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舞台 「イノセント・ピープル 〜原爆を作った男たちの65年〜」 観劇レビュー 2024/03/16


写真引用元:CoRich舞台芸術!プロデュース 公式X(旧Twitter)


写真引用元:CoRich舞台芸術!プロデュース 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「イノセント・ピープル 〜原爆を作った男たちの65年〜」
劇場:東京芸術劇場 シアターウエスト
企画・製作:CoRich舞台芸術!プロデュース
作:畑澤聖悟
演出:日澤雄介
出演:山口馬木也、川島海荷、池岡亮介、川田希、小日向春平、森下亮、堤千穂、三原一太、水野小論、内田健介、安川摩吏紗、阿岐之将一、大部恵理子、神野幹暁、花岡すみれ、保坂エマ
公演期間:3/16〜3/24(東京)
上演時間:約2時間15分(途中休憩なし)
作品キーワード:原爆、戦争、人種差別、シリアス、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


舞台演劇の口コミ・情報ポータルサイトを運用する「こりっち株式会社」が「CoRich舞台芸術!プロデュース」として初のプロデュース公演を上演するということで観劇。
「CoRich舞台芸術!プロデュース」では、今まで過去に上演されてきた戯曲をリメイクして上演するということで、今回は劇団「渡辺源四郎商店」の畑澤聖悟さん作の『イノセント・ピープル』を「劇団チョコレートケーキ」の日澤雄介さんの演出で再上演された。
『イノセント・ピープル』は2010年に「劇団昴」で初演、2013年にも再演されて、今回は3度目の上演となる。私は今作の過去の上演も未見で、脚本も未読で観劇した。

物語は、1945年のロスアラモス研究所での原爆実験、1963年のロスアラモス研究所の20周年記念パーティ、1975年のベトナム戦争終焉後のアメリカ合衆国でのパレード、2003年の9.11後のイラク侵攻開始、2010年のオバマ大統領によるノーベル平和賞受賞におけるスピーチの、65年間の5つの時間を時系列を交錯させて描いている。
物語の序盤では、1963年のロスアラモス研究所の20周年を祝って、この研究所に勤めているブライアン・ウッド(山口馬木也)がBBQを企画し、自分たちの家族だけでなく1945年まで一緒に研究所で働いていたルームメイトと家族も招待する。今は海兵隊にいるグレッグ・シウバ(内田健介)とその家族、キース・ジョンソン(三原一太)とその家族、そしてジョン・マッケラン(森下亮)とその家族がやってきて18年ぶりの再会を果たす。
メンバーの中でも一番頭の良かったジョン・マッケランは、今では高校教師をやっていて周囲からは勿体ないと言われる。
このBBQは、ブライアンの息子であるウィリアム・ウッド(池岡亮介)のUCLA(カリフォルニア大学)入学祝いも含まれていたが、ウィリアムは先日聞いたジョン・F・ケネディの演説やグレッグのような海兵隊に憧れて、UCLAの進学を辞退して海兵隊に入隊したいと突然言い出すが...というもの。

作品に触れたことがなくても、タイトルからしてなんとなくストーリーの内容は予想出来たのだが、想像以上に日本人への差別描写が多くて面食らった。日本人が過去にこんなにもアメリカ人の立場に立って原爆投下という歴史的事実を描いたことがあったのかと驚愕した。
日本人にとって原爆投下は圧倒的な被害者側なので、どうしても反戦を謳いたくなってしまうものである。
しかし、アメリカ人たちにとっては原爆を日本に投下することに対して大義名分があって、その歴史的事実を正当化したいという思いがある。
時代と共にアメリカも原爆を投下したことに対して間違いだったと認めるようになる一方、当時を最前線で生きてきた人たちにとっては自分の生き様を否定されるようで苦しんできたのだということを改めて思い知らされて観ていて苦しかった。

また、舞台セットを含めた演出もなかなかグロテスクで鳥肌が立った。
舞台セットは、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所がある辺りをイメージしているようで、岩層の風景が広がっているのだが、かつてそこはインディアンたちが居住していたエリアで、白人たちが過去にインディアンたちを一掃した事実も間接的に描いていて考えさせられた。
また、劇中には日本人も登場するが、みんな面を被っていて似たような顔立ちになっている演出もグロテスクだった。
たしかに、異なる人種に対する個性への解像度が荒くなるというのは、白人に限らずそうなのかもしれないと思ったから。
それは、その人の他人種に対する興味感心への低さが原因だったり、色々な気味の悪さを連想させられてもはやホラーだった。

