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舞台 「悼、灯、斉藤(とう、とう、さいとう)」 観劇レビュー 2023/02/18


写真引用元:温泉ドラゴン 公式Twitter



写真引用元:温泉ドラゴン 公式Twitter


公演タイトル:「悼、灯、斉藤(とう、とう、さいとう)」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:劇団温泉ドラゴン
作:原田ゆう
演出:シライケイタ
出演:阪本篤、筑波竜一、いわいのふ健、大森博史、大西多摩恵、林田麻里、宮下今日子、枝元萌、東谷英人、山﨑将平、遊佐明史
公演期間:2/16〜2/23(東京)
上演時間:約2時間10分
作品キーワード:家族、母親、ヒューマンドラマ、泣ける
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆



原田ゆうさんとシライケイタさんという2人の劇作家を擁する「劇団温泉ドラゴン」の舞台作品を初観劇。
文化庁が推進する「日本の演劇人を育てるプロジェクト」の新進劇団育成公演ということで、劇団温泉ドラゴンの新作公演が東京芸術劇場で上演された。
原田ゆうさんは、2022年に発表した『文、分、異聞』で今年(2023年)の岸田國士戯曲賞にノミネートされている実力劇作家である。
また今作は、昨年(2022年)にプレ企画としてリーディング公演を上演し、戯曲をブラッシュアップしていた。
私自身は、リーディング公演は観劇しておらず、今回の上演が初めての観劇となる。

物語は、母親を急性大動脈解離によって亡くした、残された家族とその周囲の人間たちの物語。
母親の斉藤佳子(大西多摩恵)は、介護士として働いていた。
とても陽気な性格で誰にでも優しく接する佳子は、常に自分の家族に対して味方だった。
しかし、急性大動脈解離によって死去すると、三兄弟たちは久々に実家に集まって葬儀の準備を進めることになる。
新型コロナウイルスの蔓延によって、緊急事態宣言が発令されたりと先行きの見えない時代設定の中で、彼らは今までやってきた仕事のことや金銭面で様々な問題が発生し...というもの。

原田ゆうさん自身が実際に体験したことをベースに書かれた脚本とのことだが、まさに今の日本社会のどこかで実際に起きていそうなありふれた家族の実像だと観劇しながら思っていた。
三兄弟がそれぞれ自分のやりたいこと、目指したいことに向かっていくも、自分の実力不足や情勢によって思い通りにはならない。
皆が自分の人生を生きることに必死で全然人のことを考える余裕がない中で、佳子はいつも彼らを応援し続けてくれた。
亡くなってしまったことによって、初めてそんな存在がいかに大切だったのかを気づかせてくれる、非常に心動かされる物語だった。

なんと言っても、佳子役を演じる大西多摩恵さんの演技が素晴らしかった。この物語の根幹を形成する一番難しい役どころを見事に演じていた印象で、あの明るさとひょうきんな姿が、ステージだけでなく客席まで安田電気の社宅の灯りでないけれども、心に温かな灯りをともしてくれる存在で素晴らしかった。
あんな感じの女性は日常によくいそうで、自分の身の回りでも似たような人がいるなと思いを馳せていた。

料理を作るシーンなどLIVEでしか味わえない演出は加えられていたものの、映画でも成立してしまいそうな脚本である上、シアターイーストよりも小劇場の方が役者の雰囲気など伝わってより作品の良さを引き出せるのではと思っており、中劇場で上演するにはいささか作品の持つ魅力が減少してしまうように感じられた。
特に両親に助けられて自分の人生を生きてきた人であれば刺さる内容なのではないかと思う。

写真引用元:温泉ドラゴン 公式Twitter



【鑑賞動機】

劇団温泉ドラゴンという劇団名は以前から耳にしていて評判が良かったので観劇したいと思っていたから。今作は、2022年にプレ企画としてリーディング公演を挟んだ上での上演で、かなりブラッシュアップされた公演だと思い観劇しようと決めた。
先日、2023年の岸田國士戯曲賞が発表されて、今作の脚本を務める原田ゆうさんの作品がノミネートされたということで、今作もかなり期待高めでの観劇に臨んだ。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

