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舞台 「諜報員」 観劇レビュー 2024/03/09


写真引用元:パラドックス定数 公式X(旧Twitter)


写真引用元:パラドックス定数 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「諜報員」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:パラドックス定数
作・演出:野木萌葱
出演:小野ゆたか、植村宏司、西原誠吾、井内勇希、横道毅、神農直隆
公演期間:3/7〜3/17(東京)
上演時間:約2時間(途中休憩なし)
作品キーワード:スパイ、会話劇、シリアス、戦争、第二次世界大戦、ハードボイルド
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


劇作家の野木萌葱さんが主宰する劇団「パラドックス定数」の新作公演を観劇。
「パラドックス定数」は、1998年に演劇ユニットとして結成し、2007年にメンバーの固定化を受け劇団化している。
代表作に『731』(2003年)、『Nf3Nf6』(2006年)、『東京裁判』(2007年)などがあり、2019年には第26回読売演劇大賞で優秀演出家賞にも輝いている。
私が「パラドックス定数」を観劇するのは、『vitalsigns』(2021年12月)以来約2年2ヶ月ぶりである。

今作は、第二次世界大戦中にドイツ人のジャーナリストとして日本で活動していたソビエト連邦の諜報員だったリヒャルト・ゾルゲが逮捕された事件「ゾルゲ事件」をベースとした物語となっている。
政府の役人である紺野幹郎(小野ゆたか)、医師の早川恭一(植村宏司)、新聞記者の芝山英晶(西原誠吾)、教会に勤務する立原寅生(井内勇希)の4人は警察によって身柄を拘束され、密室に閉じ込められる。4人ともお互い会ったこともなく、なぜ閉じ込められているのか分からない。
彼らは一人ずつ警察側である若尾義彦(神農直隆)、六鹿晃(横道毅)によって呼び出される。
その理由は、どうやらソビエト連邦の諜報員であるリヒャルト・ゾルゲ、そして彼と関わっていた日本人である尾崎、宮城らと繋がりがあると疑いがかけられているからであったが...というもの。

『vitalsigns』を観劇した時も感じたが、「パラドックス定数」の公演はシリアスな音響の使い方と重厚な緊張感ある会話劇を作り込むのがとてつもなく上手く、120分間ずっとその緊張感に包み込まれて飽きさせることがなかった。
男性6人のキャストによる重々しくのしかかる会話の内容と、これからどうなってしまうのだろうかと思わせるストーリー展開にずっと釘付けだった。
ただ、今作は前回観劇した作品と比べて非常に設定が複雑で前情報を入れずに観劇すると、なかなか会話に登場する人物の相関図を描くのに苦戦して理解しきれなかった内容も沢山あった。
劇中にはキャストとして登場しない人物も複数会話に存在する上に、それぞれのキャストが今までどういった立場にあった人なのかを公演パンフレットにも記載していないので、観劇しながら徐々に関係が結びついていく感じで、割と頭をフル回転させる観劇だった。

今作では同じキャストが今と回想のシーンで違う人物を演じるシーンがあるため、今このキャストはどの役を演じているのだろうかと色々考えながら観劇する楽しさがある反面、最後までよく分からなかったと回収しきれないモヤモヤが同時に残ってしまう作品でもあった。
しかし、警察に身柄を拘束された人物と諜報員を同じキャストが演じることによって、結局のところ戦時下の日本というのは真実は誰も分からず、誰も信用出来ない混沌とした社会であったことも物語っているようで興味深い演出だとも思った。
果たして紺野たちは、本当にゾルゲ事件とは無関係な人間なのか、彼らが証言していることは真実なのか、劇中で登場するシーンをどこまで真実として鵜呑みにして良いのかを疑いながらの観劇は、第二次世界大戦中の当時の日本の社会状況ともリンクしているようで、誰も信頼できない恐ろしさ、なんでも純粋に信用してしまう人間だけが損をしてしまう無秩序さにも感じられて凄く面白かった。