役者は非常に豪華で、CoRich舞台芸術!のYouTubeチャンネルをやっている俳優の方々や、小劇場でかなり活躍されている方が大勢起用されていて、まさにCoRich舞台芸術!プロデュースといったキャスティングだった。
また、山口馬木也さん、川島海荷さんといった有名人を起用しているあたりもかなりキャスティング力の凄さを感じた。
演技も俳優の方々皆素晴らしく、特に同じ役でも65年間を描くので、若かりし頃から年老いた姿まで違和感なく演じられていて素晴らしかった。
俳優陣の演技力の高さを感じた。

まず、CoRich舞台芸術!プロデュースの第一弾として、物凄く挑戦的な題材で勝負をしてきたんだなというその姿勢を賞賛したい。
間違いなく今作は人を選ぶ作品で観る人によってはかなりダメージを受けると思うし、センシティブな題材を扱っているので一歩間違えれば炎上もしかねないと思う。
しかし私は、今作は日本人ももちろん、世界中の人にも触れて欲しい傑作だと感じた。
先日アカデミー作品賞を受賞した映画『オッペンハイマー』とも通じる作品なので、映画と合わせて観て頂きたいと思った。

写真引用元:SPICE 『イノセント・ピープル~原爆を作った男たちの65年~』 撮影=保坂萌




【鑑賞動機】

普段、私の様々な活動でお世話になっている「CoRich舞台芸術!」のプロデュース公演ということで観劇することにした。そして、実は畑澤聖悟さんの戯曲の上演を観劇するのも初めてだったので、そちらも楽しみだった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

砂嵐のような効果音と共に、出演者が一斉に舞台上に現れる。そして映像に1963年のニューメキシコ州と表示される。
ブライアン・ウッド(山口馬木也)と妻のジェシカ・ウッド(川田希)は、BBQの準備をしている。息子のウィリアム・ウッド(池岡亮介)と娘のシェリル・ウッド(川島海荷)もその手伝いをしている。ウィリアムはUCLA(カリフォルニア大学)に合格して、その祝いをするらしい。
BBQ準備中に、ブライアンが18年前にロスアラモス研究所で一緒に仕事をしていた仲間が次々にやってくる。今は海兵隊にいるグレッグ・シウバ(内田健介)がやってきて、同じくルームメイトだったキース・ジョンソン(三原一太)は妻のニナ・ジョンソン(水野小論)と一緒だった。次に、同じルームメイトで医者のカール・コワルスキー(阿岐之将一)がやってきて、ルームメイトの中では一番優秀だったジョン・マッケラン(森下亮)も12歳年下の妻であるリンダ・マッケラン(堤千穂)を連れてやってくる。ジョン・マッケランは、成績優秀でありながら高校の教員をやっていることを皆に勿体無いと言われる。また、結婚した妻のリンダが教え子というのも聞いていじられる。
グレッグは海兵隊の人間ということで、いかに海兵隊が凄いのかを皆の前で力説する。陸軍や空軍よりも優れていることを高らかにアピールしていた。
そしてどうやら会話から、ブライアンたちは18年前にロスアラモス研究所で水爆実験をしていたことも窺える。
ブライアンは全員揃ったということで、ラム酒で乾杯しようとする。ラム酒は先日までアメリカが戦っていた朝鮮で飲まれている酒だったと嫌がる人もいたが、お構いなしにラム酒を皆についでいく。そしてブライアンは、ロスアラモス研究所20周年と18年ぶりの再会と、息子のウィリアムのUCLA合格を記念して乾杯する。
ブライアンとジェシカがその場を去ると、ウィリアムはグレッグたちに自分はやっぱりUCLAに進学せずに海兵隊に入隊したいと申し出る。ウィリアムは、先日聞いたジョン・F・ケネディ大統領の演説がとても格好良かったのと、グレッグの話を聞いて魅力的に感じたと。一同は驚き、その決断はブライアンとジェシカとは相談したのかと聞くが、ウィリアムはこれからだと言う。
ブライアンとジェシカが戻ってくると、ウィリアムはやっぱりUCLAへの進学は辞退して海兵隊に入隊したいと言う。ブライアンは叱る。今までやってきた努力をなんだと思っているのだと。しかしウィリアムは聞かなかった。
ジョン・マッケランのモノローグが始まる。ロスアラモス研究所での水爆実験の成功によってヒロシマにリトル・ボーイが、ナガサキにファットマンが落とされたということを。