広々としたリビングに、斉藤吾郎(大森博史)と斉藤佳子(大西多摩恵)が入ってくる。外出後だったらしく、佳子は念入りに手洗いうがいをしている。そして冷蔵庫に買ってきた食材を入れる。その後佳子はソファーに座ってスマホを眺める。
その間、吾郎は自分で描いた二つの絵画をダイニングテーブルの上に並べる。佳子は吾郎が最近夜遅くまで絵画に没頭していることを注意する。もう若くないのだからほどほどにするようにと。そして吾郎はスマホから一曲の音楽を流し始める。すると佳子も穏やかな気持になって2人で見つめ合う。

暗転後、リビングには長男の斉藤倫夫(筑波竜一)、次男の斉藤周司(いわいのふ健)、三男の斉藤和睦(阪本篤)がいて、倫夫は何か料理を作っていた。また、倫夫の妻の斉藤泰葉(林田麻里)もいた。斉藤家の三兄弟は、母親の佳子の死によって久々に再会して実家に集まっていた。佳子の死によって、葬儀の費用や準備などどうするかを、周司を中心に皆で話し合っている。しかし倫夫は黙々と料理をしている。
倫夫は料理を皿に分けて皆に振る舞う。メニューは豚の生姜焼き。皆で一緒に食べようとしたときに、周司はコンビニに行ってくるとリビングを出ていってしまう。

暗転後、佳子が一人で窓の外を眺めている。倫夫が汗をかきながらリビングに入ってくるが、邪魔をするなとばかりの佳子。そして、安田電気の社宅の灯りが順々に灯り始めると共に佳子は大喜びする。
佳子は倫夫の様子を見てどうしたのかと尋ねると、倫夫は家から自転車でここまでやってきたのだと言う。その話を聞いて、佳子は明るく会話した後に、安田電気の社宅が一斉に電気が灯るのを見るのが楽しみなのだと語る。
佳子と倫夫との会話からは、倫夫はコロナ禍に入る前に彼が経営していた料理店が倒産に追い込まれてしまい無職になってしまったこと、そこからずっと倫夫は引きこもりだったが、徐々に外へ出たり掃除も出来るようになって回復していることが窺えた。
そして倫夫はすぐに自分の家へと帰っていった。

暗転後、佳子が亡くなった後の三兄弟がリビングにいるシーンに戻る。倫夫はずっと窓の外を眺めている。周司と和睦は、佳子の今後の葬儀の進め方と、先程葬儀屋に出向いた時にひどく無礼な態度を取られたことに憤りを感じていた。また、佳子はこれまでマンションの経営をしていたが、倒産してしまって介護士として働いていた。介護士として働いている途中、急に佳子は倒れてしまって同じく介護士をやっていた上司の水村博宣という男性に救急車を呼んでもらって付き添ってもらっていたが、そのまま家族と面会することもなく佳子は亡くなった。佳子の死因は、急性大動脈解離だった。
佳子のスマホにLINEの通知が届く。誰なのか確認すると、それは「恵」という女性からだった。「恵」からはどうやら子育てについて相談されているようだった。周司は「恵」という女性に心当たりがないと思っていたが、和睦はその女性はかつての自分のクラスメイトでこのアパートの上階に住んでいると言う。
和睦は恵に会いに行って、佳子は亡くなったことを告げてくる。和睦は戻ってくると、恵は泣いていたと伝える。そして後で斉藤家にやってくると。