舞台セットは、ステージ中央に4つの寝台がある密室をイメージした四角く囲われたエリアがあるだけのシンプルなものだったが、照明の当て方によって回想のシーンが分かるように演出されているのが秀逸だった。
密室を再現した暗い照明の中で展開される緊迫感ある会話劇と、一箇所だけ明るく照明が照らされた中で展開される回想のシーンのギャップによって、劇そのものの緩急もあったように感じて没入しやすかった。

役者陣は全員文句なしに素晴らしかった。
「パラドックス定数」の劇団員である小野ゆたかさん、植村宏司さん、西原誠吾さん、井内勇希さんや、「パラドックス定数」の作品にお馴染みの神農直隆さんも素晴らしかったが、警察側の六鹿晃役を演じた横道毅さんも初めて演技を拝見したが、味のある演技をされていて素晴らしかった。
ベテランの俳優ばかりなので皆演技に重みがあり、だからこそ引き込まれる会話劇に仕上がっているのだろうと改めて「パラドックス定数」のレベルの高さを感じた。

リヒャルト・ゾルゲ事件自体は知らなくても楽しめるが(私もよく知らなかった)、第二次世界大戦中(特に1940年頃)の日本の状況や世界情勢の一般知識はないと会話劇についていくことは難しいかもしれない。
スパイものの作品や第二次世界大戦中の世界史が好きな方にはおすすめしたい作品だった。

写真引用元:ステージナタリー パラドックス定数 第49項「諜報員」より。




【鑑賞動機】

「パラドックス定数」の公演は、『vitalsigns』を観劇して凄く印象に残ったので、またいつか観劇したいと思っていた。今作は『諜報員』というタイトルで、野木さんが描くスパイものは凄く興味があったので観劇することにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

暗転と共に、客入れ時から流れていたシリアスな音楽が大きくなり、航空機が飛び立つような音が聞こえる。ゆっくり明転する。
紺野幹郎(小野ゆたか)の頭に被されていた黒い袋が取られる。ここは、4つの寝台がある鉄格子のかかった密室。その密室には、紺野以外に早川恭一(植村宏司)、芝山英晶(西原誠吾)、立原寅生(井内勇希)の3人がいたが、お互い名前も知らず初対面である。
4つしか寝台がないことから、おそらく集められた人間はこれで全員だと考えられるが、一体誰が何の目的で身柄を拘束されたのか分からない。立原以外は自宅で警察と思しき者に身柄拘束されたが、立原だけ教会に勤めていて教会で拘束されたらしかった。拘束したのは、おそらく警察だと思われるが、憲兵隊のように強引で力づくで拘束されたと口を揃えて言う。

密室に、警察と思われる若尾義彦(神農直隆)が入ってくる。若尾は「紺野幹郎」はいるかというので、紺野は手を挙げて若尾についていく。紺野は、若尾ともう一人警察である六鹿晃(横道毅)が部屋にいる。六鹿は、今日は大事件が起きたが新聞には間に合わなくて載っていないニュースがあると言う。それは、ドイツのジャーナリストとして日本で活動していたリヒャルト・ゾルゲがソビエト連邦の諜報員だったということが分かり逮捕されたというニュースだった。ゾルゲの逮捕に伴い、彼と関わりのあった尾崎と宮城という人物も逮捕されたようだった。
六鹿は、紺野が政府の役人であるということは知っているので、何かゾルゲに関することで知っている情報はないかと聞かれるが、紺野は知らないと答える。六鹿は話の流れで、浅草の劇場にいる俳優や作家まで拘束されるようなご時世になってしまってつまらなくなったと嘆く。
警察側は紺野を密室まで連れ戻す。