1943年のロスアラモス研究所に時代は遡る。
研究所でブライアンとグレッグ、キースが騒いでいる。そこへ、ジョン・マッケランが32面体なら核分裂反応を発生させられると叫んで飛び込んでくる。そしてジョン・フォン・ノイマンの名前を上げて彼は天才だと賞賛する。マッケランはずっと必死で核分裂反応をどうやって起こすかの計算をしていたらしい。
そこへ、医者のカール・コワルスキーがやってくる。カールは二人の看護婦が寮のシャワーを浴びたいから使わせて欲しいと言っていると言う。ブライアンたちは大興奮する。
看護婦のルーシー・ローチ(大部恵理子)とジェシカがやってくる。ルーシーはそのままシャワールームへ向かう。キースとグレッグはルーシーに一目惚れして彼女のシャワールームへ向かう。
その間に、ブライアンはジェシカの側に座る。二人は緊張している様子である。ルーシーとキースたちが向かったシャワールームからは何やら甲高い声が聞こえている。

再び砂嵐が流れて、1975年に時間は進む。
どうやらベトナム戦争が集結してパレードが行われる様子である。お店の中には、グレッグ・シウバと彼の妻のマーシャ・シウバ(安川摩吏紗)がいた。彼らは頭に星条旗の模様のシルクハットを被っている。GMといったアメリカの自動車メーカーも好調で、プジョーやフォルクスワーゲンといった欧州の自動車メーカーの話題になると気に食わない様子だった。
ウッド夫妻やジョンソン夫妻、マッケラン夫妻もやってくる。ニナ・ジョンソンはこの前日本へ旅行に行ったらしく、原爆が投下されたヒロシマにも行ったらしい。しかしニナはヒロシマにあった原爆資料館に物凄く不快感を示していた。彼らはあくまで被害者といった感じで並べられているのが気に食わず、日本はパールハーバーや南京大虐殺などして人を沢山殺しているのに腹が立ったと言っていた。そして日本人はみんな同じ顔をしていると。トヨタのような日本車は小さくてちゃちいとも言っている。
そこへ、車椅子姿のウィリアムが海兵隊の姿で入ってくる。彼は皆に祝福される。先ほどのスピーチはとても格好良かったと。ベトナムの戦地で国のために戦ってきて誇りだと。外では花火がなり始めている。ウィリアムは花火の音に敏感で強くなるといつも怯えていた。
そこへ、シェリル・ウッドが一人の日本人男性を連れてやってくる。その日本人男性はスーツ姿で面を被っている。シェリルは彼をタカハシ・ヨーイチ(小日向春平)だと紹介する。タカハシはお辞儀する。シェリルはブライアンに自分はこのヒロシマ出身の日本人男性と結婚したいと申し出る。ブライアンは驚き反対する。日本人との結婚なんぞ絶対に許さないと。

再び砂嵐が流れて、1945年7月に時間は遡る。
ブライアン、キース、グレッグは水爆実験が上手く行ったと興奮している。しかし、原爆をヒロシマに落とすことによって戦争を終わらせようとしている彼らをジョン・マッケランは恐怖する。これを落としてはいけないと。

再び砂嵐が流れて、2003年に時間は進む。
登場人物の多くが高齢になっていた。ジョン・マッケランはすでに亡くなってしまっていた。グレッグやブライアン、キースは、先日の9.11(アメリカ同時多発テロ)を受けて、すぐにでもバグダッドに軍を派遣してフセインを征伐しないとと躍起になっていた。
グレッグにはリチャード・シウバ(神野幹暁)という息子がいた。グレッグの息子というのもあって、彼も海兵隊に入ってバグダッドへ進軍しようとしていた。
しかし、車椅子姿のウィリアムは止める。自分も同じく若い時、海兵隊に憧れて入隊したが、ベトナム戦争で健康な体を失って車椅子生活になった。だから恋愛も出来なかったと。こうなっても良いのかと。
その場にリンダ・マッケランもいて、実は夫のジョンが亡くなったのは病気ではなく自殺だったと打ち明けた。ずっと水爆実験で原爆の開発に従事して、自分の行いによって10万人という多くの尊い命が犠牲になってしまったと。
こうやって今は原子力発電が使われているけれど、なぜ自分たちは被曝せずに済むか、それはあの時のトリニティ実験で人間はどのくらいまでプルトニウムを浴びても問題ないかが実験されていたからだと言う。その時のデータを使って今の原子力発電があるのだと。グレッグの体にもプルトニウムが沢山浴びさせられているのだと言われる。

そこから、1945年のヒロシマやナガサキに原爆が投下された時を表すシリアスな音と、浮かれ狂って踊っているアメリカ人たちが描かれる。これで戦争を終わらせることができると。

2010年に時間は進む。
ブライアンとグレッグは絶望している。どうやらリチャードはイラク戦争で命を落としてしまったらしい。
先日、オバマ大統領のスピーチがあった。オバマが今後は核を保有しないことを誓うと言ったのはまだ分かる。しかし、退役軍人長官に日系人であるエリック・ケン・シンセキを任命したことにはどうにも認められなかったと、ブライアンは語る。
タカハシが面を取って、ヒロシマの原爆資料館で説明されるような、原爆投下によってどのようなことが起きたのかについての生生しい解説がなされる。

