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舞台 「パラサイト」 観劇レビュー 2023/07/01


写真引用元:舞台「パラサイト」 公式Twitter


公演タイトル:「パラサイト」
劇場:THEATER MILANO-Za
企画:COCOON PRODUCTION 2023
原作:映画『パラサイト 半地下の家族』
台本・演出:鄭義信
出演:古田新太、宮沢氷魚、江口のりこ、伊藤沙莉、キムラ緑子、みのすけ、山内圭哉、恒松祐里、真木よう子、青山達三、山口森広、田鍋謙一郎、五味良介、丸山英彦、山村涼子、長南洸生、仲城綾、金井美樹
期間:6/5〜7/2(東京)、7/7〜7/17(大阪)
上演時間:約2時間50分(途中休憩20分)
作品キーワード:コメディ、家族、社会問題、サスペンス、考えさせられる
個人満足度:★★★☆☆☆☆☆☆☆


第92回アカデミー賞で非英語作品で史上初の作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞を受賞するなど、世界的に高く評価されたポン・ジュノ監督の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が、鄭義信さん脚本・演出の元で舞台化されたので観劇。
私自身、映画版自体は映画館で鑑賞していたため、映画版と比較しながら舞台観劇を堪能した。
因みに、今作が上演された東急歌舞伎町タワーにある劇場「THEATER MILANO-Za」での観劇も初めてである。

物語は関西が舞台であり、1994年のクリスマスから始まる。
金田家一家はとても貧しく、堤防の下にあるトタン屋根の集落に住んでいた。
クリスマスの日も近所では取っ組み合いによる喧騒が絶えず、金田家はお金もないので鏡餅をケーキに見立てて、父の文平(古田新太)、母の福子(江口のりこ)、長男の純平(宮沢氷魚)、長女の美姫(伊藤沙莉)の家族4人で食事した。
しかし、純平は美姫に大学卒業証書を偽造させて、高台の豪邸に住んでいる永井家の家庭教師になることに成功する。
純平は永井家の娘である繭子(恒松祐里)の家庭教師として豪邸で働き、高収入を得られるようになる。
そこから純平は、金田家の他の家族も職業を偽造させて永井家で働き、高収入を得て貧しい暮らしから脱出しようと計画を立てていくというもの。
そして、劇中には映画版にはなかった1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災を織り交ぜながら、災害が発生した時の裕福な家庭と貧しい家庭の境遇の差を不条理に描いたりなどもしていく。

舞台美術は回転舞台装置となっていて、片側は金田家が住む堤防下の貧しい民家に、もう片側は永井家の住む豪邸になるという貧富の構造が表裏一体になった形で仕込まれていた。
舞台美術の使い方はたしかに上手くて、映像演出を駆使した阪神淡路大震災の惨状の描き方に関しては迫力があった。
しかし、今作の目玉となる演出は、原作である『パラサイト 半地下の家族』が持つ貧富の差による社会の不条理というよりは、豪華キャストによるおちゃらけコメディの色彩が強くて、原作好きの私にとっては満足度は高くなかった。
キャスト陣が披露するギャグやネタは1990年代をモチーフにしたものが多く、当時を詳しく知る人にとっては楽しめるのかもしれないが、それ以前に金田家が貧しいというのもあってなかなか下品なネタが多くて、その下品なネタとアカデミー賞を取っている脚本との相性にギャップを感じてしまって違和感が最後まで消えなかった。
ワインのコルクを舞台上で飛ばしたり、口に入れた食べ物を吐き出すネタは、演劇が持つナマモノという特性から来るハプニングに近いものであるから、きっと舞台というものに触れたことがない方にとってみたら新鮮かもしれないが、私はそうならなかった。

阪神淡路大震災という設定を織り交ぜる必然性も薄く感じられたし、映画版ではとても重要でシリアスなシーンが、舞台版では割とコメディチックになってしまっていたりして、「ここ笑っていいの?」となる箇所が多々見られて困惑した。
そしてそれによって、脚本の持つメッセージ性が凄く陳腐なものに感じてしまって割と許しがたかった。