若尾は今度は密室で、「早川恭一」と言う。しかし誰も名乗り出る者がおらず、若尾は立原を椅子に座って黒い袋を頭に被せ、お前が早川だろうと脅し銃を2回ほど地面に撃ち込む。そこへ芝山が「私が早川恭一です」と名乗りを上げる。芝山が若尾に連れて行かれる。
紺野と早川と立原が密室に残るが、早川は自分だと早川自身が若尾が出て行った後に自白する。怖くて名乗り出られなかったらしい。紺野は、先ほど若尾たちに尋問された内容を早川たちに共有する。ソビエト連邦の諜報員であるゾルゲが逮捕されて、彼と関わりのあった人物を捉えようとしていると。
六鹿の元に連れられた芝山は、彼を早川だと思われているので安田徳太郎という医師を知らないかと尋問される。芝山は知らないと答える。芝山は、六鹿からゾルゲ、尾崎、宮城が逮捕されたということを知らされ驚くが、早川になりきって演じる。芝山は外に出される。
次に若尾は、「立原寅生」と呼ばれて、立原が密室を出ていく。すると、立原は今まで紺野や芝山が尋問された部屋へは行かず、別の場所にいく。六鹿がそちらへ向かう。
六鹿は親しそうに立原に話しかける。どうやら立原は、元々この警察側の人間であり、身柄を拘束された者を演じて密室での他の3人の様子を窺うスパイだった。立原は、早川は先ほどの人間ではなくもう一人の方の呼ばれていない人間の方であることを六鹿たちに伝える。立原は密室に戻る。

照明が変わり、鉄格子の向こうで男(小野ゆたか)と早川が話している。早川は安田徳太郎から預かっている薬をその男に渡した。その男は早川に感謝する。その男は足を引きずっていた。早川は理由を聞くと戦争によってこうなってしまったと言う。男は、戦争なんてするべきでないと言ってその場を立ち去る。
照明が元に戻る。早川は、あの時安田徳太郎から依頼されて薬を渡した相手がゾルゲであるに違いないと言う。しかし、ゾルゲに関してはそれ以上のことは何も知らないと言う。
早川は次は自分が呼ばれるとずっとビクビクしていたが、なかなか若尾はやってこない。しかし、しばらくして若尾がやってきて早川と立原が呼び出される。二人は六鹿の元へ案内される。
早川は六鹿に暴力的な拷問をする。安田徳太郎のことを知っているだろう。ゾルゲのことを知っているだろうと。六鹿は早川の目を指で指して苦しめる。早川はそのまま倒れる。その光景を見た立原は、こんな暴力的な拷問は酷すぎると警察を批判する。
別の場所で立原と若尾は話す。若尾は立原に対して、立原は正義感が強すぎると批判する。そんな綺麗ごとではことはすまないと。立原は、人のため国のため自由のために活躍したいと言うが、若尾はそんなことよりも欲を大事にした方が良いと説教する。
一方、密室では紺野は芝山に対して、本名は何かと問い正している。芝山は「東條英機」と嘘をつくが、どうやら新聞記者をやっているようだった。
芝山は日比谷公園でのことを思い出す。男(植村宏司)が倒れている。芝山は話しかけるが、男はルンペンの真似事をしていると言う。

4人は密室にいる。若尾は、逮捕されていた宮城が自殺未遂をしたという連絡を入れる。若尾は、再び紺野と芝山を六鹿の元に連れて尋問する。ゾルゲとの関連は本当にないのかと。
また、過去の回想で立原は若尾に社会主義者を監視するために教会に潜入してくれないかという依頼をされる。立原はそれを快く受け入れる。
4人は密室にいる。警察側は一体どうしてゾルゲ、尾崎、宮城の周辺の人間たちを逮捕して事情聴取しようとしているのだろうかと。その話の流れで、立原が警察側のスパイであることがバレてしまい、立原は密室で紺野、早川、芝山に取り押さえられる。そして暴力を振るわれる。どういうつもりなのだと。

