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舞台 「文明開化四ッ谷怪談」 観劇レビュー 2024/01/27


写真引用元:サルメカンパニー 公式X(旧Twitter)


写真引用元:サルメカンパニー 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「文明開化四ッ谷怪談」
劇場:下北沢駅前劇場
劇団・企画:サルメカンパニー
作:福田善之、井村昂
演出:石川湖太朗
出演:石川湖太朗、村岡哲至、柴田元、遠藤広太、大林拓都、井上百合子、高木友葉、松原もか、島村苑香、中島ボイル、丸山輝、鈴木良一、観世葉子(観劇回のキャストのみ記載)
演奏:あいしゅん、青、藤川航、河野梨花
公演期間:1/26〜2/4(東京)
上演時間:約2時間20分(途中休憩10分を含む)
作品キーワード:時代劇、幕末、四谷怪談、生演奏、ラブストーリー
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆



2017年に旗揚げした石川湖太朗さんが主宰する劇団「サルメカンパニー」の公演を初観劇。
「サルメカンパニー」は、池袋演劇祭や日本演出者協会主催の若手演出家コンクールなどに参加し、2021年には佐藤佐吉演劇賞で最優秀演出家賞を含む6部門受賞、昨年(2023年)では劇団結成5周年で東京芸術劇場へ進出し、舞台『スウィングしなけりゃ意味がない』が好評を博して話題となった。
そして今回は、日本劇団協議会主催の日本の演劇人を育てるプロジェクト新進劇団育成公演に選出されたということで観劇することにした。
今作は、Aキャスト、Bキャストのダブルキャストで上演しており、私はBキャストの方を観劇した。

今作は、鶴屋南北の『四谷怪談』を元に、明治初期の文明開化の時代に生きた男女たちを生演奏と共に上演した舞台となっている。
門弟筆頭の鍵谷伊右衛門(石川湖太朗)は、希和(井上百合子)と結婚をし子供を身籠っていた。
廃刀令によって刀は没収されるが、遠い鹿児島の土地では西郷隆盛を筆頭に新政府軍に反乱を起こしているとの情報が入り、自分たちもその反乱軍に混ざりたいと淡い希望を抱いていた。
しかし、伊右衛門の元にアメリカへ留学して帰国した梅(松原もか)という女性がやってくる。彼女は洋服を着てまるで西洋に心を奪われたようであった。
慶應義塾出身で新聞記者をやっている鳥飼武司(遠藤広太)は、西郷隆盛が九州の地で新政府軍に破れて自害したと関東にいる伊右衛門たちに報じる。
その後、伊右衛門や希和たちは新政府軍たちの仕掛けた爆破に巻き込まれ...というもの。

まず、下北沢駅前劇場という小さなキャパの小劇場に、13人の出演者+4人の奏者という人口密度がとても高い芝居だったのだが、どのキャストも演技力が素晴らしく迫力もあってクオリティの高さを感じた。
殺陣シーンは序盤のみ登場するのでそこまで多くはないのだが、声量も迫力ある上に演技が凄く丁寧で時代劇に相応しい魅力を存分に感じられて素晴らしかった。
また、当劇団の持ち味である生演奏とそれによる映像演出も素晴らしく、要所要所にそういった舞台ならではの魅力を引き立ててくれる演出が入ることによって、作中の起伏を上手く作っているように感じた。
演奏も、三味線による和の演奏から、サックスによるジャズのような洋の演奏まで、贅沢な生演奏を近距離で堪能出来て演出は感無量だった。

しかし、脚本に関してどうしても私はすんなりと入ってこなくて退屈してしまうシーンがあった。
そもそも、この作品の展開が面白みを見せ始めるのが第一幕の終盤あたりからで、特に前半部分はずっと単調に感じてしまって脚本構成として間延びしすぎでは?と思った。
それは、私が『四谷怪談』を読んだことがなかった点も大きかったと思った。観劇後に『四谷怪談』について調べたことによって、この脚本の面白さに気づけたので、そこをもっと親切にサジェストしてあげると良いような気がした。
それがないと、どうして文明開化が起きた明治初期に『四谷怪談』をベースにして脚本が書かれたのか分からないと思う。
私は観劇中はその意図が分からなかった。