映画版を鑑賞していて、舞台というものにあまり馴染みがなくて、豪華出演者たちによるパフォーマスを楽しみたい方、映画版を全く観たことがなくて演劇作品として初めて観る方にはウケるかもしれない。
しかし、私のような映画版の脚本が好きな人にとってはおすすめは出来ないかなと思う。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2023「パラサイト」より。(撮影:細野晋司)


↓映画『パラサイト 半地下の家族』



【鑑賞動機】

ポン・ジュノ監督の映画『パラサイト 半地下の家族』は公開当時話題にもなっていて映画館で鑑賞して、個人的には好きな映画の一つである。その作品が舞台化されるということで、最初は物凄くびっくりしたが興味本位で観劇したいと思ってチケットを取った。しかし、あの作品の舞台化、しかも設定を1990年代の関西にするとのことで、どんな仕上がりになるのだろうかと、楽しみでもある反面、不安要素も強い中で観劇に至った。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

1994年クリスマスの関西。堤防下のトタン屋根の家屋。金田純平(宮沢氷魚)はモノローグで、自分の家の暮らしが貧しいことを嘆いていた。近所では取っ組み合いによる喧騒は絶えない。純平もクリスマスを楽しみたかったがお金もなく、壁にエアーで「X'mas」と書いていた。
純平の家金田家には、父の金田文平(古田新太)、母の金田福子(江口のりこ)、妹の金田美姫(伊藤沙莉)がいた。妹は貧しい暮らしからなんとか脱出したくて、偽造した大学卒業証書を持っていた。それを見て純平は、自分がいつかその偽造した卒業証書を本物に出来るようにお兄ちゃんは頑張ると決意する。
今日はクリスマスだというのに、食卓に並ぶ食事も質素だった。母の福子は、ゴキブリを捕まえた手で手を洗わずに食事の準備を進めて家族からもドン引きされる。しかし、福子は今日はクリスマスということでケーキを用意していると言って持ってくる。しかし、そのケーキというのは何の装飾も施されていないまるで鏡餅のようなケーキ、というか鏡餅だった。福子は鏡餅に蝋燭を立ててクリスマスをする。
その後、文平がどこかにあったワインを持ってきてコルクを開けたり、口に食べ物を入れながら叫んで口に入ったものが出てきてしまうなどして、客席からは笑いが起きる。

舞台は変わって、こちらは高台の豪邸のリビング。ここは裕福な家族の永井家の住まいである。永井家のリビングには、妻の永井千代子(真木よう子)と家政婦の安田玉子(キムラ緑子)がいた。そこへ家庭教師をやることになった純平がやってくる。千代子は早速娘である永井繭子(恒松祐里)を紹介し、家庭教師をやってもらうようにと会わせる。
しかし、2階からは繭子の弟である賢太郎の暴れ声が絶えなかった。どうやら、彼は発達障害を抱えているようだった。しかし、リビングに飾られていた絵画は賢太郎が幼いときに描いたものなのだという説明を文平は聞く。そこで文平はある策を思いつく。そして、自分の友人の従兄弟の妹(詳しくは忘れてしまったがそんな関係だと嘘をついていた)で、イリノイ州の大学で美術を学んでアートセラピーが出来る人がいるので、その人を賢太郎にアートセラピストとして紹介したいと申し出る。千代子はアートセラピストは興味があるから紹介して欲しいと提案にポジティブだった。
純平が帰ろうとした時、永井家の主人である永井慎太郎(山内圭哉)に遭遇する。慎太郎は、家の外でおそらく不倫相手であろうと思われる女性からかかってきた電話にデレデレしながら対応し、電話を切り終えてから自宅に帰ってきた。慎太郎は、永井家が雇っている運転手の佐々木勉(山口森広)の運転によって帰宅し、純平は佐々木の運転で家へ帰ることになる。

永井家には、純平が繭子の家庭教師をしている中で、今度は美姫が永井家にやってきた。美姫は早速千代子に会う。そして美姫はイリノイ大学の美術大を卒業しているという体なので、カタコトの英語と、リビングに飾られていた賢太郎が描いた絵画を見ながらアートセラピストらしいそれっぽいことを言って千代子を感心させる。
リビングで純平と美姫はばったり会うが、純平は美姫には一度も会ったことがないと嘘をつく。しかし、美姫は以前大学のカフェで一度会ったことがあると言う。
慎太郎と運転手の佐々木が帰ってきて、佐々木の運転で美姫は送迎してもらうことになる。駅まで送迎することになった佐々木だが、その間に美姫は車内に自分のパンツを仕込ませておく。

