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舞台 「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」 観劇レビュー 2023/06/17


写真引用元:CoRich 舞台芸術!


写真引用元:M&Oplaysプロデュース 公式Twitter


公演タイトル:「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」
劇場:本多劇場
企画:M&Oplaysプロデュース
作・演出:岩松了
出演:黒島結菜、井之脇海、青木柚、櫻井健人、岩松了、松雪泰子
公演期間:6/3〜6/25(東京)、6/28(富山)、7/1〜7/2(大阪)、7/9(新潟)
上演時間:約1時間50分(途中休憩なし)
作品キーワード:難解、兄妹、メロドラマ、家族
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


過去に岸田國士戯曲賞や鶴屋南北戯曲賞などを受賞し、日本の劇作家・演出家、そして俳優としても有名な岩松了さんの新作公演を本多劇場で観劇。
近年では岩松さんはM&Oplaysプロデュース(森崎事務所)による公演で作演出を務めることが多く、今回の上演もその団体がプロデュースする公演となっている。
岩松さんが作演出を手がける公演は私自身初観劇となる。

物語は、イズミ(黒島結菜)とアキオ(井之脇海)という兄妹の話である。
年の瀬が迫るクリスマスの寒い日のこと、早くに両親を亡くしていたアキオとイズミの兄妹は、父のことについて裁判の準備をしていた。アキオが亡くなった父のことについて調べていると、葉子(松雪泰子)という謎の女性と接することになって、アキオを誘惑してくる。
どうやら葉子は、かつて兄妹の父とも交流があって仲良くしていたようである。
一方で、イズミはとみ(青木柚)という若い男性と仲良くなりデートをすることになる。とみには、親友ののぼる(櫻井健人)という男性がいてイズミととみの仲を取り持っているが...というもの。

岩松了さんの脚本はとても独特で難解であり、全てを理解して観劇するのは難しいとSNSの感想で呟いている人を多く見かけた。
しかし、初めて岩松さんの作品に触れた私の感想は、たしかに難解と言われる所以は分かるが身構えるほどではなかったということ。
全てを理解した訳ではないが、今作で主張したいことや結末はなんとなく掴み取れたので、期待していたよりも楽しめた。

作品の世界観としては、前半は平成初期のテレビドラマでありそうなメロドラマだと思って観ていた。
でも私自身としては、そこに古さを感じるなどネガティブな感情はそこになく、こういった作風は一つの演出方法としてアリだと思ってすんなりと受け入れていた。
しかし、そこから後半、終盤にかけて観客を混乱させるシーンの連続で、きっと置いていかれる観客も多かったと思うが、私としてはその展開によって脳をフル回転させて台詞を一字一句聞き漏らすまいと思いながら観劇し整理していったのでより楽しむことができた。

そして、今作は完全な正解を明示している訳ではなくて、というか正解というのはむしろなくて、観客によって捉え方も違うような結末で終わっているからこそ、終演してからも色々と考えを巡らせることが出来て楽しい作品でもあった。
ラストの解釈に、私はホームドラマとしてずっと観ていたものが、次第に今の社会問題の比喩になっている描き方に見えた点に面白さを見出した。

キャスト陣もベテラン俳優から若手俳優まで皆素晴らしかった。
特にイズミ役を演じた黒島結菜さんは、作風もあってか平成初期の若手女優のオーラを感じて素敵だった。
赤いワンピースも似合っていたし、あのフレッシュな若々しい演じ方が作品と合っていて良かった。
また、のぼる役を演じた櫻井健人さんも、私は初見の俳優さんだったが、とても表情豊かでひょうきんで、そのコミカルな演技はずっと観ていられるなと思いながら堪能出来た。

たしかに難解ではあるものの、全てを理解しようとせずに劇中で登場する会話から様々な推測を立てながらストーリーを追うことが出来れば楽しめる作品なのではないかと思った。
あとは、事前に公演パンフレットのあらすじ欄を一読して観劇すれば、序盤の飲み込みは早いかもしれない。多くの人に一度観てほしい作品だった。