暗転後、リビングには周司の妻の斉藤奈美恵(宮下今日子)もいた。奈美恵は仕事をしながらダンサーとしても活躍していて、本来であれば公演があったはずだったのだが、コロナ禍に入ってしまい中止となり再開の目処が立っていなかった。いつもダンスの公演がある度に佳子は観に来てくれていたと言う。
皆がリビングに揃っている所へ、玄関のチャイムが鳴ったかと思うと、葬儀屋の上林幹雄(東谷英人)がマスクをしてフェイスガードをした状態で上がりこんできて、先ほどの無礼はすみませんでしたと謝罪し始める。どうやら上林たち葬儀屋は、斉藤家の心情を察せずに次々と説明をしてしまって大変気分を損ねてしまったと侘びていた。しかし上林は、このまま他の葬儀屋に行くのではなく、ぜひ弊社を利用してくれと懇願する。斉藤家の人間は皆怒っていたが、仕方なくそのまま同じ葬儀屋に葬儀を進めてもらうことにする。上林は帰っていく。

和睦は、佳子と恵との小学校の頃の思い出話を語る。和睦が丁度佳子のことを「お母さん」ではなく「佳子さん」と呼べるようになった頃の話。佳子の車が踏切の中でエンストしてしまい、これはまずいとみんなで車を降りて車を押して、すると結構軽やかに車が動いて踏切を脱出して、その車に佳子は飛び乗ってのだというエピソードを語った。

暗転後、佳子の元へ小田切恵(枝元萌)がやってくる。どうやら恵は佳子に息子を預かってもらっていたようだった。息子は寝室で寝ているらしい。恵は佳子には大変お世話になっているらしく、感謝している様子だった。
そして佳子の亡くなった現在の時間軸でも恵は登場し、斉藤家に挨拶する。そして恵と和睦は2人で話をする。和睦は、映画批評のライターとして活動していた。そして恵はよく和睦のブログを見るのだという。そして彼のブログの内容で盛り上がる。和睦の好きな映画は「トレインスポッティング」で、今着ているTシャツも「トレインスポッティング」のデザインだった。さらに、「恋する惑星」の話題に移り、それはかつて学生だった頃に2人で観に行った映画だったと語る。

暗転後、佳子の元へ泰葉が訪れていた。泰葉は、夫が無職であるにも関わらず生活費を出していて不思議がっていた。倫夫と泰葉の夫婦は、貯金をそれぞれで管理していてお互いに相手の貯金額を知らなかった。しかし倫夫にそんなにお金があるとも思えず、誰か斉藤家の人間からお金を貰っているのではと疑っていた。
泰葉が真っ先に疑ったのは佳子だったが、佳子は違うと言う。吾郎、周司、和睦など他の人間も疑ったが、佳子はそれも否定する。

現在の時間軸に戻り、斉藤家には皆リビングに集まっている。葬儀屋の五十嵐淳也(遊佐明史)がやってきて葬儀について説明する。そこへ、上林幹雄も自転車でやってきて、慌てた状態でゴタゴタと話をする。
葬儀屋が帰ると、葬儀のお金のことで兄弟はもめ始める。周司は、今栄養士として働いているのも、ずっと料理人としてメディアにも取り上げられたことがある兄の倫夫に嫉妬していたからだと言う。同じ職場でずっと栄養士しか出来なくて、兄の倫夫が羨ましかったのだと言う。映画批評のライターをしている和睦は範疇になかった。
それに対して、倫夫も反論する。倫夫は自分の店を失ってからずっと母に面倒を見てもらっていたことが苦しかったと。そして母が急性大動脈解離になって亡くなってしまったのも、自分がずっと母に苦労をかけてしまったせいではないかと思って苦しいのだと言う。
そこへ奈美恵が全くオチのないことを言い出す。自分は若い頃はダンスの才能を評価されてそれで仕事を頂くこともあったのに、年齢を重ねるうちに仕事が無くなってしまったと。けれども佳子は、毎回自分が出演するダンスの公演を観に来てくれていて、何かの映画みたいだといつも感想をくれたと言う。それでおしまいで、特にオチはないと。
同じように恵も特にオチがないことをつぶやく、そしてそこには佳子も登場した。泰葉も、倫夫が仕事をしていないにも関わらず生活費を出し続けることに疑問を抱いて、その生活費は佳子から出ているのではと聞きに行った時、佳子は自分は出していないと言い張っていたが、そのときに出された和菓子と口座に入金されていた名前が一致していたことから、入金していた人物は佳子だったと分かったエピソードを話した。
そんな佳子のエピソードに三兄弟はハッとさせられ、自分たちがいかに自分のことだけしか考えずに生きていたかを知らされた。そうやって生きてこられたのは、佳子の存在あってのことだった。