年が明けて1995年になり、永井家では正月を楽しんでいた。千代子と慎太郎は、先日クビにした運転手の佐々木のことについて話していた。佐々木に対しては、運転手をクビにした理由は経費削減ということにしていたけれど、年末に車内から発見された女性のパンツから、彼は美姫とカーセックスをしたのではないかという疑いがあったからというのが本音であった。しかし千代子は不思議に思うことがあった。パンツだけ車内に残しておくことがあり得るのだろうかと。
運転手は代わりに文平が雇われていた。一方、家政婦の玉子は永井家の玄関の灯りが点滅している様子をしきりに気にしているようだった。

場所は、金田家が住む堤防下のトタン屋根の家屋に戻る。金田家は、永井家に純平、美姫、文平と忍び込ませることができて大喜びだった。しかし、妻の福子に関してはまだ永井家に潜入させられずにいた。家政婦の玉子をなんとか排斥して忍び込ませたいが、玉子はなかなか目ざといのでしっかり計画を立てていこうと言う。天井からは、その辺の浮浪者が鼻歌を歌いながら立ちションをしている。
純平は計画を立てる。玉子は桃アレルギーを持っているので、永井家に桃のエキスをスプレーで撒けば咳き込むに違いないという。そして、玉子が咳をしているタイミングで、ティッシュに血がついたものを忍び込ませておけば、結核の疑いをかけられて永井家から排斥出来るのではないかと言うのである。早速金田家はこの作戦を遂行することになる。

永井家の豪邸、密かに純平たちは桃のエキスをスプレーで撒く。玉子は激しく咳き込みながら永井家を去る。そして玉子が咳き込んでいたティッシュに血糊を塗って、玉子が咳き込んだティッシュに血がついていると永井家の人に報告する。そして、無事金田家の作戦は成功し、福子を永井家の家政婦として潜入させたことによって、家族全員が永井家に事実上「寄生」したことになる。
リビングで、純平と繭子は二人でいる。繭子は純平に対して色々と疑いをかける。特に美姫との関係について。純平は家族であることがバレるのではないかとドキドキしていたが、繭子には純平と美姫は実は付き合っているんじゃないかと疑う。純平は飲み物を吹いてしまう。純平は付き合っていないと答えて、その後ソファーの上で繭子と純平はイチャイチャしキスをするのだった。

ここで幕間に入る。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2023「パラサイト」より。(撮影:細野晋司)


永井家のリビング、金田家の4人が全員揃って「YAH YAH YAH」を歌っている。永井家の家族は全員でキャンプに出かけていて、もはや豪邸は金田家の貸切と化していた。
外は大雨が降っている。そこへ、カッパを着た玉子がやってきて玄関のチャイムを仕切りに鳴らす。福子が出向くと、玉子は一目散に豪邸の地下の方へと走っていく。
舞台は豪邸の地下室へと切り替わる。玉子は地下室に閉じ込められていた老人と一人の男性に対して食事を与えていた。福子は恐る恐る玉子の後をつけてきて様子をみる。そして玉子は福子に、状況を説明する。
実はこの豪邸は有名な建築家が建てたもので、その人からこの豪邸には地下室があることを聞いていて、後に引っ越してきた永井家はこの地下室の存在を知らないのだと言う。それをいいことに、玉子が家政婦をしている間は夫の安田春生(みのすけ)と父の洪吉(青山達三)をここで匿って住まわせていたのだと言う。しかし、玉子がこの豪邸を追い出されてしまったものだったので、彼らに食事を与えることができず、心配になってきたのだと言う。玉子は地下に住んでいた家族とは、玄関の灯りをモールス信号として点滅させることで意思疎通を図っていたと言う。このことはどうか秘密にして欲しいと玉子は福子にお願いする。
しかし、玉子が事情を話している最中にコソコソと純平、美姫、文平がやってきて聞き耳を立てていて、何かにつまづいたことがきっかけで、玉子に三人が豪邸にいたことがバレてしまう。そして、玉子はこの4人が家族であり家族で永井家を乗っ取ったことを悟って憤慨する。どうりで怪しいと思ったらそういうことだったのかと。
そこへ豪邸に電話がかかってくる。どうやら大雨でキャンプから急遽永井家の家族たちが戻ってくるようだった。このままではまずいと、金田家の人間は玉子、春生を猿ぐつわを巻いてぐるぐる巻きに縛り上げる。