写真引用元:ステージナタリー M&Oplaysプロデュース「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」より。(撮影:渡部孝弘)


【鑑賞動機】

岩松了さんの作演出作品はいつか観たいと思っていて、今作はNHK朝の連続テレビドラマ『ちむどんどん』でヒロインを務めた黒島結菜さんが主演ということで観劇するに至った。
私自身、『ちむどんどん』は全く観ていなかったのだが、黒島さんの舞台での演技は興味があったのでチケットを取った。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

とみ(青木柚)は、久しぶりに履く靴を出して履こうとしているようである。靴に詰められた新聞紙を取り出し、一生懸命履こうとする。しかし、どうやら靴がキツすぎて上手く履けないようである。
そこへ、のぼる(櫻井健人)がやってくる。のぼるは、とみに妹からの弁当を届けにやってくる。のぼるは陽気でお調子者の様子である。とみは受け取る。そして、とみはのぼるに対してしまってあった靴をすり替えただろと疑い、お互い言い合う。

オープニングの音楽と映像と共に、イズミ(黒島結菜)がアキオ(井之脇海)に向けて作った弁当を手渡すシーンが繰り広げられる。

弁護士の田宮(岩松了)と葉子(松雪泰子)という女性が現れる。葉子はこれから晴海埠頭に向かおうとしているようだった。
田宮は、葉子の容姿を色々と褒めて口説こうとする。しかし葉子は田宮のことを避けているようであった。葉子は晴海埠頭に向かおうとして、田宮も一緒についていこうとするが葉子がそれを拒絶する。
葉子は晴海埠頭へ、田宮は五反田のYCCヘ向かう。
アキオが一人でいる。そこへ葉子がやってくる。葉子はアキオに対して随分と好意的で積極的に話しかけてくる。
葉子の話には、アキオの父と葉子は仲良くしていたようであった。アキオの父は、務めていた会社に利用されて仕事に失敗した。そんな時葉子はアキオの父に接近して、アキオの家族を崩壊させてしまったようであった。
葉子は、アキオのことを父によく似ていると言って、父の面影を感じるのだと言う。

アキオとイズミの兄妹の会話。
アキオは、父のことで裁判の準備をしている最中に、葉子という女性に会ったということをイズミに伝える。イズミはどのように葉子に出会ったのか尋ねる。葉子の方から近づいてきたのか、自分から近づきに行ったのかどちらなのかと。しかし、アキオはそこを思い出せない。
イズミは、赤いワンピースを着ていた。これは母のおさがりで、母もこの赤いワンピースをよく着ていたと言う。イズミは、この赤いワンピースが着られてテンションが高かった。

イズミは、とみとデートをする。銀座の喫茶店の中に入ったようである。
イズミととみは席に座る。しかし、二人の会話は噛み合わず価値観が合わないねなどと言って気まずい状況。とみはトイレに行ってくる、と言ってそのままトイレに行ってしまう。イズミは出ていってしまう。
トイレからとみは戻ると、イズミがいなくなっていることに気がつき、急いで彼女を追いかけ始める。

とみとのぼるは二人で会話をしている。とみとイズミの二人の関係についてである。
のぼるは、イズミは作り話を語っていると言う。イズミが自分には広告代理店で働く兄がいて、その兄が亡くなった両親のことについて裁判の準備をしているという作り話を。

葉子と田宮が現れる。田宮は、五反田のYCCで葉子の話題で大盛り上がりだったと言う。
田宮は葉子を再び口説く。田宮は、自分が家に帰ると母と二人きりでなんの楽しみもない。母には、今日はどうだった?と聞かれるけれど、いつも田宮はそっけない返事をする。でも、葉子が家にやってくれば家は楽しくなるだろうと。
田宮は葉子と一緒にいたいと言う。しかし、葉子は田宮のその返事を受け入れなかった。
葉子はアキオに好意的で、彼と一緒にいたい様子であった。