今作を観劇する際は、事前に『四谷怪談』のあらすじは把握しておいた方が良いと思う。
『四谷怪談』には様々なバリエーションがあり、南北朝時代を背景とした『東海道四谷怪談』もあるが、欲を言えば『東海道四谷怪談』の原典となっている『四谷雑談集』の『四谷怪談』のあらすじまで知っておいた方が、登場人物と時代背景との対応もついて理解も深まり面白さが増すと思う。
事前に予習をした上であれば、あとは役者たちの演技力の素晴らしさと生演奏を含めた舞台ならではの演出力の素晴らしさを存分に楽しめるのではないかと思う。

写真引用元:サルメカンパニー 公式X(旧Twitter)




【鑑賞動機】

「サルメカンパニー」は、昨年(2023年)5月に東京芸術劇場で上演された『スウィングしなけりゃ意味がない』の告知時に初めて私は認識した。その時の舞台のSNSでの感想の盛況ぶりは凄まじかったので、次回公演はぜひ観劇してみたいと思った。また、若手の劇団で同世代でもあるので、ますます興味を抱いて今回チケット予約をした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

明治初期、同じ門弟の鍵谷伊右衛門(石川湖太朗)と関内勘蔵(柴田元)。関内は若いのに武芸に優れている伊右衛門のことをライバル視していた。関内は長年ずっと武芸を鍛錬してきたのに、この若造にこんなにあっさりと抜かされてしまうのかと嫉妬し、伊右衛門に切りかかる。その時、伊右衛門の前を彼の妻である希和(井上百合子)が通りかかる。希和は関内に斬られてしまったのかと周囲は驚くが、彼女が手にしていた大根が真っ二つに斬られただけだった。
明治維新が起きて明治に突入した当時の日本、全国に廃刀令が出されて刀が没収された。多くの武士たちは刀がなくてどうやって今後生活したら良いのか困っている。鳥飼武司(遠藤広太)は、彼は今までも武士ではなかったので周囲の男からいつもバカにされていたが、廃刀令によってそれもなくなった。彼は福沢諭吉の慶應義塾出身で、それを活かして新聞記者を目指す。
その頃、薩摩では西郷隆盛を筆頭に士族たちが新政府軍に対して反乱を起こしていた。鳥飼は、その西南戦争を関東に住む伊右衛門たちに報じようと奔走する。
ここで、映像と生演奏が入ってオープニングが始まり、「文明開化四ッ谷怪談」の文字が現れる。

伊右衛門たちは、世間を賑わせていた芝居に興味を惹かれていた。それは、『四谷怪談』というものである。
希和は、男性というものは異性でも生き物でもないものに心を奪われてしまうことがあるのだなと恐れていた。
伊右衛門が住む屋敷に、一人の女性とその祖父がやってくる。その女性は梅(松原もか)と言い、その祖父は廻船問屋を営む藤屋嘉兵衛(鈴木良一)といって海路を牛耳っている金持ちのようである。梅は洋服を着た西洋かぶれであった。梅は、先日までアメリカへ留学に渡っていて帰国したばかりだった。希和の妹である袖(高木友葉)は、梅たちを屋敷へ案内する。
袖と梅は酒を飲みながら語る。梅は、アメリカがいかに素晴らしい場所だったかを語り、文明開化の良さを熱弁する。袖は酒を飲みすぎてベロベロになり千鳥足になる。

鳥飼の報告では、九州で起きている西南戦争は、西郷隆盛率いる士族軍が熊本まで押し寄せたものの、熊本城に立て篭もる新政府軍をなかなか攻略出来ずにずっと田原坂で戦っているとのことだった。
伊右衛門は、そんな九州で新政府軍に反乱を起こして戦っている人々の近況を聞いて羨ましく思いながら、希和と仲睦まじく暮らしていた。
九州での士族たちの戦いの様を生演奏と映像を駆使しながらエンターテイメントに演出する。
しかし、結局士族軍は新政府軍に破れて西郷隆盛は自害し西南戦争は集結した。士族軍が敗北した理由には、新政府軍には太い海路が確保されており、それは海路を牛耳っていた藤屋嘉兵衛による輸送の力も影響していたと噂された。