永井家の家族が帰ってくる。福子が出迎える。文平、純平、美姫はゴキブリのように家中を這いつくばりながら隠れている。
慎太郎と千代子はソファーでイチャイチャし始める。その光景を金田家の人間はバレないように隠れながら見ていた。
一方地下室では、安田家の春生と玉子がぐるぐる巻きにされた状態で苦しんでいた。

夜が明けて、だだっ広い窓越しの映像と純平のモノローグによって、阪神淡路大震災のことが描写される。阪神淡路大震災は戦後最大の地震とされ、高台下の家屋は地震による火事によって火の海に飲まれたと言う。しかし、高台に暮らす人々はいつものように優雅にペットの犬の散歩をしている人々までいたという。
永井家の豪邸では、母の誕生日パーティが開かれようとしていた。豪邸にはバルーンや「HAPPY BIRTH DAY」などの飾りつけがなされた。純平は繭子に誘われてパーティに出席することになった。同じく文平も美姫も出席した。家政婦の福子はパーティの準備に追われている。
文平と慎太郎は寸劇をすることになって、慎太郎は桃太郎の格好を、文平はオバケのQ太郎の格好をしていた。そして二人でコントみたいなことをやっている。慎太郎は、桃太郎の桃がバーミヤンのロゴだとか言い出す。

一方地下室に福子が行った時、春生が猿ぐつわをなんとか振り解こうとしていた。そしてそれらを解くと福子に刺しかかってきた。福子は腹部を切られて怪我をするが、春生を止めることが出来ず、彼はそのまま豪邸のリビングの方へ向かった。
そしてリビングに現れた春生は、刃物を持ってパーティ会場を暴れ回る。そして、その刃物によって美姫は刺されて命を失う。また慎太郎も同じく刺されて命を失う。そんな春生の無差別殺害を文平は春生を殺すことによって止める。パーティは一瞬にして惨劇と化した。

豪邸の外で、純平とオバケのQ太郎姿の文平は言う。今までずっと計画を立てて行動してきた。しかし、豪邸の地下にあんな部屋があって玉子の家族が暮らしていたなんて想定していなかった。そして、その春生という家族によって美姫や慎太郎が殺されてしまうなんてことも想定出来なかった。計画は失敗に終わった。計画は立てても必ず想定外の事態によって覆される。無計画という計画を立てた方が一番うまくいくと。
ステージに幕が降りて、純平のモノローグが始まる。文平はその後、春生を殺した殺人犯となったため純平の元から行方をくらませてしまった。そして純平は美姫を失ったショックから、美姫の遺体を見ると笑ってしまう障害に陥った。
純平はある日、かつて永井家が住んでいた豪邸で、玄関の灯りが点滅しているのを発見する。これは、実はあの豪邸の地下に父の文平が暮らしていて、そこからモールス信号で助けを求めているに違いないと思った。そこで純平は、あそこから文平を救出する計画を立てようと決意する。

幕が上がって、ステージにはあの地下室が登場し、そこには文平がひっそりと暮らしている。そして母や娘に対して手紙をしたためている。
またステージは豪邸のリビングに切り替わる。そこで純平は一人豪華なケーキを用意して、蝋燭を立ててここで家族4人が幸せにパーティをすることを夢想する。ここで上演は終了する。

