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舞台 「リア王」 観劇レビュー 2024/03/23


写真引用元:PARCO STAGE 公式X(旧Twitter)


写真引用元:PARCO STAGE 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「リア王」
劇場:東京芸術劇場 プレイハウス
企画・製作:パルコ・プロデュース2024
原作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:松岡和子
演出:ショーン・ホームズ
出演:段田安則、小池徹平、上白石萌歌、江口のりこ、田畑智子、玉置玲央、入野自由、前原滉、盛隆二、平田敦子、秋元龍太朗、中上サツキ、王下貴司、岩崎MARK雄大、渡邊絵理、高橋克実、浅野和之
公演期間:3/8〜3/31(東京)、4/6〜4/7(新潟)、4/13〜4/14(愛知)、4/18〜4/21(大阪)、4/25〜4/26(福岡)、5/2(長野)
上演時間:約2時間55分(途中休憩20分を含む)
作品キーワード:古典、悲劇、シェイクスピア、舞台美術、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


パルコ・プロデュースがシェイクスピアの四大悲劇のうちの一つである『リア王』を上演するということで観劇。
今回の上演では、演出家に英国出身のショーン・ホームズさんを迎え、リア王を演じる主演俳優に第30回読売演劇大賞で最優秀男優賞を受賞した段田安則さんを起用している。
ショーン・ホームズさんと段田安則さんのタッグは、2022年4月に上演された舞台『セールスマンの死』以来となる。私は『セールスマンの死』を観劇はしていないが、名演出家と豪華なキャスティングによる新解釈の『リア王』を観てみたかったので観劇することにした。

物語は基本的には『リア王』のストーリー通り進行していくが、舞台設定がオフィスのようであるなど、どこか現代的な演出を取り込みながら展開される。
リア王(段田安則)は年老いたため、三人の娘に土地を譲って王の座を退きたいと言う。
そこでリア王は、長女のゴネリル(江口のりこ)、次女のリーガン(田畑智子)、三女のコーディリア(上白石萌歌)の三姉妹に対して、一番リア王自身を愛しているのは誰なのかを試す。
ゴネリルとリーガンは、リア王のことを尊敬しているかのような言葉をスラスラと述べるので、リア王は上機嫌になってそれぞれ土地の三分の一ずつを与えることにする。
しかし、コーディリアはリア王のことをよく言わず生意気な口を利いたため、リア王は怒ってコーディリアには土地は譲らず追い払う。
そのリア王の自分勝手な言動にケント伯爵(高橋克実)はリア王を止めようとするが、逆に彼もリア王からの反感を買って追放される。
その後ゴネリルは、あまりにも高圧的な態度を取ってくるリア王に嫌気がさしてしまい...というもの。

今作は第一幕と第二幕に分かれていて、第一幕はリア王がゴネリルとリーガンからの怒りを買って国を追い出されてしまうシーンまで、第二幕はその後リア王が何もかも失って嵐の中を彷徨うと同時に、城内ではゴネリルやリーガンたちが権力を持ってしまったが故の内部争いに発展するシーンを描く。
個人的にはリア王はもっと高圧的な態度を取る人物だと思っていたが、思ったよりはマイルドな老人に感じられ、特に第二幕では何もかも失ってしまったリア王の姿を見て哀れに感じた。
人間、次第に偉くなっていくと権力と金が自分の人生全てのようになっていくので傲慢になってしまうのも頷けるし、それが無くなってしまうと何も残っていないという寂しさがあるということを改めて認識させられた。
自分が今後年老いていく時も、社内での地位にしか自分の価値を見出せない人物にはなりたくないと思ったので、仕事をしながら仕事以外にも自分の価値を発揮出来る場所、コミュニティは大事にしようと思った。
また第二幕で特に、ゴネリルやリーガンが権力を持ってしまったが故に、徐々に傲慢になって狂気に満ちた存在になっていく過程に恐ろしさを感じた。
人間というのは、権力を持つと盲目になってしまうのか、人が変わってしまい恐ろしくなった。
そういう権力に人々が翻弄される様というのはシェイクスピアらしいと感じたし、400年以上前に書かれた戯曲がこうやって今でも通用する普遍性を突いているというのは凄いことだと思った。

またこれは、ショーンさんの演出の素晴らしさなのだが、ステージを現代的なオフィスに設定したというのが非常に見事だった。
ショーンさんの演出だったので、若干日本というよりは欧米の雰囲気が強かったが、ホワイドボードがあってウォーターサーバーがあってコピー機のある構造はオフィスにしか見えず、会社のトップである社長も辞任するとリア王に近い存在になってしまうものだと改めて気付かされた。
私の所属する会社も先日社長が辞任したばかりで、まさにステージ上は自分の勤めている会社にしか見えなかった。
ゴネリルやリーガンは会社を継承した人々で、コーディリアやケント伯爵は社長交代によって会社の指針や雰囲気が変わって転職していく人々にも見えてならなかった。
そのくらいリア王と現代がリンクしてきて上手い演出だったと感じた。