葉子とイズミが出会う。葉子はイズミと久しぶりに会う様子だった。葉子が記憶しているイズミは、まだ高校生だったので制服姿だったと言う。
葉子は、父の件で謝ろうとイズミの通う高校へ行ったことがあると言う。校門のところでイズミが出てくるのを待っていた。しかし、葉子は本当にイズミに申し訳ないと思っているのかと自問自答したと言う。

アキオとイズミの会話。イズミはアキオに、実はお腹に子供が出来たのだと言う。そしてまだアキオには何も言ったことがなかったけれど、実はイズミには付き合っている男性がいて、その男性と結婚したいのだと言う。
アキオは驚く。イズミは、その男性つまりとみに会いに向かう。

アキオは葉子と会う。葉子は父と仲良くしていた当時、イズミに兄弟欲しくない?と聞いたのだと言う。アキオは顔色を変えて、当時葉子は父とどんな会話をしていたのだと聞く。
葉子は、今イズミが付き合っているという男性は、本当は自分とアキオの父との間に生まれてくるはずだった息子なのだと言う。葉子は、性格上色々な男性を好きになって落ち着かない人生を送って見窄らしかった。もし、そのまま葉子は父と結婚して子供を産んでいれば、イズミは実在するとみと付き合って結婚して子供が出来ただろうにと言う。
葉子はそのまま一人で自分の情けなさに愕然とする。田宮は階段を2段飛ばしで登ると躓いてしまう男だが、アキオはそうでなはなく、階段を踏み外すことなく登ってきてくれる。自分はそんな男性と結婚したかったと言う。

イズミは一人立っている。イズミは独白する。この銀座の街には二人の浮浪者がいて、一人は作り話をするのがとても上手くて、もう一人はその作り話を聞くのがとても上手かった。イズミはその作り話に途中から登場することで、その作り話が果たして本当なのか嘘なのか分からなくするいたずらをしたのだと言う。
見えないものを見ようとする時、まるでそれまで見えていなかったものが見えてくることがあるのだと。
イズミは銀座の街で波の音を聞きながら、誰もいない空間と会話を始める。それはまるで、今までとみと話していたかのように砕けた口調で楽しそうだった。

イズミは以前とみと一緒に来た銀座の喫茶店へアキオと一緒に来る。喫茶店の席に二人で座る。そして会話をした後、二人は外に出る。
花火が上がっている。その中で、とみは首を吊って死んでいる。でもイズミもアキオもその様子に気がついていないようだった。ここで上演は終了する。

岩松了さんの作品を初めて観劇してみて思ったことは、ストーリーはあるのだけれど観客を混乱させるような要素が混ざっていて、人によって解釈がそれぞれ変わるような仕掛けになっているということを感じた。
今作の場合でいえば、物語はあるのだけれど、結局どの解釈が正しいのか断定できるものが少ない。とみとのぼるは何者だったのかというと、そのヒントになるような描写は出てくるけれど断定して論じることが出来る訳ではない。その際に必要な情報が良い意味で描かれていないので余白が沢山残されていて、解釈が複数存在してしまう。だからこそ、そこから汲み取れるメッセージ性というのは人によって様々だと思うし、観劇回数によっても変わってくるのではないかと思う。
どこまでの描写が真実で、どこまでの描写が嘘なのか。観客は、常に色々な仮説を仮定しながら観劇し、やっぱり合ってた?違っていた?を繰り返しながら、結論何が正しいか分からないまま終わるのではなかろうか。
しかし、全く意味が分からなかったかというとそんなことはなく、アキオとイズミの兄妹愛、様々な男性に翻弄されてしまう女性の苦悩、裕福な家庭と浮浪者という貧富の差など、様々なエッセンスが織り交ぜられていて、そこからストーリーは理解出来なくても感じ取れるものが沢山あるから面白く感じられる作品に思えた。
ストーリーの考察は、考察パートでじっくり行っていく。