脚本はほぼ映画版の『パラサイト 半地下の家族』を踏襲していて、変更が加えられた箇所は、舞台設定が韓国ではなく1990年代の関西であることと、映画に登場する大雨による洪水が阪神淡路大震災であることと、ラストの展開。
ラストの展開は、映画版では主人公のギウが豪邸を買い取って父のギテクを救出する妄想をする形で終わるが、舞台版は家族がステージ上で再会することはなく、純平のモノローグから観客がイマジネーションで家族揃って再会するシーンを思い浮かべる演出になっている。
ラストの終わらせ方としては、こういうやり方もアリだなとは思ったが、どうしても阪神淡路大震災を織り交ぜる必然性は分からなかったし、ただただ話題性を作るためだけの演出に聞こえてしまって、そんな軽い気持ちでノンフィクションを扱わないでよと思ってしまった。これを観た阪神淡路大震災の被災者たちはどう思うのだろうかというのが気になった。
また、今作のメインメッセージの一つである。計画は必ず何かの想定外の事態によって崩されるというものが、映画版だったら洪水で避難する先でギテクがギウに伝える形なので説得力があったが、舞台版はオバケのQ太郎の格好をした文平がいて、そこで客席から笑いが起きながら、そこに代替されるシーンが挿入されていて個人的には解せなかった。
全体的に脚本としては重いテーマを扱っているはずなのに、演出が全体的にギャグに近い作品になっていて、まだ映画版みたいにコメディ部分とシリアス部分が綺麗に切り分けられていたら良かったが、そこがとても中途半端で一観客としては笑えないシーンで客席から違った要素で笑いが起きてしまうことに耐えられない箇所も何度か味わった。
映画版は前半のギウの計画によるキム一家がパク一家への「寄生」に成功するシーンは、テンポもよくてコメディタッチで好きだったのだが、舞台版ではそのスピード感というのを舞台に落とし込むのが難しいから、どうしても端折るしかなくて、その結果脚本初見の人にとってはなんだか分からなかった人も多かったのではないかと思う。逆にそれをカバーするかのように役者たちがギャグを連発して笑いを取ることで成立してしまっていたので、「パラサイト」という作品を扱った舞台なのにそのメッセージ性が限りなく薄れてしまって非常に勿体なく感じた。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2023「パラサイト」より。(撮影:細野晋司)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

舞台装置は豪華で面白い仕掛けが施された演出だと感じられて良かったが、それ以外に関しては個人的にはしっくりこなかった印象。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出について見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台装置は回転式、もしくは移動式になっていて大きく分けて3つの舞台空間が場面によって転換されるようになっていた。
一つ目は、序盤のシーンがそうだったが堤防下の金田家のあるトタン屋根とオンボロ世界の舞台美術。ステージ上には下手から上手に向かってトタン屋根が仕込まれていて、その下が金田家の自宅になっている。そこに置かれた冷蔵庫やちゃぶ台も茶色くオンボロである。トタン屋根の上部もステージになっていて、そこでヤンキーたちが喧嘩したり浮浪者が立ちションしたりしていた。また、金田家の玄関となる扉が上手に設置されているのだが、その開け閉めするときの音が迫力あった。自分がその近くの客席で観劇していたのもあるが、あの音ってやはり昔ながらの民家を思い浮かべるし好きだった。あとは、ペンキを入れておくような丸缶みたいなのが階段から転がっていく音とか臨場感あって良かった。そういった意味で、ナマモノということを意識させられる演出には凄くなっていたと思う。
二つ目は、永井家が住む豪邸の舞台装置。豪邸は金田家のトタン屋根の家屋が180度回転することで豪邸に切り替わる仕掛けが面白かった。下手側には現代風のモダンな玄関(映画に登場していた玄関のイメージに近い)が設置され、その上にはモールス信号として使われる玄関灯がデカデカと設置されていた。舞台中央には横に長いテーブルとソファーが置かれていた。また下手側後方には、賢太郎が描いたとされるアートが設置されていて、たしかに芸術的な絵画で人なのかそうでないか分からないような、画家パウル・クレーの「セキネオ」みたいな肖像画の抽象絵だった。あとは、上手側には2階へ続く階段があって、そこから繭子が降りてきたり賢太郎が暴れている演出が印象的だった。階段の下には古いオーディオ機器があって、そこから「YAH YAH YAH」が流れたりしていた。家政婦の玉子が上手側にいつも捌けていたことを考えると、上手側は地下室へ通じる道がある方向と考えられる。
三つ目は、その安田家が暮らす豪邸の一画である地下室の舞台装置である。高低差のある舞台装置になっていて、上部に捌け口があってそこからくの字形に曲がるように階段が地面に降りていくように伸びていて、その階段を降りきった場所には春生や洪吉たちが暮らす部屋へと通じていた。部屋には冷蔵庫やベッド、木製の腰掛け椅子があった。そして豪邸の玄関の灯りと連動しているモールス信号が設置されていた。階段の所に設置されている赤いランプが点滅する仕組みになっていた。個人的に好きだったのは、この地下室の色合いで、ダークグレーといったような色で、まさに地下室の陰惨な空気感を上手く演出していて好きだった。その色合いに溶け込む金田家族もビジュアル的に良かった。