役者は豪華なキャストが揃っていて見応えがあった。
特に、リア王を演じた段田安則さんの迫力はあるが、どこか憎めず共感できる老人像はとても素晴らしかった。
また、個人的にはグロスター伯爵を演じた浅野和之さんの存在感や、その庶子であるエドマンド役の玉置玲央さんのクールな立ち振る舞いが堪らなかった。

非常にシェイクスピアの難しい台詞回しも多くて、物語を全て理解しようとするのは至難の業だと思う。
しかし、全部は掴めなくてもストーリーはある程度未見・未読でも掴めるようになっていると思うし、ステージが現代風なので今の私たちの身にも置き換えやすくなっていて、しっかりと『リア王』で提示されるメッセージ性が伝わってくると思う。
ショーンさんの西洋風で日本ではあまり見られないようなスタイリッシュな演出も含めて多くの人に見て頂きたい傑作だった。

写真引用元:ステージナタリー PARCO PRODUCE 2024「リア王」フォトコールより。




【鑑賞動機】

ショーン・ホームズさんの演出も見たことなければ、段田さんの演技も見たことがなかった私だが、シェイクスピアの四大悲劇の一つである『リア王』を、こんな豪華なキャストで観られることもあまりないだろうと思って観劇することにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

ステージには、下手から上手に向かって大きな一枚のホワイトボードになっている巨大な白壁が設置されている。下手側にはウォーターサーバー、上手側にはコピー機が置かれている。そこへ、長女のゴネリル(江口のりこ)、次女のリーガン(田端智子)、三女のコーディリア(上白石萌歌)が入ってきて椅子に座る。
リア王(段田安則)は、自分がそろそろ年老いてきたので、王を引退したいと言う。白壁には三分割されたグレート・ブリテン島の地図が映像で映し出される。リア王はこの地図を指し示しながら、三人の姉妹たちに対して誰が一番自分のことを褒め称えてくれるかを試し、一番気に入ったことを言った姉妹に土地を譲ろうとする。まずは長女のゴネリルに問うてみると、ゴネリルはリア王のことを素晴らしく褒め称えるので、三分割した土地の一つを与えると言う。次に次女のリーガンに問うてみると、リーガンもリア王のことを褒め称えるので、リア王はリーガンにも三分割した土地の一つを与えることを約束する。
最後にリア王は三女のコーディリアにも同じ問いかけをする。しかしコーディリアは、正直にリア王のことについて彼を褒め称えるようなことを言わなかった。そしてコーディリアは、本来コーディリアに与えられるはずだった土地が投影されている箇所に大きく×を書いた。そんな生意気な態度を見たリア王は激怒する。こんな態度をとる人間は自分の娘ではないと。
激怒したリア王の様子を見て、リア王の忠臣のケント伯爵(高橋克実)はリア王を宥めようとする。しかしケント伯爵の言動はリア王の機嫌を損ねるばかりで、ついにリア王はケント伯爵にも激怒し彼を追放してしまう。ケント伯爵は白壁を突き破って去っていく。
リア王は、コーディリアの求婚者であったバーカンディ公爵(岩崎MARK雄大)とフランス王(秋元龍太朗)を呼び出す、バーカンディ公爵はコーディリアがあのような無礼な態度を取ったので結婚を辞退し、コーディリアはフランス王の妃となる。

リア王に仕えていたグロスター伯爵(浅野和之)には、嫡男のエドガー(小池徹平)と庶子のエドマンド(玉置玲央)がいた。エドマンドはエドガーをずっと恨んでおり、エドマンドはエドガーが父のグロスター伯爵を殺して財産を手に入れようとしているという偽の手紙を作成する。そしてその手紙がグロスター伯爵にバレ激怒する。
そのことを知ってしまったエドガーは父のグロスター伯爵と顔を合わせることが出来なくなってしまい、城から逃亡せざるを得なくなる。その時エドガーは、上手側の白壁に穴を開けて逃げていく。

