ヨシモトポール株式会社

モノづくりの現場やその過程を余すところなく伝えます。HPでは掲載できない内容をここで発…

ヨシモトポール株式会社

モノづくりの現場やその過程を余すところなく伝えます。HPでは掲載できない内容をここで発信し、弊社が行うモノづくりの楽しさや、Bitterな経験談もゲストもお招きしながら楽しく発信します。新しい技術や商材に関しての発信も行っていきます。

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パブリックファニチャーシリーズ

ご好評いただいています、弊社標準品「パブリックファニチャーシリーズ」。新たに、転落・横断防止柵の勾配対応タイプ、車道・歩道照明柱をラインナップに追加しました。 PUBLIC FURNITURE (ypole.co.jp)

    • 第八章 行幸通り 東京都

      概要 東京駅前行幸通りの整備(2010~2012年) 発注者 東京都   行幸通りは東京駅丸ノ内口と国家の象徴たる皇居を結ぶ道で、もともとは天皇の行幸と送迎の馬車の通行に使われる専用道であった。それに対して、2004年10月に「東京駅丸の内口周辺トータルデザインガイドライン」の報告書が提出され、それに沿って建設当時に復原される東京駅の駅舎、交通広場、周辺建物などと調和した整備を行い、首都東京の顔にふさわしい、風格ある景観を保全・形成する目的で、2010年4月12日に歩道兼馬

      • 第七章 松山市 ロープウェー街/道後温泉周辺 

        概要 松山市 ロープウェー街(2004~2006年) 道後温泉本館周辺整備(2004~2009年)  松山市は律令時代の伊予の国が筆頭領国であったことに示されているように、開明的な風土を持ち議論はオープンだった。ただしロープウェー街は、既に決まりかかっていたデザインに地元の商店街が納得せず、篠原が南雲にスケッチを描いてもらって、その案が採用されて南雲・小野寺コンビのデザインが実現したものである。結果が好評であることに留まらず、沿道の地価が上がり、シャッター店がなくなるとい

        • 第六章 勝山橋/大清水空間 福井県/勝山市

          概要  勝山橋(1995~2000年)大清水空間 (2003~2009年) 発注者 福井県/勝山市  勝山橋は、えちぜん鉄道(旧京福電鉄)の勝山駅と勝山市街地を結ぶ軸線上にかかっており、勝山市へのゲートとなる橋である。橋上から眺める九頭竜川の流れ、その上流に望む奥越の山々が印象的であり、力強い空間骨格を持つ川と山に負けず、かつ調和する橋梁デザインが求められた。  この仕事は篠原が橋の専門家抜きで、デザイナーの南雲と組んで監修・設計をした。南雲は高

        パブリックファニチャーシリーズ

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        • 対談
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          第五章 四谷 新宿通り

          概要 四谷・新宿通りプロジェクト(2004~2005年・国道20号線) 発注者 国土交通省  国道20号線の四谷から新宿三丁目間(延長1200m)の車道・歩道照明柱と歩道舗装、横断防止柵のデザイン、製作が仕事の中身であった。すでにデザイン案は出来ていたが、事業者である国土交通省・東京国道事務所から相談を受けた篠原がデザインをやり直すことを提案し、東京国道がそれをよしとして、結果的には、いつもの篠原・南雲・小野寺・ヨシモトポールのチームでやることになったプロジェ

          第五章 四谷 新宿通り

          第四章 日向市/油津 堀川運河/天満橋/都城シンボルロード

          宮崎県/日向市/日南市 概要  塩見橋と日向市駅(2000)年 日南市油津堀川運河(2002)年 宮崎天満橋(2004)年 都城シンボルロード(2007)年  塩見橋と日向市の仕事は、日豊本線の連立事業と共に実施された駅周辺の区画整理による街路整備と交流広場の設置をする事業である。日南市の堀川運河の事業は、宮崎県が事業主体で歴史的な護岸の復原と同時に行われた遊歩道と広場(夢広場)の整備であった。いずれも篠原監修の元に南雲・小野寺コンビのデザインをヨシモトポールが製作、実現

          第四章 日向市/油津 堀川運河/天満橋/都城シンボルロード

          第三章 浦安境川

          概要  境川水辺空間整備―Cゾーン(1996~1998年) 発注者 千葉県葛南土木事務所/浦安市役所  「境川は千葉県浦安市のほぼ中央を流れる、江戸川支流の一級河川である。浦安はかつて漁師町として栄えた町である。この境川にも幾膄(いくそう)もの船が浮かび、岸辺では川の水で洗濯や米を研ぐ姿さえ見られ、住民の生活に欠かせない川として活気に満ちあふれていた。しかしそのような賑わいのある一方で、三方を海と河川で囲まれたこの地域は、昔から洪水被害の恐怖に悩まされ続けてきた。さらに戦

          第二章 皇居周辺道路建設省/東京都/千代田区

          概要 皇居周辺道路景観事業(1992~1997年) 発注者 建設省/東京都/千代田区  1992年の皇居周辺道路景観事業は、初期の景観事業の代表的な事例であった。当時、国会議事堂周辺や皇居周りの幹線道路では、照明柱や標識、信号柱、歩道、防護柵などの老朽化が著しく、周辺の環境と調和した「日本の顔」にふさわしい景観へ、一新することが検討されており、すでに1988年から準備が始まっていた。  皇居周辺は、国道、都道、区道が入り混ざっているため、この事業は日本で初めての縦割り行

          第二章 皇居周辺道路建設省/東京都/千代田区

          第一章 門司港レトロ事業 北九州市

          概要 門司港レトロ事業(1990~1994年) 発注者 北九州市   ヨシモトポールは、1989年の「美しいくにづくりに良い品を」をスローガンとし、デザイン事務所と協力して新分野をつくり出していくことになった。ヨシモト集合ポールの開発を境に変革期に入り「景観事業」へと積極的に参入していった。  景観製品の最初は、門司港レトロ事業に納入したコンクリートポールで、標準のコンクリートポール製造技術を基に実現した製品であった。アプル総合計画事務所の代表である中野恒明氏から「北

          第一章 門司港レトロ事業 北九州市

          はじめに

          照明のデザインに真剣に向き合ったのは、皇居周辺道路景観整備事業の委員会が初めてだった。それまでに、いくつかの橋のデザインに関わっていたものの、橋上の照明や高欄のデザインはコンサルタントの担当者任せだった。何回目の委員会であったのかは憶えていないが、車道用と歩道用の照明柱の案が手書きのスケッチでA3の用紙の上に載っていた。説明に立った男はやたらに背の高い男で、各三案それぞれの特徴をボソボソと喋った。説明が終っても誰も何も言わなかった。その空気に堪り兼ねた司会者は、「どうですか」

          対談 Gメッセ群馬 ファニチャー製作

          株式会社Tetor 代表取締役 山田裕貴     × ヨシモトポール㈱ プロジェクトSE部 小杉達郎     × ヨシモトポール㈱ 設計開発1課 西海隆平 文中(※1) 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻 景観研究室 助教 福島秀哉 本件、街路整備事業含め監修 文中(※2) ヨシモトポール㈱ 北村仁司 小杉、西海の上司 今回対象となるファニチャーは「バナーポール」と「フットライト」です。デザインとモノづくりに対峙し、ときに三歩進んで二歩下がった製作秘話を、デザイナ

          対談 Gメッセ群馬 ファニチャー製作