻るけど、やっぱりその関係性って大事な気がする。
ちょっと言語化が難しい話して良い?

イ:ええよ(身構える)。

与:世帯間交流って大事っていう話なんだけど。
自分から見る親と、自分の子供から見る祖父母って、見え方がまるで違うんじゃないかっていう。

※与多朗のイメージ

イ:ほぉ・・・?

与:自分から見た親って、なんていうか、絶対的に『親』やん?
親が自分にとっての『祖父母』には絶対見えないというか。
でも、自分の子供からしたら、”どう見てもおじいちゃんおばあちゃん”になる。

イ:何となくわかるで。

与:そこにある絶対的な関係性って、大事な気がしてて。
要は、親と子供の交流だけじゃなくて、ちょっと遠い祖父母と孫の交流って、めっちゃ絶対的に個別的なもので、重要なんじゃないかって思った。

イ:つまり、距離感ってことよね?
自分を挟んで上下の世代が一つ飛ばしの距離感で交流してる感覚って、そこにしかない
ものというか。

与:そうだね。そんな感じ。
その関係性の中で継承されていく文化って、大事やなってはなし。

イ:ちょっとズレるかもだけど、知り合いの用務員のおじちゃんが私にとって祖父世代でさ、いろいろ良いエピソード持ってて。

与:ほう。

イ:その人は中学生の頃に悪ガキで、悪知恵使ってめちゃくちゃしてたらしいのよ。教師に迷惑かけてたりするんだけど、本人なりの正義を貫きたかった思春期の至りみたいな感じで、私はめっちゃ笑っちゃうのね。
”もうそれ、ギャグ漫画やん!”みたいな。

与:なんか、血が通ってる感じのエピソードを持ってるんかな?

イ:そう!そういう過去の時代の手触りがわかる個人のエピソードって、大事な知見だと思うし、上の世代から学べる文化なんじゃないかって。

与:なるほど。確かに、大人がギリ許されるレベルの悪いことしてた暴露話って、ちょっと嬉しいよな。

イ:自分の中で許容されるレベルの悪い話聞くと、ちょっとワクワクしちゃうんだよね。あとさ、若い頃にある程度不道徳を通ってる人の方が、倫理的な大人になれたりとかもしない?GTOの鬼塚みたいなイメージ。

与:ワルい世界を知ってるから道徳的に生きられるようになる、的な?

イ:そうそう!だから、私は若い内に不道徳を知っておくことはある程度必要だと思うんだけど、そういうのを全く笑えないって人が増えてる気がする。知識も教養も増えた分、センシティブになってきてるというか。

与:それでいうと、今の社会って本当に規制が多いよね。ハラスメントもいろんなのがあるし。どんどん厳しくなってる。銭湯とかも年齢がどんどん下がってて。
東京03の角田さんのすべらない話で好きなのが、小さい頃、女風呂に入ったら勃起してたってエピソードなんだけど。

イ:笑

与:そういう話とかも今後は無くなってっちゃうんじゃないかって思うと、ちょっと悲しいよね。

イ:確かに。なんだろうね、このさみしさは。

与:個人的にだけど、規則って、厳しくするのは簡単だけど、緩めるのが難しいもんだと思ってるわ。作ったが最後「この規制無くします」って言うハードルが高いというか。例えば、子供の身体が早期に成熟するようになっても、飲酒年齢引き下げの判断って難しそうじゃない?

イ:たしかに。

与:で、規則が増えて細かく管理されちゃう結果、抜け道がなくなるというか。その結果として息苦しくなっちゃって、Tiktokとかに逃げちゃうのかなっていう仮説。
その用務員さんみたいな小さいワルができない社会になった結果、酒・性・ネット・金とかの刺激物に走っちゃうのかなって思った。

イ:ちょっとわかるな…。
さっき”血の通ったエピソード”って言ってくれたけど、そういう生きた実感ってすごく大事で、それがないと変な刺激が欲しくなるのかもね。
ちょっと戻すけど、豊かな社会のテーマって、実感を伴う”つながり”なんじゃないかと思った。

与:ほう。

イ:上下世代とのつながりでいうと、自分のルーツを知ることは大事だと思って。

与:というと?

イ:”ああ俺のじいちゃんはこんな人だったんだ”とか、”こういう流れの中で生まれてきたのか”とか。
自分が生まれるまでの世代の歴史を知ってると、今の自分の足元にぐっと実感が湧いて、どう生きたいかが考え易くなる気がするんだよね。

与:確かに!それはわかる気がするな。ルーツって語源は”根”だし、根がしっかりあるとそこから豊かな枝葉が育てられるイメージ。

イ:おお!たしかに。

与:それでいうと、家族のルーツだけじゃなくて、社会のルーツを知ることも大事な気がする。例えば、自分の地域とか学校の歴史を知るのって、現在の自分が過去と繋がっていく感じがするというか。それも一緒じゃない?