次に映像について。
映像は主に舞台セットが豪邸のシーンで使われており、豪邸の舞台後方全体が広い窓ガラスになっていて、そこに豪邸からの景色を映し出す形で映像が使われていた。
普段のシーンでは、映像は晴れた高台からの良い眺めが映し出されており、阪神淡路大震災の最中では下町から火の煙が上がる映像が映し出されていた。黒い煙が上がる中で永井家は豪邸で誕生日パーティをやるなんて飛んだ皮肉である。
また純平の阪神淡路大震災を説明するモノローグで、映像に街が火の海と化しているのが流れるが、あのシーンだけ凄く震災に対する説得力があった。そのシーン単独であれば私は凄く良いなとは思ったのだが、その後のコメディシーンなどもあって被災者があのシーンから何を感じ取るかは興味のある所である。

次に舞台照明について。
地下室の舞台装置がダークグレーな色合いだったので、そこを活かした光の当て方は好きだった。あの地下室で家政婦だった玉子と春生がグルグル巻きにされて苦しんでいる光景はなかなかシリアスで見応えがあった。特に台詞は多くないシーンであったが、こういうシーンが見たかったと思った。
一方で、美姫が刺されるときに彼女に白くスポットが当てられる照明演出はちょっとベタすぎて好きになれなかった。こういう演出によってシリアスな描写が陳腐になってしまうよなと思う。

舞台音響もしっくりこない演出が多かった。
まず、コメディシーンは1990年代の懐メロを流す以外は曲をかけずに、役者のノリに任せて何も音楽を入れないは良いのだが、肝心なシリアスシーンにそれっぽいBGMを流してしまうのはちょっと違うなと思ってしまう。例えば、地下室のシーンでシリアスな音楽をかけてしまったりはちょっと脚本を陳腐化している一因にもなるなと思う。
ただ、賢太郎の暴れる感じを生音で演出するのは良かったと思う。ナマモノとしての演劇の良さを演出した一要素だったと思う。

最後にその他演出について。
舞台設定が1994年から1995年の関西ということで、ギャグには当時流行った音楽やキャラクターが沢山使われている印象だった。CHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」や皿を使ったネタは確かにそうだと思った。しかし、オバケのQ太郎って1990年代だっけ?と疑問だった。もっと昔のキャラクターな気がした。また、関西弁もちょっと中途半端な気がして、ちょっと無理やりしゃべっている感を抱いたのは私だけだろうか。関西弁ネイティブではないけれど、ちょっと違和感を覚える喋り方が多かった印象。
あとはちょっとネタが下品に感じて受け付けないものも私には多かった。立ちションくらいならまだ良いのだが、実際におもちゃのゴキブリを見せたり、口に入れた食べ物を吐き出したりが「うーん」という感じだった。きっと貧しさと裕福さの格差構造を対比させる形で描きたかったのだろうが、あまりにも直接的で受け入れにくかった。
冒頭でゴキブリを登場させていたのは、貧富の階層構造のメタファーということで、金田家にはゴキブリが寄生していて、永井家には金田家や安田家が寄生しているという階層構造を示すためだと思われる。永井家がキャンプから帰ってきてから、金田家はまるでゴキブリのように四つん這いになって見つからないように家中を這いつくばるシーンもあったが、これは個人的に好きなメタファーだったので残してくれて良かった。でも今作を初見の方はこれがゴキブリの比喩だって気がつくのだろうか。
あとは、今作のメインメッセージである「計画」という言葉を多用し過ぎていて、さすがにここまでは映画でも触れていなかった気がしていて、そういった点でも陳腐なものに感じざるを得なかった。
第1幕は、金田家が永井家に「寄生」するまでの計画が上手く運ぶシーンで、第2幕は阪神淡路大震災や誕生日パーティを描くのだが、たしかに前半部分はコメディ要素を入れてもまだ許容できるというか、映画版でも割と笑えるブラックジョークも多かった印象なのでまだアリだったが、後半はシリアスな展開も多い中であそこまでコメディ要素を入れ込むのはちょっと安直に遊びすぎだなと思った。特にオバケのQ太郎とかは思った。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2023「パラサイト」より。(撮影:細野晋司)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