ゴネリルは、リア王の横柄な態度にうんざりしていた。そこでゴネリルは、家臣のオズワルド(前原滉)にリア王一行に冷たい態度を取るように指示する。そしてリーガンにも手紙を出す。
一方、追放されたケント伯爵は別人になりすまして再びリア王の元に仕えることになる。
リア王はオズワルドたちに冷たく接せられていることに腹立てる。そんな時、リア王の元には道化(平田敦子)が現れた。道化は、王というのは一度座を退いて土地を娘たちに与えてしまうと、何も残らなくなってしまう寂しい存在だとリア王を揶揄する。
そんな時、堪忍袋の緒が切れたゴネリルがやってきてリア王に怒りをぶつける。そして、リア王に仕える騎士を100人から50人に減らしてしまう。リア王はゴネリルに激怒する。こんなの自分の娘ではない、頼りになるのはリーガンだけだと。リア王はリーガンの元へ向かう。
ケント伯爵はリア王に従順に仕えるので、ことの様子をリーガンの元に手紙で送り届けようとするが、オズワルドたちに見つかってしまい対立する。そこにリーガンや彼女の旦那のコーンウォール公爵(入野自由)もやってきて、ケント伯爵は足枷を嵌められてしまう。

一方、追放された身となったエドガーは自分に指名手配がかけられていることを知ると、服を脱ぎ、全身をペンキのようなものでカラフルに塗って自分がエドガーだとバレないような姿になって逃げる。
リア王と道化がやってくると、ケント伯爵が足枷に嵌められた姿になっているのを見つける。ケント伯爵の足枷を解いてあげながらリア王は激怒する。そこへ、ゴネリルとリーガンが現れる。リーガンは、リア王に仕える騎士たちを25人にすると言う。リア王は怒り、これならゴネリルの50人の方がまだマシだと言うが、ゴネリルはさらに騎士を10人にすると減らす。そしてリーガンは1人にすると言う。
リア王は、ゴネリルもリーガンも許せなくなってしまい挙句の果てに城を道化と一緒に抜け出して嵐の中の森の方へ向かう。

ステージ上にあった白壁がゆっくりと上に吊り上げられていき、ステージには奥行きのある舞台、上手側に空中に浮かんだ枯れ木がある。

リア王と道化、そしてケント伯爵は雷の鳴る嵐の中、荒野を彷徨っている。そこへエドガーがやってくる。エドガーは裸で全身にペンキを塗ったような格好をしているので誰も彼をエドガーだと気がついていないようである。リア王はエドガーに仕切りに君はギリシャの学者か?何の研究をしているのか?と尋ねる。リア王は、二人の娘に裏切られて悲しい思いをしていることを吐露する。
そこへ、松明を持ったグロスター伯爵もやってくる。グロスター伯爵が合流したことでみんなで城を目指そうと言う。

ここで幕間に入る。

ゴネリル、オールバニー公爵(盛隆二)、オズワルド、リーガン、コーンウォール公爵、エドマンドが横に整列して登場する。彼らは、グロスター伯爵が裏切ってリア王の元に向かいドーバーへと向かっているとの情報を得る。一同はグロスター伯爵への怒りを露わにし、彼を捕らえることを決意する。
エドマンドは、リア王から一時的に離れたグロスター伯爵を生捕りにする。そしてエドマンドは父親が自分を裏切ったとしてグロスター伯爵の片目を抉り取ってしまう。そしてコーンウォール公爵はグロスター伯爵のもう一つの目玉を抉り取る。節穴となってしまったグロスター伯爵はそのまま逃れて荒野を彷徨う。
しかし、あまりにも酷い仕打ちをしたコーンウォール公爵の言動に内部からも反乱があり、コーンウォール公爵はその影響によって死んでしまう。あまりにも酷い仕打ちに怖気付いてしまったオールバニー公爵は、これはいくらなんでもやり過ぎだと反発する。その弱気な態度に嫌気が差したゴネリルはオールバニー公爵と対立するようになる。そしてオールバニー公爵は、グロスター伯爵をあのような目に合わせたエドマンドに仇討ちしようと画策する。そしてオールバニー公爵と不仲になったゴネリルはエドマンドに接近していく。

一方、両目を潰されたグロスター伯爵は、ずっと荒野を彷徨っているとエドガーとリア王に助けられる。リア王は頭に紙袋を被せて王冠にしていた。リア王は、エドマンドたちに両目を潰されたグロスター伯爵を哀れむ。お互いに不幸な目にあった身としてより共感し合う。
そこへ、ゴネリルがエドマンドに宛てた手紙を持ったオズワルドを捕らえ、彼を成敗する。その手紙には、ゴネリルからエドマンドへの恋文とオールバニー公爵を殺害するよう指示する内容だった。