斉藤家に、佳子が倒れたときに救急車を呼んでくれた介護士の上司の水村博宣(山﨑将平)がやってきていた。水村は、斉藤家の人間に囲まれて、佳子が倒れた直後のことを語っていた。斉藤家の人間は、水村に感謝して何かお土産を渡して帰した。

葬式のシーン、登場人物が全員喪服に着替えて、佳子の遺影と骨壷と位牌を手にして登場する。そして、リビングに御霊前が用意される。

葬儀が終わり、喪服を着たまま斉藤家の人々は、倫夫の作った佳子の好きなペペロンチーノを皆で食べ始める。まるで斉藤家は葬儀を終えて、心が一つになったようであった。
その時、安田電気の社宅の明かりが順々に灯り始めて、一同はその様子を眺めて、佳子のことを思う。

暗転後、佳子と吾郎が2人でリビングにいる。吾郎は2つの絵画のうち、どちらが良いかと佳子に尋ねるが、佳子は若くないのだし元気がありすぎるとダメ出しする。吾郎はメンバーの中では一番若いらしいのだが、だからといってそこに合わせる必要はないと言われる。
暗転後、深夜にずっと電話が鳴り続けている。吾郎がパジャマ姿で起きてきて、ようやって電話にたどり着き、電話に出る。ここで上演は終了する。

斉藤家をずっと密かに支え続けてきた佳子、介護士として仕事をしながら陽気で明るく振る舞いながら、息子たちやその家族、そして近所に住む人々まで支え続けていた。そして、それを見せびらかす訳でもなく、ただひた隠しにして支えていた。
そんな佳子が亡くなってしまい、葬儀のお金のことでもめてしまう兄弟たち、皆自分のことしか見えていなかった。しかし、佳子という母親に改めてスポットを当てて考えてみると、人のために尽くす彼女の姿とその温かさがいかに尊いものだったかを改めて知らされる。
まるで安田電気の社宅の明かりが灯るように、佳子を思い出すことによって、心がポッと明るくなる。
何かを目指して必死に頑張って視野が狭くなりがちな今だからこそ、改めて周囲の人の助けの有り難みというのを考えさせられた作品で素晴らしかった。

写真引用元:温泉ドラゴン 公式Twitter


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

東京芸術劇場のシアターイーストという中劇場に広々としたリビングが広がり、それ以外の舞台美術に関しても凄くシンプルで洗練されている印象を全体的に受けた。だからこそ没入感があった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
ステージ全体に斉藤家のリビングが広々と広がっている。下手側には観葉植物の背の高いインテリアが置かれていて、その横にはダイニングテーブルが置かれている。斉藤家はそこでペペロンチーノや豚の生姜焼きなどの食事をする。その奥には、一番下手側の背後の壁側には寝室に続いていると思われる引き戸があり、恵から預かった子供を寝かせたりに使っていた。ダイニングテーブルの後方の壁側には、玄関に通じていると思われる扉があって、そこから外から来た人々がデハケしていた。
舞台上上手側には、奥にはキッチンがセットされていた。横に長めの流しとその背後には食器棚や冷蔵庫などがあった。その手前側には小さな背の低いテーブルとソファーが置かれていた。このソファーで周司と和睦たちは佳子の葬儀について話し合っていた。
全体的にインテリアがシンプルで高級そうで、佳子は以前マンションを経営していたという下りがあった気がしたので、それまではお金持ちだったので、このような広々としたリビングに住んでいたと考えられる。非常にお金持ちの家族が住みそうなリビングだった。
個人的には、舞台セットが横に広すぎて、いくらお金持ちの家のリビングとはいえ、少々空間的に広がり過ぎな気がしてもったいない部分もあるような気がした。もっと小劇場での公演の方が、魅力がぐっと客席に押し寄せて良かったのではと思った。