キャストは多くの方がテレビ等でおなじみの俳優で豪華であったが、個人的には舞台となるとこの座組はどうなのか?と思いながら観劇していた。たしかに舞台俳優出身の役者もいるので、もちろん素晴らしかった役者さんもいたが、関西弁もちょっと中途半端な役者もいて正直もっとブラッシュアップして欲しかった。
主に素晴らしかった役者について言及していく。

まずは、金田文平役を演じた古田新太さん。古田さんの芝居は、過去に劇団☆新感線の『けむりの軍団』(2018年)で遠目で演技を拝見して以来だったので、今作ではかなり前方の席で観劇することが出来た。
良かったと思ったのは、凄く金田一家のシーンで古田さん自身が楽しそうに演じられていたのが伝わってきて良かった。これは全員のキャストにも通じる点だが、とにかく役者陣の仲の良さみたいなのは役を通じて伝わってくるあたりはほっこり出来て良かった。
あとは、「YAH YAH YAH」で楽しそうに古田さんが歌っているのも良かった。

次に家政婦の安田玉子役を演じていたキムラ緑子さん。キムラさんの演技を拝見するのは初めて。
第1幕では永井家の家政婦としてコミカルな演技をしながら、後半ではシリアスなシーンを演者としての迫力のみで引き込まれるシーンにしていたのは本当に素晴らしかった。特に、地下室でグルグル巻きに縛られながら苦しむ演技は見応えがあって役者としての技量が光る名シーンだった。

あとは、永井慎太郎役を演じた山内圭哉さんも個人的には好きだった。山内さんはケラさん作品で何度か演技を拝見していて、ナイロン100℃の『イモンドの勝負』(2021年11月)や『世界は笑う』(2022年8月)でも割と落ち着いた役を演じられていた印象だった。しかし、今作では割とコミカルでふざけた演技が個人的にはツボだったので観られて良かった。
1990年代によくいそうなゴルフ好きの主人という感じが好きだった。あとは喋り方も好きで、あのちょっと甘えたような話し方が面白かった。あとは自宅でのパターゴルフで強く打ち過ぎているのも面白かった。

全体的に座組の仲の良さが伝わってきたのは良かったのだが、舞台演技力という点では私が観劇した回に限っては思うことがあった。
純平役を演じた宮沢氷魚さんは、主役でかつモノローグも多いので難しい役どころだが、特にラストシーンはもっと演技で惹きつける何かがあって欲しかった。下手に音楽かけるのも違うので演技力で勝負しなければいけないから大変だが、一観客としてはもう一段落ブラッシュアップが欲しかった。
永井繭子役を演じた恒松祐里さんは、非常に殻を破った演技をされている印象で、声がとても高いという強みもいかしてなかなか目立つ役どころであったが、あそこまでやるのならもう一つ殻を破って観客を沸かせて欲しかったかなと個人的には思った。
永井千代子役を演じた真木よう子さんは、慣れない関西弁だったのかもしれないが、もう少し滑舌の良さを期待したいところだった。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2023「パラサイト」より。(撮影:細野晋司)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ポン・ジュノ監督の映画『パラサイト 半地下の家族』は、非英語作品でアカデミー賞を受賞するなど、世界的に大注目された韓国映画である。私も話題になった当時、映画館で鑑賞して衝撃を受けたことを今でも覚えている。
この映画が主題にしているのは、今世界的に社会的な問題として取り上げている家族と貧富の差の問題。この映画を観て、韓国こそ貧富の差が激しくて、どんなに成績優秀だったり能力に秀でていたとしても、貧困な家庭で生まれた人間には大富豪には決してなれないという社会の残酷さを突きつけられたから、その衝撃は今でも忘れられないのかもしれない。
社会が築き上げてしまったそんな不条理な壁というのは、若者の夢を奪いかねない。きっとポン・ジュノ監督は、夢を持つことをあきらめてしまう若者たちを悲観して、最後は希望を持たせるラストにしたのではないかと思った。金持ちになって豪邸を自分の手で買い取り、父親を助けたいという夢を抱き、計画を立てること。映画版の考察では、結局ラストのギウがギテクを助け出すシーンはギウの妄想だとか、父親が映画中で計画は必ず失敗に終わるから無計画という計画が一番上手くいくと言っているのに、ギウは結局計画を立ててしまうとか悲観するものが多かった。しかし、私個人としてはこの作品はハッピーエンドだと思っていて、貧困であるという立場である人間は上に登れる階段は目の前に用意されているのだから、その階段を登るための目標と夢を設定することこそが生きがいに繋がるからポジティブに捉えていた。
たとえ計画というのはもちろん計画通りにはいかないかもしれないけれど、こうありたいという願望と夢があれば、それを駆け上る階段があれば人は頑張れると思っているから。それを生きがいにして生きていこうと前向きになれる作品だと思っていた。