ある日、関東では新政府軍たちによって爆破事故が起きた。人々は恐怖したが、その時に希和は被害にあって顔を火傷してとてもではないけれど人前で歩けないほどの傷を顔に負ってしまった。

ここで幕間に入る。幕間中も、奏者たちによる生演奏が絶えず、希和や袖などの着物を着た女優たち4人による童歌のようなパフォーマンスも行われた。

希和は、先の新政府軍による爆破によって顔に一生傷跡の残る大怪我を負ったので、周囲の人々から距離を置かれた。人々には、その醜い姿からあの爆破自体は希和がやったのではないかという疑いもかけられ差別された。希和はそれからまもなく行方不明となってしまった。
伊右衛門、袖たちも希和のことで噂していた。彼らも、最初希和の顔を見た時は身内であるにも関わらずゾッとしてしまったと語っていた。彼女の行方を知る者は誰もいない。
そんな伊右衛門の元へ、梅が近づいてくる。梅と伊右衛門は恋仲になっていき、藤屋嘉兵衛からは婿に入ってくれないかなどの縁談も持ちかけられる。

一方、伊右衛門は久しぶりに関内や同じ門弟の師範代であった萩山(村岡哲至)に出会う。しかし、伊右衛門は今まで武士として共にしてきた関内や萩山が軍服を着て警察官として働く姿を見て驚く。伊右衛門は彼らに追及する。どうして、新政府軍に身を売ってしまったのだと。
萩山は、こうするしかなかったと言う。廃刀令で刀は没収され、もう武士として生きていくことは出来ないのだからと。

伊右衛門は、その頃から悪夢にうなされる。悪夢には、自分の死んだ母親の久万(島村苑香)が現れる。久万は今の伊右衛門と同じくらいの歳で亡くなってしまっている。その母親の美しさに伊右衛門は惹かれる。
希和が行方不明になって、彼女の世話をしていた宅悦(中島ボイル)にも出会うが、彼は盲目になってしまったらしく見えていないようだった。
伊右衛門は、伊藤博文は百姓の出なのに政府にまで上り詰めてと軽蔑する。伊右衛門は、再び萩山と関内に説得される。ずっと武士の心を持ち続けるか、文明開化に乗じて西洋を取り入れるか、それは正義と正義のぶつかり合いでどちらが正しいという訳ではない。そんな萩山たちの力説に伊右衛門は心動かされる。
そこへ川路利良が亡くなったと報じられる。関内と萩山は動揺する。

鳥飼武司は、新聞記者として活躍したのち、「郵政報知新聞社」を立ち上げて新聞社を創設した。また、梅と共にアメリカへ渡った女子留学生の山川捨松は、結婚して大山捨松となった。
洋服を着た梅と、同じく洋服に着替えた袖は、西洋風の音楽に合わせて踊り始める。そんな様子を温かく見守る背広に着替えた鳥飼武司。梅と袖は、二人が船に乗って海を渡ろうとしている姿を目撃する。船の汽笛は出会いでもあり別れでもあるから寂しい音なのだと梅はつくづく思う。ここで上演は終了する。

この物語の冒頭では、出てくる登場人物たちがみんな着物を着ていて、チャンバラをやっていて、しかも伊右衛門が一番強くて関内などは彼に対して嫉妬するという構造で始まるが、物語終盤では伊右衛門が関内や萩山に説き伏せられる、且つほとんどの人が洋服という構造で終わる。武士の時代から文明開化の時代への時代の潮流を象徴するような始まり方と終わり方で凄く対照的で興味深かった。
明治維新の歴史に沿って、様々な歴史的事実も登場して、幕末好きな方には堪らない脚本だろうなと思う。私は、あまり幕末の歴史について授業で習った範囲しか知らなかったので、観劇中に登場する言葉な人物を覚えておいて、あとで調べてみて色々と気付かされることも多かったし、歴史の勉強にもなってよかった。
観劇中は、どうして明治維新を『四谷怪談』をベースに描きたかったのか分からなかった。しかし、観劇後に『四谷怪談』のあらすじを調べてみてようやく理解した。これを事前に知っていれば、もっと今作を楽しめたと思った。だからこそ、観劇前の『四谷怪談』はお勧めしたいと感じた。
知識を有していれば、この脚本の魅力や作り込まれ方に色々気付かされて楽しく感じられる。改めて、観劇って観劇中だけに止まらずその後の調査や咀嚼によっても楽しめるものだと思わせてくれた。