次に舞台照明について。佳子の生きていた時間軸と亡くなった後の時間軸が交互に描かれるが、それを暗転を多用して上手く切り替えていた。しかし、それ以外でも印象に残る照明演出はいくつかあった。
まず印象に残ったのは、ラストシーンの安田電気の社宅の明かりが灯り、斉藤家一同が客席側を見つめるシーンである。舞台セットの客席側を除いた三方位に壁沿いに蛍光灯のようなものが設置されていて、ラストシーンで客席側から順々に点灯していく演出が好きだった。あの演出によって、ふと佳子の存在を思い出すことも出来るし、それを眺めることによって斉藤家がようやくまとまった感じもある温かみだった。斉藤家自身が灯された感じがあった。
次は、葬式のシーンでの照明演出。位牌、遺影、骨壷をもった人を白くスポットで照らしながら、徐々に御霊前が設置され、その御霊前が白く輝いている照明は、なんとも物悲しく、そして美しくも感じた。凄く葬式なのに美しさを感じた。悲しいという悲愴感よりは、劇中の台詞にもあったように佳子は皆の心の中で生きているではないけれど、この斉藤家にまだ存在している感じがした。
あとは一番ラストのシーンの、電話が鳴り響く所で電話に白くスポットが当たっていたのも印象に残った。ああいった深夜の電話にはビビってしまうものである。

次に舞台音響について。
音楽は、一番冒頭のシーンで吾郎がスマホから流した音楽と、一番ラストのシーンで流れる音楽の二つがあってどちらも洋楽だったと思われるが、曲名までは分からなかった。個人的には、冒頭の曲を流して吾郎が佳子に笑みを投げかけるシーンが好きだった。
あとは、細かい効果音だと玄関の方向から聞こえてくる扉を開ける音や足音がリアルで良かった。
また、客入れが全くかからずに照明のキューによって徐々に開演して始まっていく感じも印象的だった。照明が徐々に切り替わっていて舞台上の雰囲気が凄く色鮮やかになっていくあたりでは、まだ客席から話し声が聞こえていたが、吾郎と佳子が登場して会話を始める頃には客席の会話がなくなっていた。こんな始まり方もありだなと思った。

最後にその他演出について。
まずは、実際に倫夫が料理を作って、実際に食べてもらうシーンがあるのは良かった。かすかに舞台上の料理の匂いが漂ってきた。豚の生姜焼きも美味しそうだったが、個人的にはラストのペペロンチーノを斉藤家全員で食す光景が好きだった。あの食べっぷりも良かった、無言でちょっと満足げに、きっと佳子のことを思い出して食べているんだろうなというのが伝わった。
和睦が着ていたTシャツの柄も結構ツボだった。最初の登場シーンで着ていたTシャツが、何の映画によるTシャツかは分からなかったが、「トレインスポッティング」のTシャツは笑った。そのTシャツ欲しいなとまで感じた。

写真引用元:温泉ドラゴン 公式Twitter


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

役者陣は全員演技が素晴らしかったのだが、もう少し小さい劇場で迫力を堪能したいと思った。客席とステージが遠かったので、そのインパクトが凄く散漫していた気がした。でも素晴らしかった。
特に素晴らしいと個人的に感じた役者について触れていく。