写真引用元:ステージナタリー M&Oplaysプロデュース「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」より。(撮影:渡部孝弘)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

ステージ上には大々的に大道具が仕込まれているものの、装飾はシンプルな舞台美術だった。その代わり、下手側の透過スクリーンが際立った。舞台照明も特に目立った演出はなかった。
舞台装置、映像、舞台音響、その他演出について記載していく。

まずは舞台装置から。
下手側には、手前に巨大な透過スクリーンがあって、その後ろにもそれなりに広い空間があり、喫茶店のシーンで使われていた、テーブルや椅子が並べられていた。
一方、上手側にはステージ中央から上手側へまっすぐに伸びる階段があって、その階段の途中には客席からは見えなくなるように壁で覆われている部分があった。階段の上り口にはステージ後方から前方へ登場出来るようなデハケがあった。階段を登りきった上には、一番上手側にドアノブ付きの扉があり、ここもデハケの一つとなっている。この扉は、田宮や葉子、アキオが出たり入ったりするが、誰の住宅の扉なのかよく分からなかった。
ステージ中央には、一つの門松が置かれていて、でも門松にしてはちょっと簡素な感じのセットだった。中央に刺さっている竹も、普通の門松だったら斜めに切られているものを想起するが、普通に竹がそのまま2本刺さっているだけだった。その門松に何か意味があるのかよく分からなかった。
全体的に舞台装置はダークグレーで塗られていて、寒い冬を想起させるような印象があった。

次に映像について。
下手側には、巨大な1枚の透過スクリーンがあってそちらによる演出が、舞台美術の大部分を占めていたように思える。最初はただの舞台装置の壁だと思っていたが、徐々にじんわりと映像が映し出されて、これはスクリーンだったのだと劇中に気付かされた。さらに、イズミととみのデートシーンになると、このスクリーンは後方を透過する透過スクリーンであることがわかり、スクリーン後方にあったテーブルと椅子がスクリーン越しに透過してデートしている様子が窺えた。ここは銀座であることから、このスクリーンは窓ガラスとしても機能していた。
透過スクリーンに映し出される映像は、銀座の街と考えられるビルディングと道路と、その道路に沿って植えられている街路樹たちだった。1990年代の銀座の街並みというのをイメージしているのだろうと思うが、ちょっと映像が作りものすぎる感じがして違和感が個人的にはあった。
また、その映像にはイズミや、ラストシーンでは首を吊ったとみが映し出される。これもちょっと違和感を感じてしまった。敢えて映像で示す意味があったのかなと疑った。特にラストのとみが首吊り自殺をするという要素は重要な要素だと思うが、映像でやってしまうと陳腐になってしまう気がしてしっくりこなかった。けれど、とみだとわかる衣装を着せた人形を使ってやるのも違うのか。それか、映像で首吊りをやることで、アキオとイズミのいる世界ととみのいる世界が異なることを演出したかったのだろうか。
あとは、カモメが映像に度々登場するが、こんなに明示的に映像で登場させなくてもと思いながら見ていた。

次に舞台音響について。
オープニング、そして場転するシーンで基本的にはBGMが流れていた。そのBGMも、昔の1990年代にテレビドラマでやっていたようなメロドラマ的なベタな音楽だった印象。作風には合っていたし、私は嫌いではないので特に違和感は抱かずすんなり入り込めた。
あとは、波の音が心地よかった。とみの存在でもある波の音は、銀座の街中からも聞こえるとなんか不思議な気持ちもするが、それが上手く言語化出来ないけれど良かった。今度銀座に行ったときに、近くの海の音が聞こえるか耳を澄ませてみたいとも思った。