ブライアンは、車椅子のウィリアムと、ウィリアムのヘルパーであるベロニカ・タバーレ(保坂エマ)とヒロシマを訪問する。タカハシは、既にシェリルは亡くなってしまったことを告げる。そして、タカハシは自分の家族をブライアンに紹介する。
ブライアンは今更ではあるけれど、シェリルとタカハシはどう出会ったのかを聞く。タカハシは1976年にアメリカに留学して原爆について学んでいて、その時に通訳をしてくれたのがシェリルだったと言う。タカハシの家族は、シェリルには非常によくしてくれたと彼女との思い出をそれぞれ話す。
タカハシは、一つブライアンに聞きたいと言う。アメリカ人として原爆についてどう思っているかと。ブライアンはずっと無言だった。タカハシはブライアンに謝って欲しいと強く要求する。しかし、ブライアンは謝ることが出来なかった。
その様子を見たヘルパーのベロニカが口を開ける。ベロニカは元々インディアンで、自分の家族はウランが採れる鉱山で働いていた。もちろん、ウランは原爆に使うためだった。しかし、ウランには大量の放射性物質が含まれていて、それをずっと掘り出していたが故に、ベロニカの家族含めて多くの人がガンにかかって早くに死んでしまった。きっと、原爆開発に従事したバチが当たったのだと思うと。ベロニカは深くタカハシとその家族に謝る。
タカハシ・ハルカ(花岡すみれ)が現れる。彼女はシェリルの娘であった。お腹が大きく新たな命が生まれようとしていた。ここで上演は終了する。

とてもとてもメッセージ性が強くて痛烈だった。描かれていること自体に驚きがある訳ではないし、そうだよなと思うのだけれど、役者さんの演技力の素晴らしさと演出の残酷さによってだいぶ精神的に抉られる作品だった。
もちろんこの作品には反戦という意味合いもある。戦争なんか起こしてはいけない。しかし、それだけにとどまらず、戦争に加担せざるを得なかった人たちのその後の人間ドラマも見ていて辛かった。そんな描写を見ていると、オバマ大統領の後にアメリカ人はトランプ政権を擁立したいと思うのも無理はなかったよなと思う。
ジョン・マッケランはオッペンハイマーのように自分の能力が戦争に生かされてしまって苦しむという点と、ブライアンはずっと軍国主義のアメリカと共に生きてきたので、今のアメリカの姿に納得がいかないというのも凄くよく分かった。人間、そんなに自分の生き様や価値観を否定して変えることなんてできないから。
そして、日本人への差別描写が物凄いのだが、それと同様に人種差別というものもいつもどこにでもあるということを思い起こさせてくれる点もグロテスクだった。インディアンだって白人たちに征服されてもはやアメリカの一部になってしまった。そんな日本だって、韓国・朝鮮や中国に酷いことをしてきたのだから、戦争にはそういった恐ろしさがあるよなとゾクゾクさせられた。

写真引用元:SPICE 『イノセント・ピープル~原爆を作った男たちの65年~』 撮影=保坂萌


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

物凄く莫大な予算で作られたという訳ではなかったが、舞台セット、衣装、映像まで幅広く活用しながら世界観を作り出す工夫がされていて見応えがあった。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
全てのシーンがという訳ではないが、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所がある辺りが舞台になる場面が多いので、全体的に岩層の風景が広がっているような舞台セットとなっていた。ステージ上は棚田のように段々になった舞台セットが配置されていて、全体が茶色い布で覆われていた。所々に直方体のボックスが放置されていて、いかにもアメリカ南部の荒地を想起させるような舞台セットだった。基本的には、この舞台セットはずっと固定でセットされていて最後には舞台がヒロシマになったりするがステージは変わらなかった。
最初はこのステージを見て、ニューメキシコ州が舞台なのだからそれは岩層の舞台装置になるよなと特に意味も考えず見ていたのだが、徐々に戦争と人種差別の話になって行った時、ウィリアムのヘルパーが元はインディアンだったベロニカだということに気がついて鳥肌立った。ニューメキシコ州は、欧州から渡ってきた白人がアメリカにやってきてこの地に住んでいた先住民たちを一掃して築き上げてきた街だったということを。先住民と血と涙を流して戦い、彼らに勝利してこの地を白人たちの領土であるこのごとく利用しているということを。それが当たり前で正義だと認識されていた当時のアメリカという国の考え方に鳥肌が立った。だからこそ、その舞台セットに対してもグロテスクさを感じた。そしてそれが直接的に描かれておらず間接的に描かれているからより恐ろしさを感じるのだろうなと思った。
あとは舞台装置ではなく小道具で面白いと感じたのは、ラム酒は実際に液体を使うと始末も大変だし、役者も動き回ってこぼす恐れがあるので、細かく砂上にしたものをラム酒と見せかけてグラスに注ぐ演出がユニークで面白かった。最初は、私は最前席で観劇していたので、その演出はどうなのかと思ったが、割と液体を注いでいるように見えるし、物語終盤で一人の役者が別の役者にラム酒を顔に吹きかける演出があって、たしかに砂であることによって、ちゃんと液体っぽさも出せるし後始末が大変ではないので上手い演出だなと思えるようになった。

