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第10回 父の見栄のための海外留学

 母の洋楽好きも相まって、私は中学から軽音部に所属していました。ピアノは幼い頃から習っていましたが、軽音部ではエレキベースを担当しました。中学生の時はガールズバンドにありがちなプリンセスプリンセスやジュディマリなんかをコピーして学園祭で披露していました。高校生になると体も大きくなり、エレキベースも板についてきたころ、学校外の友人との交友関係も広がり、近隣進学校の男子とバンドを組めることになりました。そのころ一世を風靡していたビジュアル系。私が担当のベース以外は男性のバンドで、L'Arc〜en〜Ciel、LUNA SEA、SIAM SHADEなどのコピーをして、ライブハウスにも出るようになりました。ライブハウスに出る時は、ビジュアル系の格好をしたい。そこで衣装を手作りし、唇も黒く塗り、いざ出演。そこで、観客として来てくれた女の子に、「すごいかっこいいね!本当にビジュアル系のバンドマンみたいだったよ」と言われたのが嬉しくて、その後10年足らずですが、男装人生を歩むことになります。バンドはそっちのけで、男装して女性にモテまくるという時代がもうすぐそこまで来ていました。しかし、このバンドでのライブが終わった後、私は交換留学で1年間ニュージーランドに行くことが決まっていました。なので、男装してモテる話はまた後程。

 留学することが決まっていたにも関わらず、留学の1か月ぐらい前から、私はそのバンドのギターの男の子と付き合い始めました。共通の音楽の趣味とバンドという一緒に行う活動の中で彼のことを好きになり、「あと日本には1か月ぐらいしかいないけど、付き合って欲しい」と告げてお付き合いがスタートします。私は後に男装する衣装も全部手作りするくらい、手芸が得意です。「これ、売り物のタグはずしただけでしょ?」と言われるくらい目の細かい手編みのマフラーをプレゼントしたのも後にも先にも彼だけ。彼とは彼の家で留学前に1回だけセックスしました。彼のことが大好きで、セックスした時は感動して、「離れたくない、留学したくない」という気持ちでセックスの後泣いてしまった。今思い返すと淡い思い出です。彼は学校を休んで、留学に出発する私を空港まで送りにきてくれたのですが、地元から成田までのバスのなかで、私は彼のちんぽをしゃぶりました。彼に「私のこと忘れないで、待ってて」という気持ちでフェラをしていたのですが、留学という生活が一変する環境に身を置いた私は、すっかり彼のことはどうでもよくなって、一応遠距離恋愛みたいなのをしていたのですが、私が留学先で英語力アップのために彼氏を作ったことが原因で、私がこっぴどく振った形で、お別れになってしまいました。このバンドマンの彼は今どこで何しているのか全く知りませんが、留学先で数日しか付き合わなかった彼はフェイスブックでつながっており、今は子だくさんのお父さんです。

 この交換留学は父が勧めてくれたもので、ひとえに父の「自分の娘を海外留学させた」と言いたいがための見栄だったと思います。しかし私にとっては人生の大きなターニングポイントで、留学経験は本当にかけがえのないもので留学させてくれた両親に心から感謝しています。異文化体験を通して多様性を学び、コミュニケーション能力や自立性が身についたと思います。留学する時に母に言われた言葉が忘れられません。「私は留学したかった。でも親が厳しくて留学できなかったからあなたが羨ましい。存分にいい経験をしてきなさい。でも遠くに離れていたら、私はあなたに何かあっても助けてあげることはできない。もしかしたら死んでしまうかもしれない。私はその覚悟であなたを送り出します。でも絶対に無事に戻ってきてね」というものでした。くしくも私が留学した時分は、アメリカに交換留学した日本人の高校生が、英語が聞き取れなくて銃で撃ち殺されるという事件がまだ記憶に新しい頃でした。私が母から自立できたのはこの留学経験と母のこの言葉があったからだと思います。私は留学経験のない母が英語ペラペラの方がよっぽどすごいと思いますが、たぶんそれは英語を話す彼氏がいたからだと私は思っていますが、母に問いただしても彼女は口を割りません。留学経験で得た語学力なんて数年で劣化してしまいますが、そこで培った価値観は自分の中でのパラダイム転換でした。

 ニュージーランドで滞在していたホストファミリーのお姉さん、Jがバイセクシュアルでした。Jは高校生で、彼女がいるのに、既婚の男性とセックスしていたという強者で、私はニュージーランドっていうのは「なんでもありなのか?」という感想を持ちました。もちろんニュージーランドでも日本における規範や法律のようなものはあるはずですし、日本以上に宗教上のタブーもあると思いますが、たった1年しかいなかった留学生である私がさまざまな友人の性愛情報を入手し、Jと既婚男性がセックスをする仲であることをJの友達たちには周知の事実だったことを考えると、日本よりは性規範がおおらかだし、恋愛や性についてオープンに話せる土壌はあったと思います。ニュージーランドは2014年に同性婚が認められています。現在Jとはフェイスブックでやりとりしており、素敵な彼女と暮らしているようです。私が留学をしていた90年代後半はニュージーランドでもまだまだ同性愛をタブー視する人はいて、特に年配の世代でそうだったように思います。ホストマザーも同性愛には嫌悪感を露わにしていました。2016年にホストマザーが亡くなり、留学後一度もニュージーランドに訪れていないので、二度と会えなかったことが心残りです。Jとそのパートナーの暮らしをホストマザーも知っていたはずで、彼女が自分の娘のセクシュアリティをどう受け入れていったのかは興味があります。

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