ヘイデン

♀、30代、バイセク。レズビアンの恋愛行動の研究で修士号(学術)取得してます。@yu3…

ヘイデン

♀、30代、バイセク。レズビアンの恋愛行動の研究で修士号(学術)取得してます。@yu351982

マガジン

  • バイセクシュアルの お姉さんと 性の話をしよう

最近の記事

フィットネス大会出場を通して考えたジェンダーのこと

 noteが4年前で更新ストップしていましたが、久しぶりに長文を書いたので、ここに残しておきます。この4年で何があったのかは、気が向いたら書きます。(文章を書いて昇華せねばならぬことは起きず、穏やかな日々を送っていました)  2020年10月3日にフィットネス大会に初出場しました。筋トレ歴は2年くらいです。  私は、中高部活等でのスポーツ経験は全くなく、ずっと軽音部でベースを弾いていました。幼い頃は水泳や体操を習っていましたが、あくまでも習い事レベル。趣味も文化系ばかり。

    • 第20回 母親へのカミングアウト

       今でこそ結婚制度の在り方に非常に疑問を持っている私ですが、20代前半までは私も「結婚」という二文字に非常に強い憧れをもっていました。未婚で子どもを生む率(非嫡出子の割合)が2.29%(厚生労働省「人口動態調査」2015)と低い日本では、ほとんどの子どもは婚姻した男女のカップルの間から生まれていることになります。一番身近な大人がしていること=男女での結婚が普通であるという異性愛規範というのは多くの人に根付いていることでしょう。私も例外ではなく、母親がうまく立ち回っていたことも

      • 第19回 メンヘラ≒デートDVでしょ

         依存系、束縛系のメンヘラが相手の行動を制限することはデートDVといいます。私はDV的行為が、メンヘラといった軽い言葉で扱われる風潮に危惧しています。メンヘラとデートDVはイコールではありませんが、「≒」ぐらいだと思っています。DVはこれまでは経済性に優位であった男性が加害者になることの方が圧倒的に多かった。DVとは夫婦間における暴力と定義され、夫が経済性の優位を理由に妻の行動を制限するなどが基本です。そこから身体的な暴力、言葉などによる精神的暴力、避妊に協力しないなどの性的

        • 第18回 メンヘラRとの決別

           Rとの別れを決心しても行動に移すにはかなり時間を要しました。彼女の機嫌を損なわないように、完璧なパートナーを演じながら別れるタイミングをずっと計っていました。実際には別れるのに、半年近くかかっています。そして精神を相当蝕まれている私は、自分一人の力だけでは別れることはできませんでした。そのころたまたま連絡をしてきてくれたのが、Rの元カノでした。その子からも「最近、全然連絡ないけど、みんな心配しているよ。元カノの立場からだから進言できることあるかなと思って。Rって束縛がひどい

        フィットネス大会出場を通して考えたジェンダーのこと

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        • バイセクシュアルの お姉さんと 性の話をしよう
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        記事

          第17回 壮絶

           彼女をメンヘラ化させる要素を私も多分に持っていたと思いますが、彼女の要求に応えることは自分の生活を崩すことでもあります。親との関係も悪化します。その結果一時的ではありますが、私は祖母の家に身を寄せていました。バイトに行く時間もままならなくなります。バイトの時間が減ると金銭的にきついので、そこだけは死守しました。また学業に影響が出そうになりましたが、まだ大学1,2年のころの話だったので、友人を頼りになんとかしたり、「二人の将来のためには、私がちゃんと大学を出て、きちんと稼げる

          第17回 壮絶

          第16回 このころはまだ、メンヘラとかデートDVとか知らなかった

           セックスの回数が増していくにつれ、Rはどんどん女性化し、私が男らしく振る舞えば振る舞うほど彼女は喜ぶので、私は男性化しました。よく公衆トイレでおばさんに「ここは女性用のトイレですよ?」と怒られました。異性装をしている人にとっては当たり前のことなのですが、生物学的な性別と違う性別で生活を送っていると、顔つきや体つきは本当に異性化していきます。例にもれず、私もRの「彼氏」である気になり、見た目は本当に男性化していました。彼女が喜ぶので、腋毛も剃らず、毎日ブラもつけず、さらしを巻

          第16回 このころはまだ、メンヘラとかデートDVとか知らなかった

          第15回 メンヘラRとの出会い

           こうして私は男装をしてバンギャにモテるという日々を過ごすのですが、そんな時に出会ったのがRです。彼女は私の好きだったバンドのコスプレーヤーの中で目立つ存在でした。5人でチームを組んでおり、Rはボーカルのコスプレをしていたので、中心に立つ彼女はまぶしかったのです。私もいつか仲良くなりたいと思っていたのですが、共通のコスプレーヤーの友達のつながりで仲良くなることができました。原宿駅を降りると、明治神宮へアクセスするためには、山手線にかかる橋を通ります。その橋が一時期ビジュアル系

          第15回 メンヘラRとの出会い

          第14回 同性愛者のセクと異性装の話

           一般的に同性愛者の男役をタチ、女役をネコと言いますが、バンギャのカップルの場合、男役を「攻め」、女役を「受け」とBLの流れを汲んだ言い方でセクシュアリティを表していました。セクシュアリティとは広く「性の在り方」という意味ですが、同性愛業界では、「セクシュアリティ」や「セク」というと、セックスの場における「男役」か、「女役」を示すことが通例です。このセクシュアリティを、ビジュアル系に限らずヲタク属性の人は「攻め」「受け」と呼んでいたと思っているのですが、他のヲタク属性の方、ど