リア王たちはドーバーへ上陸する。するとコーディリアの歌声が聞こえる。コーディリアとフランス王がやってきてリア王たちを迎え入れる。
ゴネリル、リーガン、エドマンドたちはリア王たちがドーバーに上陸したことを知ると、そちらへ進軍して戦い、リア王やコーディリアたちを捕虜にする。コーディリアはそのまま息絶えてしまい使者に抱き抱えられて運ばれる。
ゴネリルたちの勝利宣言に伴い、リーガンがエドマンドと結婚宣言を申し出る。しかし、オールバニー侯爵はゴネリルが自分を殺してエドマンドと結婚しようとしていたことを手紙で知っていたため異議申し立てをする。ゴネリルは驚く。そしてゴネリルはリーガンを毒殺し、自分も短刀で自らの命を絶つ。
そこへエドガーが自分がエドガーであることを全員の前で暴露し、エドマンドに一騎打ちを挑む。エドガーとエドマンドの一騎打ちの結果、エドマンドが倒れる。エドガーが勝利する。
そこへ、今までリア王の元に仕えていたのがケント伯爵であったこともケント伯爵自身は暴露する。リア王はほとんど意識を失っていたが彼がケント伯爵であったことをかろうじて認識し、息を引き取る。

再びステージに白壁が天井から降りてくる。

オールバニー公爵とケント伯爵、そしてエドガーの3人のみが生き残り、今までの戦争の犠牲者たちに報いるように新しい国を築き上げていくと誓う。ここで上演は終了する。

シェイクスピアの難解な台詞回しのオンパレードで、あらすじしか物語を知らなかった私はだいぶ劇中置いて行かれてしまった。上記の物語の書き起こしは、私の観劇中の記憶だけでなく、『リア王』に関する解説ページを複数参考にしている。そうでないと到底理解できなかった。
しかし、ストーリーが細部まで理解できなくても、ある程度劇中で何が起きているのかは分かるし、この物語からシェイクスピアが何を伝えたかったのかは明確に分かるので素晴らしいと感じる。人間とは愚かな生き物である。自分の私利私欲がどんどん膨れ上がってしまうと周りは見えなくなってしまう。リア王も最初は王の座についていたから、服従しない者、自分の意にそぐわないものを排除しようとした。しかしそれはリア王だけでなく、人間はみんな陥りがちなんだということを改めて感じさせられた。
そして個人的にはラストにも凄くグッときた。それは、日本が太平洋戦争という悲惨な戦争を乗り越えた国だからであると思うし、現在ウクライナとガザで戦争が絶えないからなのかもしれない。そんな悲劇を乗り越えて今の平和があることを忘れてはならないし、二度と争いを起こしてはいけないというメッセージ性にも感じられて凄く響いた。
リア王が治めていた国が、現代のオフィスだったり日本そのものだったり、世界そのものだったり色んなものに置き換えた時に見える景色から様々な解釈や考察が出来て、改めて普遍性を突いたシェイクスピアの傑作なのだと認識させられた。ここまでシェイクスピア作品を楽しめたのは初めてだったかもしれないし、古典の面白さに触れられた気がした。

写真引用元:ステージナタリー PARCO PRODUCE 2024「リア王」フォトコールより。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

初めてのショーン・ホームズさんの演出の拝見だったが、非常に海外演劇らしくスタイリッシュな舞台空間に引き込まれた。舞台セットを沢山仕込むのではなく、ステージの空間を活かした演出が功を奏していて新たな演出手法を目撃した感覚だった。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
まず舞台セットは大きく分けて2種類存在した。第一幕序盤から第一幕後半までと第二幕終盤に登場した、ホワイトボードになる巨大な白壁がステージ一面にそびえ立つセット。もう一つは、その白壁が天井に吊り上げられ、プレイハウスのステージを奥行きまで存分に使った素舞台のセットである。
まず、前者の舞台セットは巨大な白壁がホワイトボードや映像が投影されるスクリーンの機能を持ち、例えば白壁にグレート・ブリテン島の地図が投影されて、そこにコーディリアが黒ペンで×を付ける演出が印象的だった。白壁の下手側は序盤にケント伯爵がリア王の機嫌を損ねて逃亡するシーンの時に穴が開けられてしまい、上手側はその後エドガーが逃亡する時に穴を開けてしまって、割と芝居の長い時間白壁には巨大な二つの穴が開いてしまうのが印象的だった。この穴を開けたケント伯爵とエドガーは身バレしないように終盤まで別人として劇中に登場するので、そういった意味合いもこの演出には込められていた。また、この開けられた穴を巧みに活かす演出も見事で、舞台終盤にこの穴から死んだゴネリルとリーガンが暗い影からこちらを見ている演出も印象に残った。こうして私たちが平和に明るく暮らせるのは、以前影で死んでいった人たちがいるということを暗示しているような演出で考えさせられた。
この白壁は、どことなく現代のオフィスを思わせるような仕掛けになっているのが非常に興味深い。ステージ下手側にはウォーターサーバーが、ステージ上手側にはコピー機が置かれていて、これはまるでリア王という社長が取り仕切る企業に他ならなかった。人々の衣装がどこか西洋人のスーツ姿に見えたので欧米風の現代のオフィスといった感じだった。
白壁には、劇中様々な落書きがなされる。コーディリアの×印に加え、ゴネリルの家の落書き、涙を溢した顔など、それぞれ誰が何のために描いたかは忘れてしまったが、落書きしてただの白い壁が様変わりしていく様子が面白い。この白壁は毎公演ごとに作られているのだろうか、気になった。
第一幕後半になると、この白壁は天井に吊り上げられる。そしてステージ上には何もない広々とした奥行きのある空間が広がる。下手手前側にウォーターサーバー、中央奥にコピー機、上手奥側に宙に浮いた樹木が吊り下がっている。この荒れ果てて何もない舞台空間そのものが、リア王の没落そのもののようにも見えた。今まで王として絶大な権力を持って治めていたのに、その座を娘に明け渡してしまうと何も残らない。そんな空間に見えて淋しさを感じた。