イ:それでいうと、祭りとか校歌とかって、世代を繋ぐ力があるのかな?
こないだ駅のホームでおばあちゃんと孫が一緒に東京音頭歌ってて。あと、母校の校歌の話って世代を超えて盛り上がれる感じない?
”歌”がすごいんかな。

与:長く歌い継がれる歌にはやっぱそれなりの理由があるんじゃない?
あと、たしかに、校歌ってその地域の良さを反映してる気がするわ。
今振り返ると、母校の校歌の歌詞って結構いいなって。大人になってから良さに気がついたけど、歌詞見ると「なんか良いところで育ったんやな」って実感できる。

イ:その「なんか良いところで育ったんやな」って感覚、めちゃくちゃ大事な気がする。
地域でも家族でも、”なんか自分はいい所に生まれてきたらしい”って子供が思えるような環境が増えたら、豊かな社会になっていきそう。

与:それでいうと、去年、僕の母校が過疎化でなくなっちゃったんだよね。
当時はあんま気にしてなかったんだけど、今になってめっちゃ悲しくなってきた。
なんか、”あの校歌を歌える人が今後は減っていく一方なんだな”と思うと、途端に悲しい。

イ:たしかにな〜。受け継ぐ/受け継がれるって、結構幸せなことなのかもね。
過去と未来が現在の自分から伸びて繋がっていく感じというか。そういう連続性が感じられるようになると、足元から広がる面積が増えて人は安定する気がするんだよな。

与:それでいうと、最初に言った明石市の施策みたいのはやっぱ大事なんじゃないかな〜。

イ:どんな施策なの?

与:色々あるんだけど、まずは子供を増やしていくっていう。
要は、人が増えれば中学校の校歌を歌い繋ぐ人がいなくならない感じ。

イ:後継者不足にならないってことね。

与:そう思うと、豊かな社会って、成長もしなくて退化もしない社会なんかなって思えてくるんだよな。成長し過ぎても問題が出てくるし、退化し過ぎても問題が起きる。同じくらいの人数と資源を持続的に回して繋いでいく社会みたいな。

イ:安定した循環の中で成熟していくってことかな?ぬか床みたいにね。

与:ぬか床は臭いから勘弁。

イ:子供を増やすと言えば、優生思想についても思うことがあって…。
最近、出生前診断とかで、優秀な遺伝子を残そうっていう動きもあるっぽいじゃん?

与:うん。

イ:能力的に”優秀”なオールA人間ばっかりになったら、つまらんくねというか。学校とかでもそうだけど、やっぱり、色んな人がいるのが豊かさに繋がるんじゃないかと思って。一本化されるのって、面白くないというか。

与:確かに。
僕が最近危惧してることでいうと、電車の中でTiktok見てる人が本当に多いんだよね。ちょっと衝撃的で。
普段距離取ってるから実感なかったんだけど、ふと気がついた時に「うわ、ほんまにめっちゃ多いんや」って、怖くなった。

イ:ほんまにな〜〜〜。

与:あと、今後、考えない人が増えた場合に知的水準が低くなる怖さもあって。
思考しない人が増えると、”戦争が起こっちゃう”んじゃないかって思って。

イ:急に怖。TikTokしてる人が考えてないとは限らんけどな。

与:思考停止してると仮定させて。今後、祖父母間の交流がなくなったり、想像力や倫理観が少なくなって、戦争っていう選択が出てきちゃうんじゃないかって思うの。飛躍しすぎかも知らんけど。

イ:いや、まあ、わからんではないよ。羊さんが増えるのは危険よな。
リアルな”死”が日常から遠くなってて、人身事故が起きた時に「ふざけんなよ」みたいなトーンの人が増えてたりするじゃん。あれも怖い。

与:Tiktokとか、ChatGPTとかもそうなんだけど、自分の頭で考える人がいなくなる怖さがあるよな。絶望するよ…大人でさえこうなんだから、現代に生まれた子供なんてもっと呑まれてるんじゃないかって、SNSに。

イ:いや、私は、子供には希望があると思うわ!子供のSNS依存も、親がいかに制限をかけるかとか、SNS以外の楽しさを教えるかとかで、柔軟に育っていける部分があると思う。私的には、20代〜30代くらいの人たちの方が心配かな。


アゴラの鐘『カンカンカン!今日はお時間で〜〜す』


後半戦はいかがでしたか?

随分長く喋ってしまいました。
まだまだ連想がありましたが、今回はこの辺で一旦とじます。

記事を読んで感じたことや考えたことがあれば、ぜひコメントくださいね!
お待ちしております。それでは、また〜!


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