最後にその他演出部分について。
舞台装置全体がシンプルであるが故に、舞台上に登場する小道具や衣装が非常に目立って見えたし、そこにストーリー上の意味もあったので良い意味で目立っていたという印象。例えば、イズミが着ていた赤いワンピース。母が気に入ってよく着ていたものだと言っていたが、あまり舞台美術がカラフルでないこともあって、非常に際立っていた。そしてその赤いワンピースには、1980年代、90年代のレトロっぽさもある。だからこそ、イズミを演じた黒島結菜さんも30年以上前の若手女優のように見えて良かった。あとは、弁当を入れた袋も印象的。イズミが兄のアキオに渡す手作り弁当には妹の兄に対する愛情が込められていることをヒシヒシと感じる。その弁当の入った袋も目立っていた。また、ハンカチも目立っていた。ハンカチは特に今作では重要な伏線になる。葉子は紫色のハンカチを持っていたが、それは落ちていたハンカチを拾ったから。落ちたハンカチを拾うという行為自体が今作のメッセージとも通じてくる部分だから、目立っていて良かったと思う。この点については、考察パートでも触れる。

写真引用元:ステージナタリー M&Oplaysプロデュース「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」より。(撮影:渡部孝弘)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

役者陣は、ベテラン俳優から若手俳優までいたが、皆素晴らしかった。私自身、松雪泰子さん以外はどの方も舞台上で初めて拝見する役者陣だったのだが、とても個性豊かで演技を観ていて楽しかった。
特に目立っていた役者さんについて言及する。

まずは、イズミ役を演じていた黒島結菜さん。
『ちむどんどん』を観ていなかったので、黒島さんがどんな芝居をするのかあまりイメージが湧いていなかった。しかし、今作を拝見して思ったのは、とてもフレッシュで演技を観ていてこちらの心も透き通るんじゃないかと思うくらい、観ていて清々しかった。また、その清々しさがありつつ、舞台の作風と衣装も相まってどこか1980年代、90年代の若手女優のようなレトロさを感じられる。髪型をショート黒にしているのもあると思う。そのあたりが凄く役にハマっていて良かった。
アキオという兄貴を慕う感じが見ていて心癒された。こんな従順というかまっすぐな妹を持っているアキオも羨ましい。
一番印象に残るのは、アキオに自分のお腹に子供が授かったと打ち明けるシーン。どうしても自分は、アキオの気持ちに感情移入してしまいながら物語を楽しんだ。
また、葉子とのやり取りは面白かった。葉子の年齢をいじるシーンはアドリブだろうか。

次に、アキオ役を演じた井之脇海さん。井之脇さんの演技を舞台で拝見するのは初めてだが、私がよく知らなかっただけで、様々なドラマや映画に出演されていた。例えば、NETFLIXドラマ『今際の国のアリス season2』のマツシタ役だったというのは驚きだった(がっつりドラマで演技を見たことがあった)。
まず、アキオはスーツをビシッと着て広告代理店に勤める真面目でしっかり者な点に魅力を感じる。そして、きっと父親に憧れていたということについても劇中から色々と感じられる。というか、アキオ、イズミ兄妹は、亡くなった両親のことが大好きで、きっと両親のように自分もなりたいと切望している感じがヒシヒシと感じられる。
そんなしっかり者だからこそ、葉子に好かれてしまう。そんな葉子をちょっと見下す感じでイチャイチャするあたりの演技が、それっぽくて私は好みだった。

今作で一番印象に残った役者は、浮浪者ののぼる役を演じた櫻井健人さん。
櫻井さんの演技は、本当にコミカルでひょうきんなあたりが良かった。坊主頭で、あんなに楽しそうに芝居が出来る姿というのは、なんか凄く個性的で素敵だなと感じた。
細かいことを言うと、櫻井さんの演技は表情豊かなところと身振り手振りが凄く良い。会話のテンポと、あそこまで身体を使って自然に演技が出来るって凄いなと思う。私もこんなのぼるのような友達がいたら良いなと思ってしまう。
櫻井さんの芝居は他でも沢山観てみたいと思ったので、今後の出演作をチェックしていきたいと感じた。それくらい印象的で素敵な俳優さんだった。