次に映像について。
映像は、基本的には劇序盤にリア王が示すグレート・ブリテン島の土地を三分割した地図と、筆記体で書かれた手紙が投影されるために用いられた。筆記体で書かれた手紙は、重要な演出だと分かりつつも劇中は何と書かれているか把握できなかった。そういった意味では、ある程度あらすじを押さえておいた方が楽しめたのかもしれない。
あとは、手紙を映像で投影する時にステージ上にあるコピー機がプロジェクターになっているのが面白い仕掛けだった。そして、ハエが飛んできて叩いてその死骸が映像に映し出されたり、グロスター伯爵のくり抜かれた目玉が映像の上で潰されるといったグロテスクな演出も功を奏していた。

次に衣装について。
まず男性陣は基本的にスーツなのが印象的だった。リア王も「王」というようなゴージャスな格好はしておらずオシャレなスーツ姿だった。どことなくトランプ大統領が想起された私にとっては、アメリカンなオフィスにしか見えなかった。
一方で、リア王の三姉妹は全員ピンク色のドレスを着ていて、どことなく現代のエリザベス女王を想起させた。やはりこちらも現代の権力を持った女性たちを衣装からイメージさせた。そして三人とも同じピンクなのだが、若干ドレスのデザインが異なる点も印象的で、ゴネリルは二の腕が見えるちょっとパワフルなドレス、リーガンは長袖のドレスでレースっぽいのが印象的、コーディリアは登場時には帽子まで被っていて王道のドレススタイルだった。
エドマンドだけパーカーみたいなカジュアルな服装だったのも、ハッカーのようで面白かった。

次に舞台照明について。
白壁のあるシーンでは基本的にステージは白く明るい感じだった。リア王の城内やグロスターの屋敷で場面が繰り広げられるので当然かもしれない。
一方で、ステージが素舞台になる荒野のシーンにおける舞台照明が非常に秀逸で鳥肌が立った。まず、もの凄い数の蛍光灯が天井に並べられている。そして、不規則に蛍光灯が点滅することによって、それが雷を表していた。非常に独創的でユニークな舞台照明演出だった。無数にある蛍光灯の一つだけが明滅するシーンもあれば、複数の蛍光灯が明滅して大きな雷鳴を伴う演出もあって、非常に荒野の中の嵐っぽさを上手く作り上げられていたと思う。感動した。
また、荒野のシーンでは蛍光灯の照明の他に、巨大な光量強めの灯体も吊り込まれていて、月明かりだったりをイメージした。

次に舞台音響について。
音響も秀逸だった。劇中ずっと地鳴りみたいな不気味なじゅうていおんがずっと聞こえている。まるで戦時中のようないつ悲劇が起きるか分からないような不穏な感じを上手く舞台空間として作り出していて非常に上手いと感じた。
あとは、所々ハエのようなムシの音が聞こえるのが凄く気になった。基本的にムシが集ってくるのはエドマンドのシーンだったように思う。ムシというのは、ずっと自分にまとわりついてくる邪魔な存在、きっと自分のことを誰かが噂しているのではないかという虫の知らせとか、これから悪いことが降りかかるという前兆のようなもののメタファーにしか見えなかった。
雷鳴も迫力があった。雷鳴もその他の効果音も、基本的に重低音を効かせた音が多くて、その重々しい音響が重厚な舞台空間を作り上げていて、今作のテイストとも合っていたと思う。
あとは、コーディリアを演じた上白石萌歌さんの歌声も良かった。最近上白石さんは色々な場面で歌を披露している印象がある。最近だとドラマ『パリピ孔明』でもそうだった。上白石さんが持つ繊細で麗しい歌声が劇場に響いていて、戦時中の荒れ果てた大地に流れると、癒しにも感じられる一方、コーディリアの生きづらさにも直結してくるようにも感じた。