照明が切り替わり、ゾルゲ(小野ゆたか)と尾崎(植村宏司)が二人で話している。尾崎は日本という国に呆れているようである。満州事変や二・二六事件が起きてから日本は軍国主義へ突っ走ろうとしている。まるで自転車操業をしているような国で、このままでは長くは持たないと。日本はこのまま攻め続ければ、北へ攻め続けるとソビエト連邦を敵に回すことになるし、南へ攻め込めばアメリカを敵に回すことになる。アメリカを敵に回したら大量の血が流れて日本は敗北するだろうと。
ゾルゲは、日本が北へ攻め込むのか南へ攻め込むのかに興味があると言う。尾崎は南に攻め込んでアメリカを敵に回すだろうと言う。
照明は戻って密室。芝山たちは、警察がどうしてこんなにゾルゲ、尾崎、宮城を拘束するのかについて興味を抱いている。日本の今後の軍事戦略に関わる機密情報がソ連に流れたというのはそうだと思うが、日本の状況が流れたぐらいでは警察も動かないだろうと思う。きっと、日本にとってソ連に流れたら国際的にリスクとなりうる事象が漏れたに違いないと。それは「御前会議」ではないかと言う。芝山は少し横になりたいから寝台で休むという。
照明が変わって回想シーン。紺野が宮城(西原誠吾)を訪問する。宮城は病の床に伏せていた。紺野は、宮城からこの後「御前会議」が開かれる旨を聞かされる。「御前会議」では、日本軍がソ連側へ攻め込むか否かを決定する重要な会議らしいと宮城から紺野に聞かされる。この情報は、ソ連にとっては重要な情報でこれによってソ連がドイツと日本から挟み撃ちを受けることになるか否かが決定するからである。
ゾルゲ(小野ゆたか)と尾崎(植村宏司)が語り合う。「御前会議」の結果、日本はソ連には攻め込まず、南へ進軍してアメリカと戦争になるということを。ソ連側の身であるゾルゲとしてはホッとしているようである。尾崎も宮城もゾルゲが無事に帰国できるように手を尽くすと言っている。

シリアスな音楽と共に暗転。
若尾と立原が話している。立原は紺野、早川、芝山の3人を釈放したと言う。三人を自宅の前に黒い布を被せて転がしておいたと。若尾は驚く。立原はそうやっていつも正義のために動こうとするからいけないのだと。もっと欲を持った方がいいと言う。ここで上演は終了する。

ずっと緊張感ある会話劇が続いて引き込まれるのだが、まず第二次世界大戦中の世界史の知識がある程度問われるということや、劇中の登場人物がどういうバックグラウンドの持ち主なのかを劇中の彼らの言葉から拾い上げて明らかにしつつ、同時に会話上しか登場しない人物やゾルゲ、尾崎、宮城といった人物がどの役者によって演じられているかを自分で把握していかないといけないので、結構理解するのには骨が折れると感じた。
私は上演台本も買って読んだが、いまいちどういうことを伝えたくてこの描写を入れているかを深く理解出来なかった。きっと、何度も観劇してようやっと理解を深められる類の作品なのだと思う。
あとは、ゾルゲといったソ連からの諜報員が紛れ込んでいるということだけでなく、社会主義者が日本の中に紛れ込んでいるという歴史的事実もあり、戦時中の日本では正体を明確に明かさずに過ごしている人々が沢山いる怖さというのも凄く良く感じられた。
そしてそこにのしかかる、立原の信念である人のため国のため自由のために生きるという思想の危うさ。そしてどうしても欲で生きるということが大事になってくると諭す若尾の言葉も胸に突き刺さる。戦時下の混沌とした社会だからこそ綺麗ごとでは生きていけない苦しさを見せられたようで心にグッときた。

写真引用元:ステージナタリー パラドックス定数 第49項「諜報員」より。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

「パラドックス定数」の緊迫感あふれる洗練された世界観に終始引き込まれた。なかなか味わえないくらいの静寂と緊迫感を演出できる野木さんは素晴らしいと思う。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出について見ていく。

まずは舞台装置から。
中央に大きく客席から見てダイヤ型に設置された密室があって、壁はなく床面の通路によって囲われている。密室の中には2階立ての寝台が2つ置かれていて、寝床は合計4つ存在している。密室の中には2つだけ背もたれの無い小さな椅子が置かれていた。また、密室の上手側の壁部分は、鉄格子を表現したような壁が設置されていた。
密室以外では、下手側に何も装置が仕込まれていないエリアがあり、そこは若尾と六鹿が立原に対して内密で話せるスペースが設けられていた。一方、上手側には六鹿が4人を尋問するためのエリアが設けられており、そこにも背もたれのない椅子が2つほど置かれていた。
非常に舞台セットはシンプルなのだが、このシンプルな舞台装置だからこそ全くノイズのない洗練された世界観が作り上げられたのだと思う。壁がないことで、回想シーンを上手くステージ上に再現出来ているし、密室に入室できる位置も決まっていて、そうでない箇所から密室に入る時には意味があるのだろうなと考えさせられる仕掛けも面白かった。