          第14回 同性愛者のセクと異性装の話

          第13回 普通になれなかったコンプレックス

           私の家は中流のサラリーマン家庭でしたが、父方の祖母の希望で幼稚園から私立の女子校に通い、就職するまで女の園で育ったお嬢様・・・と言えば聞こえはいいですが、そこでのコンプレックスが、私を小学校3年生のころから毎晩シャワーオナニーしまくり、中学校では体育館倉庫で同性の同級生に手をだすエロ人間に育てていくのです。というのも私の家は一般的には恵まれた家庭だったのでしょうが、同窓生の家庭のなかでは裕福な方ではなかったので、友人が持っているようなブランドの物を持つことはできず、休みごと

          第13回 普通になれなかったコンプレックス

          第12回 同性間パートナーシップについて

           ニュージーランドではガチムチロックンローラーのゲイやおねぇキャラのぽっちゃりゲイなどもいましたが、見た目では全く分からないゲイ、レズビアン、バイセクシュアルの友達がたくさんできました。みんなJが紹介してくれた友達です。私は女の子と付き合った経験がなかったので、同性と付き合うことに関してあまり恋愛話はできませんでしたが、みんなの話を聞いているのはとても楽しかったです。Jに「あなたは男性とセックスしたことあるの?」と聞かれて、「あるよ」と答えると「日本ってもっと保守的だと思った

          第12回 同性間パートナーシップについて

          第11回 ニュージーランドで出会ったレズビアン、ゲイたち

           私が留学している時に私に一番親切にしてくれたのが、高校の友人のAllenでした。Allenはしゃべる時に、手が必ず顔の横に来て何かしらの仕草をしており、腰がくねくねしていて、日本で言うところのオネェ言葉を話しているようなタイプの男の子でした。英語力の乏しい私に、次はどこそこの教室で授業だよ、と教えてくれたり、宿題を手伝ってくれたりと、学校生活でとても助かったことを覚えています。ある時、彼が私に「どんな男性がタイプなの?」と聞いてきました。よく覚えていないのですが、「うーん、

          第11回 ニュージーランドで出会ったレズビアン、ゲイたち

          第10回 父の見栄のための海外留学

           母の洋楽好きも相まって、私は中学から軽音部に所属していました。ピアノは幼い頃から習っていましたが、軽音部ではエレキベースを担当しました。中学生の時はガールズバンドにありがちなプリンセスプリンセスやジュディマリなんかをコピーして学園祭で披露していました。高校生になると体も大きくなり、エレキベースも板についてきたころ、学校外の友人との交友関係も広がり、近隣進学校の男子とバンドを組めることになりました。そのころ一世を風靡していたビジュアル系。私が担当のベース以外は男性のバンドで、

          第10回 父の見栄のための海外留学

          第9回 セクシュアリティの自覚と受容

           中学生当時はビアンという自覚がないまま女の子とイチャイチャしていて、彼氏もいた私ですが、高校生の時に自分はビアンかもしれないと気づくわけです。しかし、その気づき方がこれまで研究で明らかになっているものはちょっと違う。大概の人は思春期ごろから女性を好きな自分に気づき、異性愛規範の中で葛藤しながらもだんだんと自分を受容していくものです。その受容が一瞬で済んでしまう人もいれば、何十年とかかる人もいます。かくいう私は、親友から指摘されて初めて気づくことになります。自分では全く気づい

          第9回 セクシュアリティの自覚と受容

          第8回 思春期の同性との身体接触と性欲の可視化

          中学生の時にはまだ自分がビアンであるという自覚はないので、彼氏がいることには何ら違和感はありませんでした。彼氏がいることと、女の子とイチャイチャすることは別物でした。彼氏がいてもセックスは気持ちよくないので、女の子と戯れることは怠らないのが、私です。  中学生ぐらいだと友達の家へお泊り会というのがよくあります。その時、エロい話を振るのは私の役目。当時、インターネットはないので、エルティーンをはじめとする女の子向けのエロ本(『マンゴープリンとフルーツポンチ―女子中高生放課

          第8回 思春期の同性との身体接触と性欲の可視化

          第7回 初カレと思春期のセックスについて

           私は中学生の時に、初めての彼氏ができました。4歳年上の地元の友達です。彼とは1年足らず付き合い、付き合う中でセックスをしました。はっきり言って彼のことが好きで付き合い始めたわけではないです。告白めいたものは私が彼に「彼女にしてほしい」という手紙を書いたのですが、身近にいてセックスできそうな男性は彼だけだったということです。他にも気になる人もいましたが、彼女がいるとか、私に興味のない様子だったので、その人を選びました。言ってしまえば相手は誰でもよかった。とにかく処女を喪失した

          第7回 初カレと思春期のセックスについて

          第6回 親のセックスと性教育

           私の家では洋画のベッドシーンが幼い頃から流れていて、祖母の家に大量にアダルトビデオがあった家柄ですので、母に性についていろいろと聞く機会もありました。母はそれなりの答えしか返してきませんでしたが、性について話すことへの嫌悪感もなければ、性を楽しむことへの嫌悪感も全くない。大人になったらエロいラブシーンの再現ができるのだろうなという期待で胸をふくらますことができたのも、この母の影響だと思います。今ではセックスの話も母とします。母は父と離婚してもう何年も経っているので、「恋人が

          第6回 親のセックスと性教育