次に映像について。
映像は、基本的には場転する時に砂嵐のようなノイズ音と共に時間が移動することを表すために使用された。例えば、一番最初の場面では「1963年ニューメキシコ州」と表示され、西暦は必ず表示されていた記憶だが、場所は表示されたり表示されなかったりの記憶である。また、1975年、2003年、2010年といった第二次世界大戦から離れた時代へは西暦の数字がカウントアップ・ダウンされる映像もなかなか凝っていて好きだった。
また、砂嵐のような映像は、プロジェクションマッピングのようにステージ全体に投影されていたので、私は最前席だったためあまり迫力は感じられなかったが、きっと後方席で観劇された方からはまた違った見え方だったのだろうと思って後方席でも見てみたかった。
たしか、戦時中の映像も一部流れていた気がするが、いかんせん最前席だったのでよくわからなかった。

次に衣装について。
50年前のアメリカに暮らす人々の衣装という感じで、レトロな感じのデザインが好きだった。特に、ルーシーの衣装がとてもカラフルでアメリカンで好きだった。
1975年のシーンでのグレッグ夫妻が星条旗のシルクハットを被っているシーンも凄く印象的で象徴的だった。まだ1975年というベトナム戦争終決時のアメリカでは、軍隊が強い権力を握っていてたくましく強いアメリカが描かれていた。しかし、2010年になるとそういうアメリカの逞しさはなくなっていく変化も感じられて考えさせられた。
さらにグロテスクだったのは、日本人がみんなスーツを着ていてオペラ座の怪人のようなおんなじ顔をした面を被っているということ。これはきっと、アメリカ人から見た日本人の印象を演出しているのだと考えられる。みなお辞儀をして礼儀正しくて大人しくて同じ顔をしている。たしかに外国人からみた日本人のイメージなのかもしれないが、たしかにそこには差別が存在するよなと日本人である私はその演出を見て悲しい気持ちになった。日本人だって色んな人がいるし、イメージでそう決めつけて欲しくないとその演出を見て感じた。そしてそれって、アメリカ人が見た日本人に限らず、日本人が見た外国人に関しても同じことが言えるということに気づけたのもグロテスクなポイントだった。中国人だから・・・、韓国人だから・・・、アラブ人だから・・・というのは全部その民族を傷つけることになるのだと感じて学ぶことも多かった。

次に舞台照明について。
基本的に、場転する時以外の普通のシーンでは特別に凝った照明演出はなかったように思えた。しかし一番印象に残ったのは、1945年にヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されてアメリカ人たちが皆浮かれ狂ったかのように音楽に合わせて踊っていた演出が凄く残酷だった。その時の照明演出が一番派手だった。その派手さに物凄く恐ろしさと残酷さを感じた。これがきっと原爆投下時のアメリカだったのかと考えると、彼らは本当に人なのかと恐ろしくなってしまう。
あとは、物語終盤でタカハシ・ヨーイチが原爆の被害についてモノローグで淡々と語る時に彼に白いスポットが薄く当てられていたのも印象的だった。凄く味が出ていた。

次に舞台音響について。
場転中の砂嵐の音は凄く印象に残っているが、それ以外にもいくつか演出として興味深かった音響があった。
まずは、1943年のルーシーのシャワールームでの声が音声で流れてくるシーン。私が最前席で観劇していたからか音声であることが凄くバレバレな音質だったのだが、むしろコミカルな会話内容をあのように録音で流すことでアメリカンコメディっぽく演出している所が良かったのかなと思う。ただ、だとしてももう少し演出的に遊べたのではとも思ったが。
あとは、1975年のシーンでウィリアムが花火の音にやけに敏感になっているシーン。これはウィリアムがベトナム戦争に行ってPTSDを起こしていると考えられる。ベトナム戦争で何度となく銃撃の音を聞いて人が死んでいったのをウィリアムは見ているはずで、だからこそ発砲音に近いものを聞いてしまうと、その時の記憶が呼び起こされて自然と恐怖してしまうのだと思う。戦争へ行ったものの後遺症もそんな所から窺えて、戦争の恐ろしさを感じ取れた。