まずは、斉藤佳子役を演じた大西多摩恵さん。今作の主人公にしてMVPだった。彼女のあの演技でないとこの作品はなかったというくらい、大西さんの演技がこの作品を作っていた。
佳子の役の設定として、非常に陽気でポジティブで能天気そうなおばさんというのがある。そこを大西さんは見事に演じていて、あの振り切った演技があったからこそ、全てのこの作品の設定が活きてくるので、本当に素晴らしかった。
実は最初、この佳子があまりにもポジティブでふざけた役だったので、倫夫が自転車でリビングにやってくるシーンで、佳子は認知症か何かなのかなと疑ってしまった。あまりにも他の人間たちとキャラが違って浮いていたので、今後の伏線としてそういった設定があるのかと思ったが違った。そのくらい佳子はぶっ飛んでパワフルだった。でもそんな感じの女性って、たしかに身の回りにはいるし、そういった人からいつも元気を貰っているなと納得感を得た。
2022年11月・12月に上演されたぱぷりか『どっか行け!クソたいぎい我が人生』の主人公の女性とも通じてくる、おせっかいでおしゃべり好きなおばさんという感じが凄く良かった。

次に、斉藤吾郎役を演じた大森博史さん。大森さんの演技を拝見するのは始めてだったが、非常に優しそうでおおらかな演技が個人的には好みだった。
佳子の言う通り、たしかに吾郎は一見優しそうに見えて実は自分のことばかり、ずっと絵画に没頭している感じはそのとおりだと思った。深夜まで絵画に没頭するくらいだから。そして、なんと言っても自分の絵画の話をしている時が一番生き生きとしていてキャラクターとして好感が持てた。好きなことに熱中している楽しさみたいなのが滲み出していて良かった。でもそうさせてくれているのは佳子だった。
あんな感じの男性に自分もなりたいと思った。

斉藤倫夫役を演じた筑波竜一さんも素晴らしかった。筑波さんの演技は、2022年4月に『広島ジャンゴ2022』で拝見していた。
倫夫のあの無気力な感じが本当に感慨深かった。劇中前半に、倫夫が舞台の隅でずっと呆然と客席側を見続けるシーンがある。その時は特に倫夫の現状について劇中で説明がないので疑問が残る。あれは一体なんだと。しかし他の登場人物が誰も彼に触れないで無視しているので、何か事情が分かっているのだと察す。それが、コロナ禍に入る前に店が倒産に追い込まれていたとは。そして、物語が進んでいくうちに、倫夫は若い頃メディアにも取り上げられるくらい才能のあった料理人であったこと、それが事情によって店が無くなってしまって、ずっと無職でようやく外に出たりものを片付けられるようになったといううつ状態だったと分かる。
人生、やりたいことを追いかけてその夢が志半ばで無くなってしまうと、こんなにも抜け殻になってしまうものなのかと恐怖した。そして、そんな彼にも優しく明るく接する佳子も素晴らしかった。

斉藤周司の妻の斉藤奈美恵役の宮下今日子さんも素晴らしかった。まさか宮下さんの夫が、八嶋智人さんだったとは驚き。宮下さんの演技は、『広島ジャンゴ2022』で一度拝見している。
奈美恵は若い頃からダンスをしていて、それで周りからも認められて仕事も増えた。しかし、年齢を重ねるとそんな仕事も減ってしまった。今では、傍らでダンス公演に出場して頑張っているといった状況。そんなキャラクター設定もあってか、やたらと過去の自慢話をしたりとプライドが高くて、凄く個性がリンクしていて素晴らしかった。
あとは、夫の周司に子供が出来ないことを不平不満そうにいって、流しにいた奈美恵が食器を落としてしまった演出がちょっと怖かった。夫婦の仲に亀裂が入りそうで。個人的には、周司はあまり良いキャラクターには感じられず(もちろん演じていた、いわいのふ健さんは素晴らしかった)、家父長制の古い価値観の残る男性に感じられた。きっと、兄も弟も好きなことをやっていて、自分はその分この斉藤家を支えるんだ的な責任を感じてそうなった部分もあるのかななんて思った。

最後に、葬儀屋の上林幹雄役を演じていた東谷英人さん。東谷さんの芝居は劇場で何度も拝見してきたが、今回のようなここまでひょうきんな演技は初めてだったかもしれない。
個人的にツボだったのが、フェイスシールドを付けるのは良いのだが、マスクが小さすぎて鼻まで隠れていないあたりも仕事の出来なさを顕にしていて面白かった。