写真引用元:サルメカンパニー 公式X(旧Twitter)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

チャンバラ、着物、三味線といった和の舞台美術と、洋服、ジャズ、軍服といった洋の舞台美術と、和から洋へのグラデーションを巧みに活かした演出が素晴らしかった。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番でみていく。

まずは舞台装置から。
下北沢駅前劇場のステージを端から端まで使い、ステージが奥に向かって3段ほど段差を設けている。中央には菱形のスペースがあって、そこで殺陣演技がしやすいように平面になっている。ステージ奥には、障子が複数枚仕込まれていて、その障子を開閉することによって映像のスクリーンになったり役者が登場できるデハケになったりする。
この障子も、第一幕終盤の西南戦争の終結のシーンでビリビリに破かれてしまう。そこから障子は登場しなくなり、物語終盤では西洋風の赤い幕がいつの間にか降ろされていた。そんな演出も、和から徐々に洋へと移り変わる文明開化を物語っているようにも思える。
あとは小道具として様々なものが登場した。一番目立ったのは、伊右衛門の屋敷のシーンで和傘が複数置かれているシーンはとても美しかった。

次に映像について。
開閉する障子をスクリーンにして、特に協調されるシーンで映像が使われていた印象である。また障子が残っていたシーンなので、和の面影が強い第一幕に多かったかもしれない。
オープニングの「文明開化四ッ谷怪談」の文字も横長に大きく映し出されるととても迫力があった。あとは、時代背景を鳥飼が説明する際に使っていたのがよかった。西郷隆盛のあの有名な肖像写真が映像で登場したり、西南戦争の様子が錦絵として障子に映像で投影される感じも好きだった。
あとは、映像としてだけでなく障子の後ろにいる役者のシルエットを演出として使うのも良かった。障子の後ろに誰かの影があるとたしかに不気味に感じるし、そこから障子を突き破って手が出てくるのも良かった。

次に衣装について。
最初は武士の時代ということで皆着物、そして梅と藤屋嘉兵衛は登場シーンから洋服で、第二幕になると徐々に軍服、洋服の人間が増えていく。そして最後には全員洋服になる。伊右衛門は最後登場しないので洋服を着る姿はないが、きっと最後に船に乗って出発するのは伊右衛門だと思われるので、洋服を着て帰ってくることになるのだろうなと思う。もう一人、希和も洋服を着ることなく終わる。梅がずっと洋服、希和がずっと着物という対比構造も上手いと思った。
希和の、第一幕終盤に爆破に巻き込まれたシーンからかぶっている悍ましい作りものも良かった。どこか、映画『エレファント・マン』を思い出してしまう。
また、幕間中に登場した狐のお面も良かった。あの童歌も和の良さを観客に思い出させてくれる感じがあって、だからこそ文明開化に名残惜しさを感じたのかもしれない。

次に舞台照明について。
本当に照明が格好良かった。赤や青、黄色、などカラフルで映える。こういった和の舞台に対してカラフルに照明を当てるのは非常に親和性が高いのかもしれない。
あと面白いと思ったのが、刀で斬られたような横にラインのように差し込む照明。特に「文明開化四ッ谷怪談」の文字が映像で投影される時に差し込んだ横に切り裂く照明が格好良かった。
印象に残ったのはラストの水色の照明。梅と袖たちは海の方を見ているのできっと水色の照明にしたのかなと思うが、文明開化することは悪いことではない。そこには希望と見受けられる舞台照明にも感じた。

