言い訳させる
みなさんは、ケアレスミスをする人でしょうか? それともあまりしない人でしょうか?
先日、私はお客様へ書類を提出した後にミスに気が付きました。
言い訳をすると、データ量が多く、どこでどう間違っていたのかすら、
自分で確認しても気がつきませんでした。
こうしたケアレスミスは、どんなに気をつけていても、なかなかなくならないものと思います。
誤字脱字、計算ミス、人の名前のミス、提出日の誤認、メールの返事、、、
気が付くといろんな場面でケアレスミスをして、気づいたときにはもう遅い、、、そのたびに後悔をします。
私が高校受験の時、数学の点数が上がりませんでした。
あるとき、数学の先生をしていた父に勉強を見てもらったときのことです。私は計算ミスで多くの点数を落としていたことがわかりました。
ここで私は気づきました。
7を1と勘違いしていたために計算ミスをしていました。
このエピソードにあるケアレスミスは、
「自分のなかであたり前になっている。その行動がケアレスミスを生んでいることに気づいていない。なぜなら、それは正しいと思っているから。」
という考えが、振り返りや検算をしなくても問題ないという判断をした結果起きたものです。
当然、試験本番でも計算ミスをしています。
ここで、「この問題は、数字の書き方のケアレスミスだった」と言って終わってしまえば、そこで思考が止まります。
つまり、これを「ケアレスミス」と呼ぶのは、「このミスから学ぶことはありません」と言い切っている事と同じです。
「言い訳」って、マイナスなイメージがあると思います。
「言い訳するな!」と言われることがあっても、「言い訳しろ!」と言われることはほとんどないです。
しかし、言い訳は、
「なぜそのミスをしたのか」、
「次にそのミスをしなくなるためにどのような対策ができるのか」、
を考える重要なものだといえるのです。
例えば、時間がないからと焦ってしまい発生したミスもあれば、誰かにチェックしてもらうことで防げたはずだったのに、チェックできなかったことで起きたミスかもしれません。または、忘れっぽいのであればメモをすればいいのに、メモをしていなかったために起こったミスかもしれません。
なぜ、そのミスをしたのかがわかれば、当然対策も見えてきます。
先の計算間違いに限らず、時間がないというなら意図して時間を作ることや、誰かにチェックをしてもらう体制を整えることで対策できていたのかもしれません。
「ケアレスミス」はと言わずに、「言い訳」に向きあうことで、本来見えてこないような、そのミスの「本質」が見えてくるようになると考えられます。
そうであるならば、言い訳させてみてはどうでしょうか。
そのミスの本質に向き合う機会を与えることが、ミスをした人にとって、そのミスの本質に向き合うことができます。
その結果、ミスする人の割合は減っていくと思います。
「言い訳するな」ではなく「言い訳しろ!」と言ってみたらどうでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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