最後にその他演出について。
時系列順に追っていくと、まず1943年の頃の若かりしブライアン、キース、グレッグたちはテンション高くて男子校みたいなノリで、そして女性の話になると盛り上がるという雰囲気が、凄く舞台『ビロクシー・ブルース』(2023年11月)にも描かれている内容とリンクして、当時の海兵隊や軍隊のノリをイメージしやすかった。看護婦たちがシャワールームを借りに来たというシーンを見て、自分も学生時代の青春の楽しかった時代を思い浮かべてしまった。そういう青春ものも少し盛り込まれていて凄く良かった。
1963年のシーンでは、ウィリアムがUCLAに合格したにも関わらず海兵隊に入隊したいといって父親のブライアンに反対されたり、1975年にはシェリルがヒロシマ出身の日本人男性と結婚したいと言って父親のブライアンに反対されたりと、そういった家父長制的な価値観は昔のアメリカにもあったんだということを教えてくれた。これは日本でも変わらないよなと思う。ウィリアムが海兵隊に入隊したいと思ったのは、ケネディが元々海軍だったというのも大きいのかもしれない。しかし、そのBBQの直後にケネディが暗殺されているという歴史的事実を知っている私たちは、ずっとそのことも頭によぎっていた。
2003年に9.11後にブッシュ大統領が、イラクに軍を派遣しようとしていて、グレッグも海兵隊だった身として息子を軍に入隊させようとしているが、アメリカは時が経っても軍事国家として強い国でありたいことに変わりはないのだということを痛感させられた。1975年から30年近く経つというのに、結局アメリカはやっていることは同じなのだなということを感じた。
そして2010年では、いよいよオバマ大統領がヒロシマに訪問したり核廃絶を訴えるが、そうすると今まで軍事国家として働いてきたブライアンたちはショックを受けるというのもあるのだなと思った。そこにはアメリカの勢いが感じられない干からびた感じの舞台空間が広がっていた。
会話の中には、しきりに自動車の話題が入ってくる。1963年や1975年はアメリカの大手自動車メーカーのGMの最盛期なので、GMの話で湧き上がるが、2003年にはトヨタの話に切り替わっている。そして2010年にはGMは会話に出てこないが、2008年のリーマンショックで経営破綻しているのである。アメリカがどんどん元気がなくなっていくひとつのメタファーのようにGMの栄枯盛衰を描いていて興味深かった。

写真引用元:SPICE 『イノセント・ピープル~原爆を作った男たちの65年~』 撮影=保坂萌



【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

小劇場で大活躍されている方が中心の豪華キャストでさすがはCoRich舞台芸術!プロデュースだった。また、65年間を同じ俳優が同じ役で演じるので、若い頃と年老いた頃の演じ分けが全体的に素晴らしかった。そこに今作の演技の難しさがあったと思うが。
特に印象に残った役者についてみていく。

まずは、ブライアン・ウッド役を演じた山口馬木也さん。山口さんの演技を拝見するのは初めて。
非常に貫禄があって存在感のある演技をされていて魅力的だった。声も低くて威厳があるからこそ、ウィリアムやシェリルのこうありたいという夢に対して強く反対する存在に説得力がある。
非常に慣習を重視する昔ながらの男性だなと感じた。日本によくいる昭和親父かと思っていたが、アメリカにも同じようにそういった父親が沢山いたのだなと思わせてくれる。
2003年、2010年と高齢になっていくにあたって、老人らしく演じられていたのも上手かったのだが、そこにどこか元気がなかったのも歳のせいだけではなく、時代の潮流によって今までアメリカが良しとしてきた正義というものが崩れ落ちていって、核を廃絶して日系人を受け入れていくという価値観の変化にも耐えきれなかったからだろう。
最後のシーンで、結局ブライアンはヒロシマにいるタカハシに謝罪はできなかった。そこで謝罪をさせようとするタカハシたちにそのシーンではホラーを感じたが、それは謝罪出来ないブライアンに感情移入できたからかもしれない。別にブライアンが悪い訳ではなく、たまたま時代的にそういう思想でやっていただけであって、それを年老いてから間違いでしたとは言えないのは凄くよくわかるから。それを否定してしまったら、自分の生き様を否定することになるから。そんなことをひっくるめて戦争はしてはいけないなと思ったし、時代の変化は恐ろしいなと感じた。