次に舞台照明について。
基本的に密室でのシーンでは、客席から俳優の顔が識別できるくらいの薄暗い照明になっていて、凄く雰囲気が作り込まれていた。特に最初に明転して始まるシーンでは、ジワジワと明かりがつくので、そこで一気に世界観に没入できるし、最初朧げに役者がステージにいるという感じに見えて、目が段々と慣れてきてはっきりするという演出が、密室というシーンに凄く合っていた。
あとは、回想シーンに黄色く強い照明が当たって暖かく感じる辺りが良かった。照明が明るいので、ゾルゲが凄く優しい感じの人に思えてくる。密室に閉じ込められた人間や警察の人間なんかよりも、たしかに当時の日本にとっては逮捕しなければいけない人物だが、今作中では一番人間らしさを感じたように思えた。
早川がゾルゲに薬を渡す回想シーンで、鉄格子のむこうで彼らは演技しているので、そこに照明が当たって鉄格子から漏れてくる感じが凄く良かった。こういう演出ってどうしたら思いつくのだろうか。とても好みだった。
さらに、下手側の立原が若尾・六鹿を話すためだけのエリアの照明と、六鹿が居座る尋問用の部屋の照明があった。ステージ全体を上手く使ったセットだと感じた。

次に舞台音響について。
『vitalsigns』でも感じたが、「パラドックス定数」の作品は舞台音響で緊迫感のある世界観を作り上げるのが本当に上手いと感じた。客入れ中の緊迫感ある音楽も好きだったが、それが暗転と共にボリュームが大きくなっていく時に、私は鳥肌を感じた。そして、そこに航空機が通過する音まで聞こえて、一気に期待値をあげる演出が見事だった。
あとは銃声の音もあったが、事前に前説で野木さんから銃声が鳴りますと告知されていたので凄く良かった。たしかにいきなりだとびっくりするかもだが、想定はされていたので身構えることができた。観客に優しい作りだった。

最後にその他演出について。
今作の「パラドックス定数」の公演にはハードボイルドを感じた。男同士の会話劇で且つ戦時中のスパイの話なので、取っ組み合いが起きる。その取っ組み合いに迫力があって好きだった。六鹿が早川を拷問して目に指を突き刺すのとかは恐ろしかったし、立原も密室で最初は若尾に脅され、中盤では他3人に殴りかかられてハードボイルドっぽさが炸裂していた、好きだった。
あとは「イキウメ」的な感じで、今と回想をシームレスに描く演出が素敵だった。今誰を演じているのだろうと観客に考えさせるのも観劇の一つの楽しみ方だと思う。そしてそういった楽しみ方は、事前情報を知らない一番最初の観劇でしかできないからなお良かった。

写真引用元:ステージナタリー パラドックス定数 第49項「諜報員」より。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

今作の出演者陣の演技はハイレベルで物凄く見応えがあったし、駆け出しの役者の方にとってはきっと演技の勉強になるに違いないと思うくらい素晴らしいものだった。「パラドックス定数」の劇団員に加え、スパイもの会話劇にいかにもといった客演の方も出演されていて大満足だった。
特に印象に残った役者について見ていく。

まずは、紺野幹郎とゾルゲ役を演じた小野ゆたかさん。小野さんの演技は、『vitalsigns』を観劇して以来の演技拝見となる。
個人的には紺野の役よりもゾルゲの役の方が好きだった。最初会話中に登場するゾルゲはいかにも悪者といったイメージに聞こえたが、回想でゾルゲと思しき小野さんが演じる男性が出てきた途端、なんて人間味のある人物なのだと魅力的に感じた。
「戦争はダメです」と低いトーンで言う感じとか、様々な経験をして今に至ったのだろうなと感じさせてれくれて、経験値豊富な感じも窺えるし、足を怪我している所からもそれが伝わってくる。ゾルゲにとってきっと日本にはネガティブな印象が映っていたに違いないと思った。きっと戦争に向かっていって破滅に向かう国なのだろうなというのを先読みしている諦観の念を感じた。
また、足を引きずっているか引きずっていないかで彼が紺野なのかゾルゲなのかを見抜けるのも面白かった。今のシーン、どっちの役だろうと思ったらすかさず足の動きを見ていた気がする。
紺野で印象に残ったシーンは、病の床に伏せている宮城の元へ足を運んだシーン。宮城の身を案じながら会話するシーンに温もりを感じた。