そして、「サルメカンパニー」の醍醐味である生演奏による舞台音響。
下手手前側に4人の奏者がいて、みんな黒子を被っているが、ベース、ギター、サックスなどひっきりなしに劇中演奏を流してくれる。こんな小劇場で、こんな近くで生演奏を聞きながら観劇できるなんてなんて贅沢なんだとも思った。
第一幕の演奏には、途中三味線も登場する。三味線は、希和が途中演奏していた。こうした和の生演奏もあれば、終盤はサックスによるジャズっぽい音楽もあり、和から洋へ生演奏もシフトしていて面白かった。どちらの演奏・楽器にもそれぞれ良さがあって、和も洋も良いなとつくづく思わせてれるそんな演出だった。
あとは、私自身が下手側前方の客席で観劇していたので、割と奏者たちを観やすい席だったのだが、奏者がお互い協力しながら楽器を静かに交換したり、受け渡したりしていて、そんな仕草にもグッときてしまった。奏者も役者のうちの一人なんだなと改めて感じさせてくれた。また楽しそうに演奏している姿にもジンときた。

最後にその他の演出として印象的だったのは、まずは殺陣シーン。殺陣シーンは序盤と第一幕終盤と数えるほどしか登場しないが、小劇場で、しかもあれだけの大人数でチャンバラをやっていると迫力があるものである。特に一番最初のシーンでは、木刀のようなものをバチバチと打ち合っているので、音も響いてきて迫力抜群だった。それが、第一幕終盤になると爆破みたいな感じになるので、戦い方も文明開化で変化したよなと感じた。劇中の台詞では「アームストロング砲」の話も出てきて、西洋の威力ってのは今までの日本が有していたものでは太刀打ちできないよなと感じさせられる。
あとは、非常に明治維新の歴史的事実が登場して面白かった。西郷隆盛や西南戦争は最たる例だし一番分かりやすが、それ以外でも沢山登場した。例えば、梅はおそらく津田塾大学の創始者である津田梅子を匂わせる描写が沢山登場する。津田梅子自身も、実際アメリカに渡って留学しているし、一緒に留学した山川捨松に関する言及もあった。そして、山川捨松は、結婚して大山捨松になったというのも、大山巌という陸軍大臣と結婚したという歴史的事実とも一致する。劇中直接的な言及はないが、梅はおそらく津田梅子だろうと推測される。また、鳥飼武司に関しては、慶應義塾大学出身で西南戦争の新聞記者をした際に「郵便報知新聞」に雇われている。この「郵便報知新聞」は実存した新聞で、現在のスポーツ報知新聞である。また、この鳥飼武司という人物は間違いなく犬養毅をイメージしていると考えられる。なぜなら、犬養毅も慶應義塾大学出身で西南戦争の際に「郵便報知新聞」の社員として記者をしたのだから(そう考えると、鳥飼さんは今後五一五事件で暗殺されてしまうのか残念)。
あと気になったのは終演後の演出で、役者一同が客席に向かってお辞儀をした後に、劇場入り口から支配人のような人がやってきて、一つの写真を主宰の石川さんに渡す。その写真は、外国人の子供が一人映っていて、それに伴って戦闘機が通り過ぎるような音が流れる。石川さんは、泣くことも出来ない子供がいたと言って、第二次世界大戦を想起させることを呟いて終わる。これはきっと、次回作への伏線だろうか気になった。

写真引用元:サルメカンパニー 公式X(旧Twitter)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

とにかく役者は13人と多かったが、どの方もみんな熱量溢れていて素晴らしかった。パッションだけでなく演技としても洗練されていて良かった。やっぱり時代劇は役者の演技力にかかっているなとつくづく感じた。
特に印象的だった役者について記載する。

まずは、主人公の鍵谷伊右衛門役を演じた、「サルメカンパニー」主宰の石川湖太朗さん。
石川さんの演技は初めて拝見するが、見た目通りで凄く爽やかで清々しい演技をしていた。声にも迫力があるが、繊細さも兼ね備えていてなかなか羨ましい才能の持ち主である。
伊右衛門は、若くてとても器用なキャラクター設定で同輩の関内を負かして嫉妬させてしまうほどである。希和という素敵な妻もいる。最初は希和と仲睦まじい様子だったが、例の事件があって希和の顔が醜くなってしまって失踪してからは、梅と恋仲になっていく。こんな清らかな感じの男性が他の女性を好きになってしまうとはというショッキングさもあった。
でもそのショッキングさがこの作品のミソで、自分がずっと貫いていこうというものは時代の変遷と共に揺らいでしまうもの、時代の潮流というのはものすごく大きな力を持っていることの表れだとも感じた。
個人的には、最後に伊右衛門が関内や萩山たちに説得されそうになっていたシーンに対して、伊右衛門がその説得に屈してしまいそうになった時、ちょっとショッキングな印象も抱いた。その時心を揺さぶられた。この時代、きっと多くの人々がこうやって否応なしに文明開化を求められ、変えさせられたに違いない。今まで良しとされてきたものを捨てて、新しい時代に適応していく辛さを感じた。だからこそ格好良かった。

