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わたしを離さないで(小説)

ノーベル賞作家、カズオ・イシグロの小説を読むのはこの『わたしを離さないで』が初めてでした。
同タイトルの映画があり、気になっていたのですが原作を読んでから観ようと思い、積本の中から引っ張り出し、朝の通勤電車内のお共にしました。
映画はまだ観ていませんので、小説の感想を書き留めておきたいと思います。

ノーベル賞作家というバイアスが無いとは言えませんが、とても含蓄のある、語りがいのある自分好みの作品でした。
この作品はネタバレはしない方がいいので、内容にはあまり触れないでおきましょう。

私はこの作品を、私たちが知っている20世紀とは別の世界線を舞台にしたSF、として読みました。
歴史には大きな転換点がありますが、この作品はあるバイオテクノロジーと倫理の関係性が、現世界線では超えることができない壁を超えた世界を描いています。

なぜその壁を超えられたかについて言及はありません。
それはテーマとはあまり関係がないからでしょう。
歴史や社会という大きなシステムについての是非を問うのではなく、人間の生と死を掘り下げることが主眼であると思います。
文学の常道でしょうが、だからこそ深く、そしてリアリティを持って描くのはとても難しい作業になると思います。

テクノロジーはこの先当分は進化を続けるでしょうし、生命に関するそれは都度倫理の壁が立ちはだかるため、エビデンスに至る道は険しいでしょう。
それは端的に言えば人間を対象とした臨床が出来ないからです。
最終的にはAIにより解析できるようになるのかもしれませんが、イレギュラーをどこまで計算できるかは未知数です。

そんな倫理の壁を、ある技術に関して突破した世界線が物語の舞台であり、それにより人生が、生と死が予め決められた人たちの、それでも生きることの意味を問うというお話です。
現世界線とはその一点だけが異なりますが、似たようなことは起きていますので置き換えることは容易ですし、現実はもっと複雑です。

予め決められた人生、とはキリスト教の『予定説』のように意味深ですが、この世界には神も宗教も出て来ません。
あるいは、あるのかもしれませんが、主人公たちの生活環境からは排除されています。
生と死という普遍テーマと共に、社会的強者と弱者、善意と悪意という一般的な対立も描かれています。

物語はキャシーという女性主人公の回顧録の形式で語られる一人称ですので、基本的に主観です。
そのため外の世界は、彼女の理解からしか知ることが出来ません。
それが絶妙に、ページをめくる手を進めます。
客観が入ってしまうと、全く別のSF色が強く出るでしょうし、テクノロジーと大きなシステムに主題が傾いてしまいます。
閉鎖社会の特殊環境で育ったキャシーたちの青春と、オトナになっていくことで知る覆らない現実の受容は、やはり予定説的なものを感じます。

とても切ない物語ですが、その切なさは何なのでしょうか。
社会という大きな枠組みの中で役割を持って生まれてきたキャシーたちと、それでも人間として生きた、生きようともがく姿と、そこに関わる外の世界の人々との関係性は、現社会の諸問題の隠喩として考えることも容易でしょう。

何かがおかしい、
現代社会ではそう思ってもその正体が分からないことが多いけれども、それが示す何かについては感じ取ることができるかもしれません。
具体的な何かではなく、世界はそういうことになっている、という一つの諦念の中に、それでもすべきことをする意味みたいなものを、私は感じることができました。
この何とも言えない読後感こそが文学なんだろうな、と久しぶりに感じたような気がします。
そうすると映画を観るのが怖くなります。
でも多分観るでしょう。


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