次に、立原寅生役を演じた井内勇希さん。井内さんの演技も、『vitalsigns』を観劇して以来の演技拝見となる。
立原の役は非常においしい役だなと思いながら観劇していた。立原は、警察側のスパイとして身柄を拘束された人間になりきりながら容疑者たちを裏で探っていく。しかし、立原は非常に正義感が強くてまっすぐなため、そんな態度をいつも若尾に説教される。早川に対する拷問も見ていられなくなってしまう。
こういう立原みたいな役がいるからこそ、この戦時中の日本社会の無秩序さ、混沌とした感じも強調されると思う。そして結局3人とも最後は釈放してしまうのも彼らしい。拷問してたしかにゾルゲ、尾崎、宮城と接触していた3人だということは分かったが、それ以上の情報はなかったので釈放したが、実はもっと深い関わりがあったということは往々にしてあるかもしれない。
社会主義者たちを監視するために教会に勤めているのに、教会の教えに浸ってしまっている感じを受けて、凄くピュアだからこそこの時代に損してしまう生き方がとても好きだった。

次に、警察の若尾義彦役を演じた神農直隆さん。神農さんも『vitalsigns』を観劇して以来の演技拝見となる。
若尾は立原とは対称的で、欲を大事にしながら生きている警察。こういう混沌とした時代だからこそ、常に人間を疑っていきながら活躍する感じがなんとも魅力的な存在だった。
この時代の警察なんて、若尾のように生きていないとやっていられないよなと思う。立原みたいにピュアな性格だと損をするばかりだと思うから。そんな姿が素晴らしく、風格も似合っていた。

最後に、同じく警察の六鹿晃役を演じた横道毅さん。横道さんは初めて演技を拝見する。
少し丸い体格をしていて、いかにも管理職といったオーラが良かった。きっと、若尾が有能でそんな部下に助けられている上司といったイメージなのだろうか。
あの時代の年功序列が厳しい組織という感じもあって凄く引き込まれる演技だったし上手いなと感じた。

写真引用元:ステージナタリー パラドックス定数 第49項「諜報員」より。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、ゾルゲ事件について言及しながら今作の考察をしていきたいと思う。

ゾルゲ事件とは、Wikipediaによれば以下のように記載されていた。

来日したリヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実や、この事件で有罪となり廃嫡となった西園寺公一らもいた。

Wikipedia ゾルゲ事件 より


リヒャルト・ゾルゲは、先述した通りドイツのジャーナリストとして日本で活動していたが、実はソ連の諜報員だったことが発覚して逮捕された。それは、特別高等警察(以下特高)が「アカ」と呼ばれる共産主義者を取り締まるためにアメリカ共産党党員である宮城与徳らを偵察していたことがきっかけで発覚したのである。
1945年に終戦するまでの日本は、「治安維持法」によって社会主義者を取り締まる法律が定められていた。特高は「治安維持法」に基づいて社会主義者を次々と取り締まり弾圧した。警察に所属する立原も、若尾の命令で教会に警察のスパイとして忍び込んで、「アカ」と呼ばれる社会主義者を発見したら密告するように指示されていたと考えられる。
なぜ特高ではない警察まで社会主義者を取り締まろうとしていたのかは詳しくは捉えきれなかったが、おそらく特高だけでは取り締まれなかった社会主義者を警察側でも拘束することで、特高から気に入られようとしていたのかもしれない。