最後に、葉子役を演じた松雪泰子さん。松雪さんの演技はケラリーノ・サンドロヴィッチさん作演出の『世界は笑う』(2022年8月)で一度演技を拝見しているが、『世界は笑う』は出演者が多かったので、あまり松雪さんの存在をまじまじと堪能出来なかったが、今作ではがっつり松雪さんの芝居を観ることが出来た。
全然悪い意味での言い方ではないのだが、平成初期のメロドラマを観ているかのようなベタな熟女役が素晴らしかった。年下のアキオに惚れてしまってベタベタするあたりの、あのベタベタ仕方が良い意味で苛立ちを覚えた。
大人として成熟してしまったからこそ、素敵な男性に出会うとすぐ好きになってついていって色々な所で迷惑を振りかざす感じ、でも心からは反省する気配はなく、同じことをずっと繰り返してきている。そんな女性が見事にハマっていた。

写真引用元:ステージナタリー M&Oplaysプロデュース「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」より。(撮影:渡部孝弘)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

岩松了さん作演出作品を初めて観た訳だが、なるほどこれが岩松ワールドかと思いながら、そのストーリー展開の混乱のさせ方を肌で感じながら楽しんだ。
先日拝見したイキウメの『人魂を届けに』の方が難解だったので、身構えしていたほど理解不能ではなかったが、それでも最後はどう解釈したら良いのだろう?と戸惑ったので、そちらを私なりに考察してまとめたいと思う。

アキオとイズミの兄妹は、おそらく裕福な家庭の元に生まれ育った。父は劇中の話だと日銀で勤めていたようである。母も赤いワンピースを着こなすほどなので、きっと贅沢な暮らしをしていたに違いない。
アキオもイズミもそんな裕福な家庭を築いていた父母のことが好きで、尊敬もしていたと思う。だからアキオには父親の面影があり、イズミは母が好きだった赤いワンピースを着こなそうとしていた。
しかし、父と母はとある事件?に巻き込まれて亡くなってしまっていた。葉子の話から、きっと父が日銀の仕事の失敗に巻き込まれたことが推測される。もう一度観劇すれば、葉子はその父について詳しいことを話していたので、どんな失敗だったのか分かったかもしれないが、そこまで聞き取れなかった。
そして父は、そんな仕事の失敗と共にその頃彼に近づいていた葉子とも不倫していたと考えられる。葉子はしっかりした男性に惹かれるタイプの女性、どんな言葉を父にかけたのか分からないが彼を口説いて家族を崩壊させた。つまり、アキオとイズミにとっては葉子は自分たちの家族を崩壊させた悪人である。

イズミは葉子のことに対して、あまり良いイメージを持っていないようであった。年齢のことに対して不必要に言及して傷つけたり(客席は笑っていた)、葉子自身もイズミの通う学校へ謝りに行こうと思ったけれど、果たして自分は本当に心から謝る気持ちがあるのだろうかという発言をしていた。
一方で、葉子とアキオはとても仲良さげな素ぶりをしていた。もちろん、葉子はアキオに対して父の面影を感じるので好きになってしまったと明言している。しかし、アキオの方はどうか。イズミになぜアキオは葉子と出会ったのか問われた時、向こうから会いにきたかどうかも定かではないと言っていた。つまり、アキオの方から歩み寄った可能性も示唆する発言だった。
このことから、アキオの父も葉子との不倫をかなり自分から進んでそちらの方向に向かったことも十分考えられる。ましてや、ラストシーンでは葉子と父は結婚して子供をつくる話までしていたことを示しているのだから。