次に、シェリル・ウッド役を演じた川島海荷さん。川島さんの演技を拝見するのも初めて。
特に1963年のBBQのシーンで感じたが、非常にアメリカンな演技をするのがうまいと感じた。もちろん台詞は日本語なのだけれど、台詞の主張が強かったり身振り手振りが多かったりと、非常に演技の仕方がアメリカンで凄く良かった。
原爆開発に従事した父親を持ちながら、なぜヒロシマ出身の男性を好きになったのか。ラストシーンでタカハシとシェリルの馴れ初めが語られるが、どうやら大学でシェリルは通訳子をやっていたようだった。きっとシェリルはどこかでアメリカは日本に対してやってしまったことに深く傷つき、そんな日本のために何か助けたいと思っていたのかもしれない。そんな中タカハシ・ヨーイチという礼儀正しい魅力的な人に出会ったのかもしれない。
シェリルは日本人のために尽力した。タカハシの親族のために尽くした。きっとそこには、シェリルなりのアメリカと日本の平和への祈りが込められていたのかもしれない。
父親のブライアンは、シェリルがヒロシマに嫁に行ってから一度も娘のシェリルとも会うことはなかったが、そのくらいブライアンは日本を敵視していたのだなと感じた、そしてその思想はなくなることはなかったのだと。非常に泣けるラストだった。

ウィリアム・ウッド役を演じた池岡亮介さんも素晴らしかった。池岡さんは、舞台『夜明けの寄り鯨』(2022年12月)などで数回演技を拝見している。
1963年のBBQでいきなり海兵隊に入隊したいと言ってしまうほど、当時のアメリカにとっては海兵隊は魅力的な職業だったのだろうなと思う。当時の大統領はケネディ大統領で海軍出身なので、その影響もあったと思う。
しかし、その後ベトナム戦争でアメリカは泥沼化した戦争をやってしまい多くの犠牲者を出してしまう。ウィリアムもベトナム戦争で、車椅子生活になってしまう。車椅子を動かしながらPTSDを発症した軍人を演じる池岡さんは、おそらく今作で一番の難役だったと思うが素晴らしかった。
きっと1970年代、ベトナム戦争から帰ってきて放心状態だった男性はアメリカに数多く溢れていたのだと思う。映画『タクシー・ドライバー』で描かれる主人公もその一人だが。

個人的に一番好きだったのは、ジョン・マッケラン役を演じた森下亮さん。森下さんの演技は、serial number『Secret War -ひみつせん-』(2022年6月)で観劇したことがある。
今作ではジョン・マッケランこそがオッペンハイマーに一番近い役回りなのかなと思う。天才数学者であるジョン・フォン・ノイマンの名前を口にして称賛したり、32面体の話など物理用語を連発する台詞が多くて、物理学出身の私からすると凄く知的好奇心にかられる役で好きだった。
1945年の第二次世界大戦後、ジョンだけはアメリカ軍に関わらず高校教員になったというのは凄く頷ける。自分の頭脳によって原爆が開発され、何万人もの死者を出すことになってしまったこと。それだけではなく、その後アメリカだけでなく多くの国が核を保有するようになって、いつ人類が滅亡するか分からないようなキューバ危機のような事態まで起きてしまった。考えただけで、ロスアラモス研究所で最前線で開発を行っていた科学者の苦悩は計り知れないと思う。
結局、2003年よりも前にジョンは自殺してしまう。これが原爆開発に携わってきた科学者の末路だった。彼らにとって戦争が終わったからといって戦争での苦しみが終わることはなかった。むしろその後もずっと罪悪感に蝕ばまれ続けて、自殺してしまったのである。
そんな優秀であるが故に苦悩した科学者を演じていた森下さんは凄くハマっていた。

上記以外に思ったことは、グレッグ・シウバ役を演じた内田健介さんは非常に海兵隊という感じがあって、体育系っぽさが凄く感じられて好きだったのと、ニナ・ジョンソン役を演じたナイロン100℃の水野小論さんの、ヒロシマでの体験を非常に良い意味で不快にさせる感じで語るのが上手かったなと思った。あとは、シェリルの娘であるタカハシ・ハルカ役を演じた花岡すみれさんは非常に川島海荷さんに似ていて娘っぽさあったなと思った。ラストシーンでハルカにシェリルっぽさを感じさせるのは大事だから、よいキャストを起用したなと思った。

写真引用元:SPICE 『イノセント・ピープル~原爆を作った男たちの65年~』 撮影=保坂萌



【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは今作の脚本に描かれる、原爆、人種差別、戦争について考察していく。
私は今作を観劇して3つの衝撃的内容を知った。知ったというよりは、今作を通して改めて認識させられて知識が定着したと言って良いのかもしれない。

