見出し画像

祖母のこと

おはようございます☀
youdesign の悠です。
いつもありがとうございます✨

実は昨日は、祖母のことで父と言い合いに。
久しぶりに泣きながら話をしました。

昨日こちらでも、ちょうど父の話をしたので
ついでにその話をしようと思います。

なぜ言い合いになったのかというと。

祖母は今青森に一人暮らしをしていて
最近体と心が弱ってきたこともあり
私も毎日電話していました。

そんな祖母が
昨日は今までにないくらい弱弱しく
子どものように泣いていたんです。

こんなに辛いと思わなかった
こんなに寂しいと思わなかった
誰も自分の苦しみをわかってくれない

そして、
昔出稼ぎに出たばかりに、
子ども(父と叔父)を育てられなかった後悔。

今、息子に引き取ってもらえず
一緒に住むこともできない寂しさ。

これまでは気丈に
「おばあちゃん一人でも大丈夫だから」
といって生きてきた祖母ですが
ここにきて寂しさの悲しみがあふれ出てきたのです。

そんな祖母の背景を知らないと
ここから先の話が進まないので
綴らせていただくと

祖母は幼い頃に母をなくしており
母の記憶、愛された記憶がないと言います。

家は貧しく
我慢して我慢して生活してきた。

母が亡くなってからは
毎日お仏壇にお水を供えて
お祈りをしているという祖母。

縁あって祖父と出会い、結婚。
戦時中、満州に住んでいたという祖父。
自分のことを「みなしご」だと言っており
祖母もそれを信じていたそうです。

そして父と叔父が誕生。

北海道で、仕事に就いて穏やかに暮らしていました

しかしそこに
いないと思っていた祖父の母が
満州から帰ってきたのです。

祖母は驚いたそうです。
なにせ孤児と聞いていたから…

しかし、祖父は黙っていたんですね。

その、私にとっての曾祖母は満州で苦労して
夫(祖父の父)と生き別れになり
中国人と再婚。
(生きていくために無理やり…)

そんな曾祖母(祖父の母)が返ってきてから
祖母の人生は狂ったと言います。

祖母のことも養わなければいけなくなり
祖母の命で、東京に出稼ぎに出ることになったんです。

その間、子ども(父、叔父)の面倒は
曾祖母が見るから、出稼ぎに行け、ということ。

子どもと離れる悲しみを背負いながら
祖母は一生懸命働きました。

そして当時の話を聞くと
父も叔父も寂しかったと言います。

そして現在
父も叔父も東京に出てきて結婚。

祖父、曾祖母が24年前に亡くなり、
それからずっと祖母は一人暮らし。

そして現在に至ります。

祖母はそのときのことを
ひどく後悔しています。

やっぱりちゃんと子育てしたかった…!!
あの時手放したから
私は今こうして一人ぼっちなんだ…
と。

そんなことを電話越しに泣きながら話す祖母の声は
まるで幼い子供のようで。

たぶんその声は
息子たちに言っているというよりも
自分の母に言いたかったことなんじゃないかなって。

「ちゃんと育ててほしかった…!」
「手放さないでほしかった…!」
「愛してほしかった…!」

祖母は、表面上は気丈に生きていたけれど
心の中ではずっと愛を求めて
悲しみの中で生きてきたんじゃないかな。

毎日電話する中で
そう思いました。

そんな祖母。

昨日は本当に辛そうで。
実際に体調も悪くて
熱も出ている祖母。

これは「不安」からくる症状だと
お医者さんは話しているそうです。

私もちょっともらってしまい
泣きながらの電話でした。

そして
そんな祖母のことをずっと父も心配していて
今日、青森に会いに行くとのことだったので

私の祖母のことを父に伝えようと
実家に帰ったのです。

そこで勃発した言い合い。

ちょっと長くなったので
続きはまた明日。

お読みいただきありがとうございました✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?