ソ連は社会主義国家、当時ソ連と日本は「日ソ中立条約」を結んでいたので、二国は中立といった立場であったが、ソ連は酷く日本の動向を恐れていた。それは、日本が「治安維持法」に基づき社会主義者を弾圧していたということ、日本は日中戦争で満州まで領土拡大をしていて日本とは隣国になっていたということがある。
さらに、当時ソ連はドイツと交戦中だった。ソ連としてはドイツとの交戦に注力したいところだが、日独伊三国同盟を結んでいる日本を非常に警戒していた。いつ「日ソ中立条約」を破棄して攻め込まれるか分からないからである。
そのため、日本が今後どのような戦略をとってどこへ進軍していこうとするのかは非常にソ連にとって関心の高いことだった。だからこそ、ゾルゲのようなソ連の諜報員を日本に送り込んで様子を探らせていたのである。

「御前会議」は、日清戦争から太平洋戦争までの間に大日本帝国憲法下で天皇が出席して開かれた最高会議で、そこで今後の戦略などが決定されていた。ゾルゲと密接な関係のあった宮城はこの「御前会議」でどういったことが決定されるかを傍受してゾルゲに伝えようとしていた。
結果的に、宮城が傍受した「御前会議」において、日本はソ連には進行せずに南下してアメリカに攻め込むということを聞いたので、ソ連側としてはホッとしたことだろうと思う。
しかし問題は、そういった情報が海外に漏洩してしまったということであり、だからこそゾルゲ事件は日本にとって大きな事件となったのである。

今作で捕えられていた紺野、早川、芝山の三人は、物語の中では直接ソ連側への情報漏洩に関与してはいなかったとして、最後は立原によって釈放されている。紺野は宮城と接触し、早川はゾルゲと接触し、芝山は尾崎と接触している。しかし、少なくとも今作の描写では早川はそもそもゾルゲだと知らないで安田徳太郎の薬を渡すために接触しているし、芝山も尾崎だと知らずに日比谷公園で接触している。だから、本当にこの三人はゾルゲ事件とは無関係だったのかもしれない。
しかし、それを決定づける証拠は何も存在しない。彼らが警察に捕まってしまったということを知っていたからこそ無関係であることを演じていた可能性がある。
一番怪しいのは、芝山である。芝山は台本には芝山とは書かれているものの、自分の本名を他の連中に明かしてはいない。自分で芝山と名乗っておらず、「東条英機」と嘘をついていた。そもそも警察側も逮捕された三人が、早川、紺野、芝山のいずれかの人物ということしか把握しておらず、いくらでも嘘をつく余地だって考えられると思う。

劇中で描写される、早川とゾルゲの回想シーンは早川の記憶、日比谷公園での芝山と尾崎の接触は芝山の記憶、宮城が病の床に伏せている所を紺野が立ち寄ったシーンも紺野の記憶だと考えられるが、一体ゾルゲと尾崎が二人で会話するシーンは誰目線の描写なのだろうか。
囚われれている三人、もしくは立原がイメージしたゾルゲと尾崎の二人の会話だろうか。だからこそ、この会話自体も実際にこの二人で行われた会話ではなく、彼らが妄想した会話なのかもしれない。ゾルゲも尾崎もこんな感じの人で、紺野、早川たちの証言を断片的に繋ぎ合わせると、きっとこんなやり取りがなされていたのではないかというイマジネーションなのではないかと思った。
きっとこの会話は、立原がイマジネーションしたゾルゲと尾崎の会話なのではないかと思う。ゾルゲと尾崎の会話には、どこか今の日本のやり方に呆れ返ったような話をしていたように思える。これはまさしく立原が常々日本のやり方に感じていた違和感とも一致するから。きっと外国人たちにとって日本はそう見えているに違いないという一つの思いこみのような気がする。というか立原の祈りなのではないかと思っている。
立原は非常に正義感が強くてまっすぐでピュアだから、基本物事を良いように捉えようとしてしまう傾向がありそうである。紺野たち3人も無罪だと思って釈放し、ゾルゲたちもきっと日本を客観的にみて嘆いているに違いないと。しかし、それはあくまでもそんな性格の立原の想像でしかない。実際はどうであるかわからない。
だからこそ、この時代は本当に無秩序で混沌としていたなと思ったし、暗い時代だったのだろうなと改めて思えてくるのである。

写真引用元:ステージナタリー パラドックス定数 第49項「諜報員」より。


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