次に、伊右衛門の妻の希和役を演じた演劇集団円所属の井上百合子さん。井上さんの演技を拝見するのも初めて。
非常に和装が似合う方だなと思いながら見ていた。表情も柔らかく、非常に時代劇に向いている俳優さんだなと思いながら観劇していた。
まず、希和という名前が素敵である。もちろん、『四谷怪談』をベースにしているので、お岩から名前は来ていると考えられる(希和の読み方は「きわ」が一般的だし「いわ」に発音は近いが、劇中では「きお」と言っていたような気がしたのは気のせい?)。和に希望を見出す存在という漢字にも読み取れて、まさしく役柄にぴたりとハマる名前だと思った。
希和は、武士の時代に繁栄した女性である。三味線という和の演奏も行うし、武士であった伊右衛門が好きであった。しかし、新政府軍の爆破事故によって、希和は顔に大怪我を負ってしまい醜くなってしまう。顔が醜いからという理由で差別されてしまう時代も酷な話だが、それによって物語上で急速に和の力が衰えていくことである。
ずっと顔を隠したまま、存在感を消しながら舞台上を歩き回る希和の姿がとても印象的だった。

今作で最も素晴らしい演技だったと感じたのは、梅役を演じた松原もかさん。松原さんの演技を拝見するのも初めて。
松原さんの第一印象は、凄く二階堂ふみさんに似ているなと感じた点。二階堂さんがこの役を演じてもぴたりとハマるだろうなと思った。自分の意志がはっきりしていて力強い感じが似ているなと感じた。
梅は、登場したシーンでは物凄く悪者のような形で出現する。みんなが着物を身に纏っている中で、梅と祖父の藤屋嘉兵衛だけが西洋かぶれで、梅は豪華な洋服を着ている。そしてアメリカの魅力を語る。非常に強そうな女性で、最初はその存在に抵抗を感じるものの、徐々に周囲も西洋に馴染んできてむしろ馴染んでいく感じがまた演出として良かった。
キャパの小さい小劇場なので、松原さんの演技や表情をまじまじと観ることができたのだが、目力が強くて表情の一つ一つまで神経が行き渡っている感じがあって、本当に完璧な演技だったなと思う。きっと今後人気が出る俳優になるんじゃないかと冗談抜きで思う。それくらい素晴らしかった。
他の舞台でも、ぜひ演技を拝見したいものである。

新聞記者の鳥飼武司役を演じたサルメカンパニーの遠藤広太さんも良かった。
男性キャストは屈強な役者が多い中で、遠藤さんは武士役ではないということもあり、どちらかというと真面目でお勉強が得意な感じのキャラで目立っていた。だからこそ周囲の男からはバカにされていた。
でもそんな持ち味を活かして、西南戦争の戦況を関東に報じ、ある種この物語を俯瞰的に見る立場として凄く存在感を発揮していて良かった。そして遠藤さんの持っている個性も上手くハマっているように感じた。
しかし、そんな鳥飼武司が犬養毅になっていくなんて思いもよらなかったし面白い設定だなと感じた。

写真引用元:サルメカンパニー 公式X(旧Twitter)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

観劇中、明治維新の歴史も一般教養ぐらいしか知らず、『四谷怪談』のあらすじもよくわかっていなかった私で、果たして明治維新に『四谷怪談』を持ってくる意味がどこにあるのだろうと思っていたが、観劇後に調査をしたことによって、その目的がはっきりわかった。
ここでは、今作と『四谷怪談』との関連について言及しながら、文明開化の時代の潮流について考察しようと思う。