見えないものを見ようとすると、まるでそれは本当にあるかのように見えてくるものだというのが今作の主張であるような気がしている。ラストのイズミの独白である。
もし父と葉子が結婚して子供を生んでいたら存在していた人、それがとみであると葉子は言っている。というか、イズミがそんな妄想を勝手に膨らませて、とみという男性をそんな存在に仕立て上げているような気がする。
とみとのぼるは銀座の浮浪者である。イズミはそんな浮浪者に対して、イズミが葉子にかつて言われた兄妹が欲しい?という言葉が実現していたらこんな感じだったのだろうを具現化させているのかもしれない。
デートして付き合って、そしてお腹に子供が授かって、見えないものを見ようとすると本当にあるかのように思えてくるように、イズミは母親違いの兄妹と付き合って結婚して子供が生まれてくることを妄想したのだと思う。そこには、イズミも幸せな家庭を築きたいという強い願望があったからだろう。幼い頃は、両親の愛情ですくすく育って、両親は亡くしてしまって、だから今度は自分たちが結婚して家族を幸せにしたいという気持ちが芽生えたんじゃないかと思う。

では、とみの立場から考えるとどうなるか。とみは先述したように浮浪者である。お金も家もなく貧しい暮らしをしている。だから女性とデートをする、結婚するなんて夢物語だ。だから作り話を沢山作って自分が幸せになった時の妄想をするんじゃないかと思う。そしてのぼるに聞かせて面白がってくれる。
その作り話にイズミがお邪魔したとき、その作り話は、まるで見えないものを見ようとしたときに、まるでそれが本当のことであるかのように見えていたと思う。だから観客は、イズミととみが付き合っているかのように観てしまっていた。本当にお腹に子供が出来たんじゃないかと思ってしまった。しかし、それは違った。作り話だった。
ラストに面白い演出を取り入れたシーンがあった。イズミは一人で誰かに話しかけるシーン。そこにはまるでとみがいるかのようなシーン。でもずっと観ていると、そこにはとみがいるんじゃないかと思えてくる。そんなことを観客に投げかけてくれる演出だった。

しかし、一番最後には残酷なラストがあった。イズミとアキオは二人で喫茶店にいるが、とみは首を吊って死んでいた。でもそのとみをイズミは見ようとしなかった。一体これはどういうことなのか。
私は、この最後のメッセージに日本社会、いや世界に対する強烈な批判を目の当たりにした。それは、イズミやアキオ、そして銀座という高級な街が比喩する裕福な人々は、とみのような浮浪者、そしてカモメが鳴く海が比喩する貧しい人々を見ようとしていないということである。
お金のある裕福な人々は、なかなか貧しい人々に対して目を向けずに暮らしてしまっている節があると思う。例えば、日本という国自体が恵まれている国なので、アフリカの貧しい国の暮らしを顧みずに食品ロスなどを繰り返している。日本国内でも、貧困という枠にとらわれずマイノリティの人々の生きづらさを無視した行動や政策も沢山ある。
しかし、見えないものを見ようとすること、すなわち貧困に困っている人々やマイノリティな人々のことを常に意識して生活することが大事なのではないかと主張しているように思える。落ちたハンカチを見ようとしないのではなく拾ってあげるように、視野を広くして生活していくことが重要なんじゃないかと言うことである。

そう考えると『カモメよ、そこから銀座は見えるか?』というタイトルにもなんとなく意味が見えてくる。海辺に暮らすカモメにとっては銀座は見えるかもしれないけれど、銀座にいる人々からは海にいるカモメなんて意識してくれないだろう。銀座から聞こえる海の音に聞き耳を立ててみるように、これからは目に見えない社会で困っている人たちにも意識を向けて見ようとして、生きていくことが大事なんじゃないかと気づかせてくれた作品のように私は感じた。

写真引用元:ステージナタリー M&Oplaysプロデュース「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」より。(撮影:渡部孝弘)



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