最後にその他演出について。
何といっても、『リア王』というシェイクスピアの古典悲劇を、現代のオフィスに置き換えて無理なく上演してしまう点に、ショーン・ホームズさんの演出家の采配と、シェイクスピアの戯曲が持つ素晴らしさが光っていた。リア王が年老いたので王の座を譲るというのは、年老いた社長が部下にその座を譲る構造と近いものを感じるし、それでも今まで王として社長として権力を持っていた人間は、自分を立ててくれる存在がいないとやっていけない。だからこそ、コーディリアにあのようなことを言われて腹を立ててしまう。現代の世の中にも通じる描写だと感じた。
シェイクスピアの難しい台詞回しが続くなと思っていたら、急に客席を笑いに誘うような息が切れる演出も盛り込まれていて良かった。例えば、リア王の配下たちが複数人いる中、グロスター伯爵が口笛を吹きながらウォーターサーバーへ向かって水を飲むシーンは面白かった。後輩社員がデスクに座っている間に、上司が口笛吹きながらウォーターサーバーに向かうことって日常のオフィスでもありそうである。そういうリアリティを要所要所に組み込むことによって、今劇中で起こっていることが現代の日常で起こっていることと根本的には同じであることを訴えていて面白かった。
シェイクスピアの言葉回しは非常に難しくて、劇中に登場する言葉の真意を半分以上汲み取れなかった気がした。動物を用いたメタファーや体を使って表現するメタファーが多くて、そこはシェイクスピアといった、近世、近代の戯曲、小説によくありそうな言葉選びだった。目が鼻の近くについているのは、匂いで感じ取れないものをよく知覚できるようにするためなど興味深い台詞も多く、時間があったら戯曲をしっかり読み込んで真意を理解したいものである。

写真引用元:ステージナタリー PARCO PRODUCE 2024「リア王」フォトコールより。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

キャストは非常に豪華で、舞台だけでなくテレビや映画・ドラマでも活躍されている俳優も沢山いらっしゃる一方で、舞台メインで活躍されている実力舞台俳優も起用されていてレベルが高かった。
ここでは、特に印象に残ったキャストについて見ていく。

まずは、リア王役を演じた段田安則さん。実は、段田さんの演技を拝見するのは初めて。
NHK大河ドラマ『光る君へ』にも出演されている段田さんだが、段田さんが演じるリア王は確かに老害と言ってしまえばそうなのだが、凄く憎らしい存在には見えずにしっかりと一人の老人として共感できるキャラクター性であるというのを上手く演じきっていて素晴らしかった。
非常に迫力があって、確かに怒らせると怖そうというオーラがあるのだが、それは威厳があった劇序盤だけだった。荒野のシーンになっていくと、しっかりとリア王の権力が落ちていってか弱くなっていくのが肌で感じ取れる。だからこそ次第に共感していってしまう。
第二幕の紙袋を王冠に見立てて歩くリア王は、本当に見窄らしくか弱くて惨めに思えてしまう。人は誰しも権力を失うとそうなってしまうのかと思うと悲しかった。
そんな緩急あるリア王役を演じていた段田さんが素晴らしかった。

次に、エドマンド役を演じた玉置玲央さん。玉置さんは劇団「柿喰う客」の劇団員で、何度も舞台で演技を拝見している。
玉置さんは最初「柿喰う客」の俳優として知ったが、今ではNHK大河ドラマ『光る君へ』に出演されるくらいの大物になって、舞台好きとしては大変嬉しく思う。
エドマンドだけは、この登場人物の中で異様なオーラを放っていて魅力的だった。パーカーを着ているし、メガネをかけているし、どこかハッカーのような存在でずる賢い感じの印象を受ける。実際に、兄のエドガーをグロスター伯爵と計って追い出したり、影で色々と人間の糸を操っていて非常に魅力的な役だし格好良かった。
最後のエドガーとの一騎打ちも見どころだった。結果的にエドガーに討ち取られてしまうが、それでも悪役として魅力的だった。

個人的に好きだったのは、グロスター伯爵役を演じた浅野和之さん。浅野さんはよく三谷幸喜さんの作品に出演されているイメージだが、今作では三谷さん作品以外で拝見した。
浅野さんの脇役を卒なく熟す感じが非常に上手くてハマっていた。まずスーツが非常に似合うし、リア王の家臣として、そしてエドガーやエドマンドの父として非常に目立ちすぎず、薄い存在にならず絶妙なポジショニングを上手く演じていたと思う。
そして何といっても、第二幕序盤で両目をくり抜かれて潰されて、荒野を彷徨ってリア王に助けられるまでのシーンが、何ともグロスター伯爵が可哀想で同情した。