『四谷怪談』自体は、江戸中期の元禄時代に起きたとある事件をモチーフに、鶴屋南北が歌舞伎の戯曲として執筆した脚本となっている。『四谷怪談』は、怪談と付いていることもあって日本のホラー作品であり、『番長皿屋敷』と『牡丹燈籠』と共に日本三大怪談と称されている。
『四谷怪談』は通常『東海道四谷怪談』という名前で知られており、元禄時代に実際に起きた事件を南北朝時代に置き換えて話が作られている。では元になった元禄時代の事件というと、『四谷雑談集』にまとめられていて、以下のような話になっている。
四谷在住の田宮又左衛門の一人娘である岩は容姿性格共に難があり、婿を得ることが中々できなかった。浪人の伊右衛門は、仲介人に半ば騙された形で田宮家に婿養子として岩を妻にする。田宮家に入った伊右衛門は、上司である与力の伊東喜兵衛の梅に惹かれ、また喜兵衛は妊娠した梅を伊右衛門に押し付けたいと思い、望みの一致した二人は結託して、岩を騙すと田宮家から追う。騙されたことを知った岩は狂乱して失踪する。岩の失踪後、田宮家には不幸が続き断絶。その跡地では怪異が発生したという話である。

『四谷怪談』に登場する主人公の伊右衛門と今作の鍵谷伊右衛門は対応し、岩というのが今作の希和と対応する(因みに、『東海道四谷怪談』には岩の妹に袖が登場し、今作の袖とも対応する)。また、伊東喜兵衛というのが今作でいう藤屋喜兵衛と対応し、梅も『四谷怪談』と今作で対応する。岩の顔がもともと醜かったというのは、希和が途中から顔が醜くなってしまったこととも対応し、失踪することも共通している。伊東嘉兵衛も藤屋嘉兵衛も権力者で金持ちであり、梅をなんとか伊右衛門に近づけようとするという点でも共通する。また、岩または希和が去った後に伊右衛門は苦しくなるという点でも共通する。
このように、特に今作の物語後半に関しては元の『四谷怪談』のあらすじとかなり忠実にストーリーが進行している。だからこそ、『四谷怪談』をあらかじめ頭に入れておいた方が物語がすんなり入ってくるのである。

ではなぜ、今作では文明開化の時代に『四谷怪談』を盛り込んだのだろか。
『四谷怪談』は、元禄時代のとある事件が『四谷雑談集』にまとめられてから、南北朝時代に置き換えられたり、1994年の映画で忠臣蔵の外伝に置き換えられたりと、かなり様々な時代で用いられてきた。それくらい、『四谷怪談』の物語の核心で語られていることは、どの時代にも通じる普遍性があるのだと思う。
『四谷雑談集』に登場する『四谷怪談』では、主人公の伊右衛門が岩と結婚していたにも関わらずそそのかされて梅に心変わりしてしまうという、彼の信念の変化を表している。これを文明開化によって、和から洋へ信念を変化させることに置き換えたのが今作という解釈なのだと思う。

今作では、梅がアメリカでjustice(正義)を学んだと語っていた。日本でかつてjusticeと言われていたのは、武士として幕府に忠実でいることだった。しかし、アメリカを代表する西洋でのjusticeは、みんなが平等に教育を受けるなどといった、今までの日本の正義とは全く異なるものだった。
明治維新、文明開化の日本というのは、武士の時代から西洋を取り入れる思想へと変化する時代の節目である。かつての考え方も正義で、これからの考え方も正義で、そんな正義と正義の衝突こそが西南戦争などに代表される戊辰戦争なのである。
この時代を生きた多くの日本人は、武士の時代から明治維新によって価値観を大きく変化させて生きたに違いない。それは、今までの正義を捨てて、新たな正義を手にいれるということなのかもしれない。
その移り変わりが、『四谷怪談』の伊右衛門の岩から梅への気持ちの移り変わりと重なるから、文明開化に置き換えて脚本が作られたのだと解釈した。
今作の冒頭で、男は異性でも生き物でもないものに心を奪われてしまうことがあるというのは、この新しい価値観の受け入れのことだったのかもしれないと思った。

そう考えると、観劇中ずっとモヤモヤしていたことがスッキリしたし、それを踏まえるととても魅力的な作品だったなと私は感じた。
「サルメカンパニー」、とても奥深くユニークな演出も持っているので、また次回作も観に行きたいなと思った。

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