みんなドMなのかもしれない

 今朝、この記事を見つけ、思うところがあり自分もこのことについて書きたいと思いました。

 記事の筆者は、境野今日子さん。プロフィールは上の記事に載っている名前をクリックしてもらえればご覧になれます。

 さて、この記事の題名「仕事は辛くて当たり前、給料はガマン料」という日本にある文化。皆さんはどう思いますか?日本社会への疑問ばっかりの僕の、バイアスかかりまくりの視点から言わせていただくと、「どんだけドMなの?」って感じです。

 僕は、社会人ではなく、ただの大学生なので、社会人の方が言うところの「社会の辛さ」とか「働くことの辛さ」をまだ知らないと思います。

 だから、社会人の立場からの意見を想像で話すなんて、恐れ多くて出来ません。 

 でも、この記事で出てくる境野さんが声をかけたと言う男性の姿や、境野さんが鬱になってしまったなどの話を聞いていると、こんなことを思ってしまいます。

 その会社に居るってことは、何かその会社でしたいことがあったり、その次のステップに向けての準備をしているんですよね?

 そうじゃなきゃ、会社に在籍している意味って何になるんでしょう?

 少なくとも僕にはわかりません。そういう、価値を提供してくれない会社は淘汰されていっても、従業員を満足させる努力が足りないんじゃない?っていう風に思ってしまいます。

 一方で、もちろん仕事を自ら、やりがいのあるものにしていく努力は欠かせないと思っています。受け身の「やらされる」じゃなくて、自発的に「やってやる」の心は最低限持つとして、限界点まで自分の頑張りで自分周りの環境整備することは必須ですよね。

 そういった考え方は、アドラー心理学から来ています。「自分はもちろん歩み寄れるところまで歩み寄るが、相手がそれに応じてくれるかは期待しない」を実践することで、結局与えられない限り、「じゃあ会社辞めよう」って僕だったらなると思います。

 それでも、仕事がまだ「給料をもらうため」になる人は、多分これから苦労するのではないかと思います。そのことについて漠然とした不安を抱えている方は、田端信太朗さんのこの本を読んで、何かしら行動を起こせばいいと思います。

 僕も読みましたが、「アドラー心理学が根底にあるのかな?」なんて今ふっと思いました。(ちげーよ!っていう反論は大募集です)

 ちなみにアドラー心理学を勉強したい方は、こちらからどうぞ。


 

 まだ学生の方は、僕みたいに休学し、一年だったり半年間、自分にあった生き方を考えてみてもいいかもしれません。選択肢があると良いって言うのはよく言われますよね。選択の自由。個人的には、日本で就職するのが全てではないと思うので・・・良ければ、前に僕が書いた記事も読んでみてください。

 社会人の方にも、ワーホリしている方はたくさんいました。振り返ると、周りには間違いなく、サラリーマン辞めてきた!っていう人の方が多かったです。それを指をくわえて見るだけなのか、一歩踏み出すのかは個人の自由ですが。

 

 「給料はガマン料」この、日本の文化について、もう一度、自分が仕事と給料についてどう感じているか、一歩立ち止まって、心の中の「リトルあなた」に問い直す機会があって良いと思います。


それでは!



  

エンジニアリングとコーヒーをこよなく愛する新米エンジニア 夢は、「世代を超えて、それぞれの幸せを追求できる社会を創造する」こと エンジニアだけどコーヒーを上手に淹れます。 頂いたサポートは、より良いnoteの記事を生み出すために使っていきます。