あとは非常にハマり役だったという意味では、道化役の平田敦子さんも素晴らしかった。
あのちょっとバカにしたような口ぶり、西洋の寓話などに出てきそうなあの台詞回しと口調は本当にキャラクターとしてたまらなかった。
かなりけちょんけちょんに道化はリア王のことを言うのに、なぜか道化のことを憎らしく思えないのは、道化が持つ愛嬌があるからかもしれない。そう言う愛嬌を出せるかどうかという点で、この役は非常に難しい役だと思う。それを平田さんは卒なく熟されていて素晴らしかった。

あとは脇役でも非常にインパクトがあったのが、オールバニー公爵を演じた劇団「イキウメ」の盛隆二さんと、コーンウォール公爵を演じた入野自由さん。
まず、盛さんは「イキウメ」の公演ではよくお見かけする実力俳優だったが、「イキウメ」以外の公演で演技拝見するのは初めてだったと思う。非常に力強くて男らしく逞しい風貌をしていながら、どこか妻のゴネリルの尻に敷かれているのが印象的で好きだった。そしてラストでは、生き残った人物の一人として一番美味しい格好良い台詞が言えるのが何とも印象的だった。あの台詞を盛さんが言うから説得力があるように感じた。
入野さんは、どうやら調べてみたらジブリ映画『千と千尋の神隠し』でハクの声を担当されていた方らしく驚いた。非常に若々しく威勢に任せて憎き対象人物を成敗しようとする傾向があって好きだった。グロスター伯爵の目玉をくり抜いて潰すとかやり過ぎだと思うが、そう言う度を越したことを威勢に任せてやってのける感じが若さが出ていて好きだった。

写真引用元:ステージナタリー PARCO PRODUCE 2024「リア王」フォトコールより。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、『リア王』という戯曲に対しての考察と、今作が現代の日本で上演される意義について私なりに考察していこうと思う。

私は『リア王』という戯曲自体に今作の上演で初めて触れたが、シェイクスピア特有の難しい台詞回しに翻弄されて、物語の詳細はなかなかついていけず、観劇後に解説サイトや他の方の感想を読みながら内容を理解していった。そのくらい理解するにはハードルの高い作品だった。
しかし、内容は詳細に掴みきれなくても、今作で最も伝えたいメッセージ性や主題はしっかりと伝わってくるので、シェイクスピアのことについて全く知らなくても、この戯曲を全く触れたことがなくても楽しめるようになっているのは素晴らしい作品だと感じたし、巧みな上演だったと思う。
私が戯曲で特に興味深いと感じたのは、道化の存在である。道化は様々なメタファーを使ってリア王の置かれた立場を説明し、今作で一番のメッセージを伝えてくれている気がした。直接的な言葉ではないけれど、王という存在は、王座についている間は最強のような存在だが、一度座を退いて譲り渡してしまうと惨めな存在になってしまうこと、王という肩書きがあっただけで何も残らないということを訴えていた気がした。それは、後述するが今の世の中でも通用すると感じる。人間は老いれば次第に力も弱くなっていく。今まで王として強い存在であったように思えたが、それは王という肩書きにすがっていられたからであり、それがないと実は非常に弱い存在であるということを。

また、シェイクスピアの古典悲劇ということで、人間の欲望と業を痛烈に描いた物語だとも感じた。凄くシェイクスピアらしさを感じた。それは、私が唯一シェイクスピアの悲劇で触れたことがある『マクベス』を強く想起させられたからだと思う。
『マクベス』も、主人公のマクベスがマクベス夫人にそそのかされている部分もあると思うが、次第に権力に溺れて周囲の人間をどんどん殺していく物語である。権力や金に目が眩んでしまうと、にんげんは意の向くままに行動を起こして狂気と化してしまうのだなと感じた。それは『マクベス』でも『リア王』でも共通していて、シェイクスピアはそういった人間の欲望を描くのが上手いと感じた。
『リア王』でも、最初はリア王が権力を盾に娘たちを自分の意のままに従わせようとしたが、その後権力を握ったゴネリルやリーガンも、そしてコーン・ウォール公爵もエドマンドも同じように権力に溺れて自分の気に食わない人物を消しかけようとする行為は、人間皆同じで欲深いのだなと感じた。
シェイクスピアが仕切りにこういった戯曲を書いていたということは、当時のイギリスもそういった人間の欲望のままに権力が行使される時代が続いていたということだろうか。シェイクスピアが、なぜそういった類の悲劇を書き続けたのかは気になる所である。