今回の舞台版で初めて今作に触れて、果たしてどれくらいの人がこの作品のメッセージ性から生きる希望を持とうと思えたのかは分からない。しかし、原作を知っている私からするとそういったメッセージ性はだいぶ薄れてしまったかなと感じている。
ここでは、映画版を観て、その良さを体感した一観劇者の視点として今作を自分の言葉で批評してみようと思う。

舞台にコメディ要素はつきものだと思っていて、第1幕のシーンまでは、私的には下品に感じられるネタもあってハマらなかったが、観客を世界観に没入させる導線としてはコメディ演出はアリだったかなと思う。
私は今作に納得が行っていない要素は大きく分けて2つある。
一つは、果たしてこれを『パラサイト 半地下の家族』の脚本でやる必要があったのかということである。先述したようなメッセージを今作で伝えたいのなら、もっと第2幕のコメディシーンは減らすべきだったと思う。地下室に安田家が住んでいたという重要でシリアスなエッセンスや阪神淡路大震災が発生しているのに、オバケのQ太郎などのコメディ要素がそのあとに入ってきて舞台の空気感がダレるみたいな作品作りに納得がいかなかった。そこには、「パラサイト」という脚本が持つメッセージの辛辣さや阪神淡路大震災で被災された人を安直に扱い過ぎている感じがあって、リスペクトが感じられなかった。
「計画」という言葉も劇中に多用されていて、メッセージ性が陳腐化したり、金田家の匂いに関する言及も割とコメディ要素が入った中で軽く触れられる感じに扱われていて、そのメッセージ性が持つインパクトが軽率に扱われている感じがして好きになれなかった。

もう一つは、阪神淡路大震災を織り交ぜた理由である。なぜ劇中の災害を阪神淡路大震災にしたのだろうか。舞台を日本にしたかったから、日本人家族で「パラサイト」をやるまでは良いのだが、災害を阪神淡路大震災に置き換える理由は分からなかった。別にフィクションなのだから、大雨で河川が氾濫したみたいな設定にしてもおかしくはないと思う。
こうはあって欲しくないが、話題性を取り入れるために阪神淡路大震災に変えたというのであれば、その演出は個人的にはよくないのではないかと思う。その災害で被災されている方がいて傷ついている方がいる中で、エンタメ的にノンフィクションを登場させる作品作りはあってはいけないのではないかと思う。
おそらく別に理由があるとは思うが、とにかく阪神淡路大震災を織り交ぜる理由は私には分からなかった。

今回の上演が、「パラサイト 半地下の家族」ではなく、シェイクスピアのような古典で昔から語り継がれているような作品がこのようにコメディタッチで全編描かれているのなら、まだ私は許したかもしれない。時間も経っているし、こういった演出が出てきても面白いぐらいに思えたのかもしれない。
しかし、まだこの作品はアカデミー賞を取ったのが2020年でそこまで時間が経っていない。ましてやリメイク版ですら創られていないと思う。そんな題材を安直に舞台化して遊び倒されたら、私がポン・ジュノだったら憤るなと思ってしまう。
舞台観客を新規で狙っていこうという戦略は分かるが、もっと波風立てない作品に仕上げて欲しいなというのが私の個人的意見である。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2023「パラサイト」より。(撮影:細野晋司)


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