まずひとつ目は、水爆実験についてである。
第二次世界大戦中、アメリカは1940年頃から原爆実験を開始した。いわゆる、「マンハッタン計画」と呼ばれるものである。きっかけとしては、ドイツが核兵器を開発しているかもしれないという騒ぎがあり、急いでアメリカも対抗するために作り始めたのだそうである。
この「マンハッタン計画」の一部をロスアラモス研究所で行い、水爆実験や長崎に実際に投下されたファットマンと呼ばれる原爆の開発実験が行われた。そこまでは良いのだが、問題はそこでプルトニウムの被曝量の人体実験をしていたことである、そしてそのデータが今の原子力発電に応用されているということである。こちらは劇中の描写にあった。
戦争時に開発された技術が、そのまま今の私たちの暮らしを支えているというのは少なくない、天気予報も最初はクリミア戦争で必要となって行われたのが最初である。
今作は2010年に初演されたが、奇しくもその翌年に3.11が起きてしまった、これは偶然だろうか。そこから原子力発電は世界的に縮小の動きになったが、それまでは当時のロスアラモス研究所で行われていたプルトニウムを使った実験がベースになっていたのは衝撃的だった。

次に、太平洋戦争をアメリカ側から描いた作品だったので、戦争が終わっても関わってきた様々な人々が異なる葛藤を抱いていたということ。
ジョン・マッケランは科学者として核兵器開発を進めてしまったという罪に蝕まれていた。一方でアメリカの軍人たちは、ずっと強い国アメリカでいることが正義だと思っていたから、徐々に世界が核保有を禁じていって原爆投下によって戦争を終わらせたことを間違いだったと認める世論になっていったことに、自分の生き様を否定されているようで苦しんでいたということに気付かされた。
今までは、そういった人々を割と悪者扱いしていた自分がいたが、彼らの立場に立ってみれば、非常に辛く苦しい時代の変化なのだと再認識させられた。たしかにかつての強いアメリカがなくなってしまうということは、そういうことだったのだなと今作を通じて痛感した。
それは2017年にトランプ政権を樹立させたくなるよなと思った。特に、白人主義のアメリカ人にとっては特に。そういう歴史をみていると、アメリカという国も大変な国なんだなと感じた。

最後に、戦争には人種差別というものが切っても切り離せないということを再認識させられた。
私は今まで太平洋戦争が終わって、日本はアメリカと仲良くしていくことで合意して高度経済成長が進んで行ったのだと思っていた。ところが、アメリカ内部では原爆投下して戦争を終わらせたというのもあって、日本のことを見下していたんだなと思った。この作品に描かれる描写が事実であるならば。
一方で、アメリカ人たちの日本人の太平洋戦争の向き合い方にもハッとさせられるものがあった。日本は敗戦国として、原爆を投下されて割と被害を被った国として世界中が認識していたのだと思ったし、私もそのように感じていた。しかし、それはあくまで日本人がみた日本の第二次世界大戦というだけであって、それまでに日本も韓国を併合したり、南京大虐殺などを起こして、隣国を侵略して苦しめているのである。そこに対して、しっかりとした理解のある日本人は意外と少ないのかもしれない。歴史の教科書には載っていて、歴史的事実として日本人は知っているかもしれないが、その被害や惨状を映画やドキュメンタリーで国内で報道することはない。だからこそ、そういった日本人の非道な行いに対して、私たち日本人はアメリカ人以上に疎いのかもしれないときづいた。
まだアメリカという国は、原爆を投下させて日本に謝りに来ていて立派な国なのかもしれない。しかし日本は、朝鮮半島や南京に謝罪をしているのだろうか、今でも靖国神社を参拝しているような状態で、それを誰も問題視しない方がヤバいのではないかと思った。
青年団『ソウル市民』(2023年4月)では、日本人がいかに朝鮮半島に住む人間に対して差別をしてきたかがわかる。私たち日本人こそ、そういった戦争と差別をしてきたということを深く理解しておかないといけないとも思った。
そして、それは軍事大国では必然の態度で、アメリカも日本だけでなくインディアンに対しても同じようなことをしてきていて、もはやインディアンは自分たちの国の一部に取り込んでしまっている。ウィリアムのヘルパーのベロニカもインディアンだったし、インディアンがウラン鉱山でウランを採掘させられて、ガンにかかるといったリスクを犯されていた。肝心の原爆を開発して投下したアメリカ白人たちのこのこと生きている。

このように、原爆の開発者たちを通じて思うのは、戦争は本当に誰も幸せにしないということ。それでも人間の傲慢さによって始まってしまうのが戦争である。
ウクライナやガザでずっと戦争が続いている現在だからこそ、こうやってリメイクされたというのは凄く意義があることだし、これを舞台で上演しようと決意してくれたCoRich舞台技術!の覚悟も物凄く感じた。

写真引用元:SPICE 『イノセント・ピープル~原爆を作った男たちの65年~』 撮影=保坂萌



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