写真引用元:温泉ドラゴン 公式Twitter


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、今作の脚本による考察と、私自身が感じたことを踏まえてレビューしていくことにする。

私は今作を観劇して、映画「湯を沸かすほどの熱い愛」を思い出した。宮沢りえさんが演じる幸野双葉は、杉咲花さん演じる娘の幸野安澄を支えながら銭湯を切り盛りしてきた。それだけでなく、周囲の様々な人間の世話をおせっかいに感じるくらいみていた。
しかし、ステージⅣの膵臓癌になってしまう双葉は、小学生の娘を置いて天国へ旅立ってしまう。ずっと頼りにして生きた双葉に逝かれてしまい、残された人々たちは双葉の存在の大きさに気付かされ涙し、自分たちだけで今後は生きていこうと成長する。
ちょっと状況は違うものの、大まかなテーマと展開は、今作とも通じるかなと思って思い出していた。

仕事をしながら子供たちを支え続けてきたが、いよいよ病気になって支えることはできなくなる、子供といっても40代くらいなのだが、未だ定職につけておらず生活費もままならない。そんな家族構成はきっと、今の日本社会に多く存在することだろう。「8050問題」と通じてくることかもしれない。だからこそ、こうして今上演されるべき脚本なのだろうなとも思うし、多くの観客の胸を打たれるのだと思う。

長男の倫夫は、若い頃から料理人としての腕を評価されて、メディアにも乗ったことがある腕のある人物だった。だから次男は、本当は自分だってそうやって料理人になりたかったけれど、自分の実力ではなることは出来ず、栄養士として仕事していた。そのため、ずっと長男に嫉妬していた。倫夫が豚の生姜焼きを作ったときにコンビニへ行ってしまったのも、そういった嫉妬の現れではないかと思う。
しかし、倫夫が失業してしまってから、立場は逆転してしまった。だから佳子の葬儀の時も次男が率先して仕切っていた。そんな状況に、きっと倫夫は心を痛めたであろう、自分は本職も失って今後のことも何もかも失って、そして大好きだった母親も亡くし、さらに次男に虐げられるようになるとは。そんな転落も人生はあるのかと思うと怖い。
一方三男は、特にコンプレックスとかはなく自由に生きているから笑ってしまう。映画批評ブログなんて、おそらく誰も興味を持っていない。佳子でさえ、小難しいと敬遠していた。でもポジティブに生きているから、なんとなく人生において責任というものを感じていないように見えた、三男だから。

今作はたしかに、この日本社会にかなりいそうなどこかの家族をリアルに描いた素晴らしい作品だったが、果たして演劇としての上演意義はどこにあるのだろうか。私は個人的にはそこに疑問が残った。
こういった家族ヒューマンドラマは、割と映画でも成立してしまうものである。むしろ映画の方が、こういったシリアスな展開は映像の迫力によって引き込まれたりする。
もしくは、小劇場演劇としてもっと箱の小さな劇場で上演すれば、役者の演技力でより引き込まれたと思う。ぱぷりかの『どっか行け!クソたいぎい我が人生』がそうだった。同じ家族ものを演劇で描きながら、舞台空間の活かし方がうまかった。
しかし、今作はシアターイーストというキャパの舞台でやる演目として、ちょっとその魅力が散漫する形の芝居だったかなと思う。たしかに、安田電気の社宅の明かりの演出など、中劇場以上でないと出来ない演出もあるし、演劇ならではの演出を活かした要素はあった。だが、それが物語の核心なのか、それがないと上演は難しいのかというと疑問で、十分に小劇場でも映画でも出来てしまうと思う。
あまり、中位の劇場で上演する演目としてはもったいなく感じた。

ただ、私の好みのジャンルの舞台演劇だったので、非常に観劇出来て良かったですし、始めましての役者も多くてまた知識と経験が増えた気がした。

写真引用元:温泉ドラゴン 公式Twitter



↓筑波竜一さん、宮下今日子さん過去出演作品



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