次に、今作が現代の日本で上演されることの意義について考察してみる。
実は『リア王』は、シェイクスピアの四大悲劇の中でも比較的上演回数が少ない戯曲のようである。個人的には意外だった。なぜなら、こんなにも今の日本の世相にマッチしたシェイクスピアの戯曲はないと思ったからである。
『リア王』は、当然主人公がリア王という老人な訳で、しかも長年王様という権力を握ってきた老人の物語である。こんなにも高齢化社会が進んでいる日本において、このリア王に共感できる観客はきっと多いに違いないだろう。
『リア王』は、現代のオフィスを舞台設定にしていることで、分かりやすく会社の重要ポジションについている人間なら誰でもリア王のようになり得ることを暗示している。人間長年仕事を真っ当に熟してくれば、仕事こそ自分の人生であり誇りになる。そのような人間が役職を退くということがいかに怖いことなのかが想像つく。長年培ってきた自分のキャリアを捨て去ることに半ば近いのかもしれない。それは、人間どうしても怖いことだから、その権力に甘えてしまおうとするものだと思う。
しかし、そういった言動が周囲の顰蹙を買ってしまい、それが自分の身に仇となって返ってくる。そんなリスクを今回の上演は私たちに教えてくれているように感じる。

昨今、「老害」という言葉が流行っている。年老いても尚権力や経験にすがろうとするがあまり、若者の居場所を奪ってしまったり、彼らの不利益になるような言動をしてしまうことである。高齢化社会の進む日本では、この「老害」が至る社会において取り沙汰され、問題視されている。
しかし今作と照らし合わせて注目したい所だが、確かにリア王は頑固だし自分の言う通りにいかないと機嫌を損ねる老害だったが、ゴネリルもリーガンもそういったリア王に耐えきれず、彼に反発した結果どんどん権力がエスカレートしてやがて自分の身を滅ぼしてしまったことである。
リア王もそうだし、グロスター伯爵も老害と扱われる人物の一人かもしれないが、ゴネリル、エドマンドたちのグロスター伯爵に対する両目をくり抜いて潰してしまうという行動が狂気の沙汰であった。それは「老害」という言葉から老人たちに対する若者の憎しみというものはあるのかもしれない。しかし、それが度を越してしまうと自分の身を滅ぼしてしまうのかもしれないと思った。グロスター伯爵の酷い仕打ちから、今まで一体感のあったゴネリルたちは分裂してしまったように思えた。
ここから読み取れることは、老人たちが今までの権力と経験にすがって老害化しがちであるという忠告があると同時に、若者には経験者に虐げられることによる憎しみによって我を忘れかねないという忠告があるように感じた。老人たちは生きた化石、若者たちよりも長く生きてきたが故に見えてくる視点や考え方がある。私を含めて、若者たちは「老害」と排除しようとするのではなく、向き合うことも重要であることを教えられたように感じた。

最後に、今作のラストシーンで生き残ったオールバニー公爵が、戦争の犠牲を無下にすることなく国を治めるのような格好良い決め台詞を語っていた。その時に、白壁に開けられた穴から暗くゴネリルとリーガンの姿が覗かせている演出から感じたのだが、この作品は昨今の戦争をも意識した上演であったことに気付かされた。
演出家のショーンさんは一体日本という国をどう捉えているのか興味深い所である。私は今作の上演を観劇して、高齢化社会を持つ国という見え方はもちろんある一方で、太平洋戦争で多くの犠牲者を出した上に成り立った平和な国という見方もしているのかなと感じた。
というのは、ラストシーンでリア王が治めていた国というのが、日本にあるどこかの企業ではなく、この国そのものに見えたからである。オールバニー公爵が発するメッセージというのは、太平洋戦争で敗戦した日本が、そこから復興して栄えた国であることを思い起こされた。
そしてそのオールバニー公爵の言葉は、日本という国は敗戦を経て平和主義を唱えた国だからこそ、もっと国が世界に先導して戦争のない世の中を主導していく義務があることを訴えているように感じた。
現在では、ウクライナやガザでずっと戦争状態であるにも関わらず、日本はあまりそこに関心を示さないことが多い。憲法第9条に平和主義を約束した国は日本しかない、こうして戦争が起きてしまった世の中が続いている中で、今こそ日本が過去の敗戦経験を踏まえて平和を主張しないといけない立場なのではないかというメッセージが盛隆二さんの名演によって訴えかけられているように感じた。

『リア王』という戯曲は、そんな意味もあって今の日本で上演すべき作品だったと思うし、敗戦経験があって世界で唯一平和主義を憲法に掲げた国だからこそ、もっと今の戦争が続く悲しい時代の中で、もっと存在感を出して平和を訴えていかなければいけない、そうショーンさんは日本人に向けて「リア王』という作品を通じて語りかけているように私は感じた。

写真引用元:ステージナタリー PARCO PRODUCE 2024「リア王」フォトコールより。


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