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舞台 「兵卒タナカ」 観劇レビュー 2024/02/10


写真引用元:オフィスコットーネ 公式X(旧Twitter)


写真引用元:オフィスコットーネ 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「兵卒タナカ」
劇場:吉祥寺シアター
劇団・企画:オフィスコットーネプロデュース
作:ゲオルク・カイザー
翻訳:岩淵達治
演出:五戸真理枝
出演:平埜生成、瀬戸さおり、朝倉伸二、かんのひとみ、渡邊りょう、土屋佑壱、名取幸政、村上佳、比嘉崇貴、須賀田敬右、澁谷凛音、永野百合子、宮島健
公演期間:2/3〜2/14(東京)
上演時間:約2時間50分(途中休憩10分を2回含む)
作品キーワード:海外戯曲、戦争、ミソジニー、兄妹、家族、貧困
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


綿貫凛さんがプロデュースしていた演劇企画「オフィスコットーネ」による演劇公演を観劇。
綿貫さんは2022年10月に他界されているが、彼女がやりたいと切望していたプロデュース企画は、今なお「オフィスコットーネ」に残ったスタッフの方々によって実現されている。
今作も、そんな綿貫さんがやりたいと望んでいた演劇企画のうちの一つである。「オフィスコットーネ」単独による企画公演は初観劇だが、ワタナベエンターテインメントとの共同プロデュースである『物理学者たち』(2021年9月)は観劇したことがある。

今作は、文学座の演出家であり第30回読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞するなど実力のある演出家である五戸真理枝さんの演出によって、劇作家であるゲオルク・カイザーの戯曲を上演した作品となっている。
ゲオルク・カイザーは、19世紀末から20世紀前半に活躍したドイツの劇作家であり、ファシズムを批判する作品を発表した。
今作は、日本に訪れたことがなかったカイザーが、1940年に戦時下の日本を舞台にして書き下ろした戯曲である。

タナカ(平埜生成)は日本軍の軍人であり、3日間の休暇をもらったということもあって実家に帰省する所から物語は始まる。
タナカは、同じ戦友であるワダ(渡邊りょう)を連れて実家に帰省した。
それは、タナカがワダという人物を心から信頼しており、自分の娘であるヨシコを嫁にしたいと考えたからである。
しかし、実家にはヨシコの姿はない。
タナカが父(朝倉伸二)や母(かんのひとみ)にヨシコの居場所について聞くと、彼女は大百姓の元に行ってしまって、そうそう簡単には会えないと言われる。
タナカは、実家の地域が大飢饉に見舞われたと聞いたにも関わらず、豪華な魚や酒、タバコなどが揃っていて大盤振る舞いでもてなされる光景に戸惑いながらも、タナカとワダ、そして家族と休暇を楽しむのだが...という話である。

日本に訪れたことがないドイツ人が描く戦時下の日本だったので、至る所で日本の描写に対する違和感はあるだろうと思いつつ、そこを名演出家の五戸さんがどう演出するのか楽しみながら観劇していた。
SNS上の感想では、ドイツ人が描いた昔の日本の描写に対して嫌悪感や違和感を抱いたという内容も散見されたが、私自身はその違和感をある程度覚悟の上で観劇に臨んでいたからか、あまりそれらが気にならなかった。
むしろ、そんなドイツ人が描いた日本の違和感を一つの作品の世界観と捉えて観劇することが出来た。

舞台装置はステージ上にほとんどなく、大きな菱形の台がステージ上に一つあって、天井に黒い大きな球体が吊り下げられているのみ。
それだけで戦時下の日本というのが伝わるのが凄いと感じたのだが、それだけでなく舞台照明の使い方も相まって、ステージ上で繰り広げられる光景が、凄く戦時下の人々が活力を失って困窮している様が自然と重なって、舞台空間全体から渇きを感じられるあたりが凄く演出として上手いと感じられた。

また役者の演技力も素晴らしかった。
割と年齢を重ねた俳優が複数人出演されている中で、その貫禄や存在感に非常に味があって素晴らしかった。
だからこそ、タナカを演じた平埜さんの若々しく正義感みなぎる演技や、瀬戸さおりさんの繊細な演技、ワダの力強い演技がより濃厚に感じられたのかもしれない。

ストーリーはとてもシンプルで分かりやすく、且つ程よいタイミングで10分間の休憩が二回挟まるので、作品にも入り込みやすく置いていかれることは全くなかった。
洗練された演出と俳優たちの演技を存分に楽しめる良作だと思う。
ドイツ人にとっては戦時下の日本はこう見えていたのかという発見も含めて多くの人におすすめしたい。

写真引用元:オフィスコットーネ 公式X(旧Twitter)




【鑑賞動機】

今回の観劇の決めてで一番大きかったのは、演出が読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞したばかりの五戸真理枝さんだったという点。ドイツ人の戯曲を彼女がどのように演出するのかが楽しみだったので観劇することにした。それに加えて、瀬戸さおりさんや渡邊りょうさんなど他の演劇作品で観劇して好きだった俳優さんも複数出演されていたのも決めての一つ。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

天井に吊り下げられてりる黒い球体が少しだけ降りてきて、その周囲で出演者たちが音楽に合わせてコンテンポラリーダンスをする。
暗転すると、タナカの祖父(名取幸政)がステージ上で寝ている。タナカの母(かんのひとみ)が祖父を起こす。もう時間は昼くらいになるみたいである。今日は、息子のタナカが実家に帰省する日なので早く起きてほしいと言う。母は張り切っているようである。
タナカの父(朝倉伸二)もやってくる。父は一升瓶に入った酒を複数担ぎながら息子の帰りを楽しみにしているようだった。そこへ近所の村人(永野百合子)がやってくる。母は、今日は息子が帰ってくるのだと言って、家に閉まってあった巨大な魚を村人に見せる。頭だけでも食べ応えのある巨大な魚だと。

タナカ(平埜生成)がワダ(渡邊りょう)という戦友を連れて家にやってくる。祖父、父、母は暖かくタナカたちを迎え入れる。タナカは、3日間休暇が貰えて、軍の駐屯地から実家に向かうのに片道で1日かかるので、行って帰って2日間を要するとすると、1日は実家に滞在出来るのだと言う。
タナカは家族にワダを紹介する。ワダは、タナカが軍の中で一番信頼している戦友で、ワダに自分の妹のヨシコを紹介し嫁にしたいために連れてきたのだと言う。しかしタナカはヨシコの姿が見当たらないのでどうしたのかと家族に聞く。家族は、ヨシコは大百姓の元に働きに出ていていないのだと言う。その大百姓は、ここからいくつもの山を越えないといけないので、到底辿り着くことが出来ないと。
タナカが実家に帰ってきたというので、父や母は巨大な魚に酒にと豪華なご馳走を持ってきて宴をしようとする。タナカは、先日まで地元は大飢饉に見舞われていたと聞いたので、こんな豪華なご馳走が出てくるとは思わず驚く。タナカは両親たちにこの大盤振る舞いの理由を聞く。両親たちは知り合いから貰ったとはぐらかす。
タナカとワダは靴を脱いで、天井に吊り下げられていたフックに掛ける。近所の住人たちもタナカの家に沢山やってくる。そしてタナカたちを取り囲む。タナカとワダはタバコが吸いたくなったと言うが、タバコもあるぞとタナカの父がタバコを取り出して渡す。タナカは、贅沢品が実家に揃っていることに不信感を抱く。

ここで1回目の幕間に入る。

舞台は「妓楼」と障子に書かれた風俗店。妓楼の玄関番(朝倉伸二)は昼寝をしていたが、日中であるにも関わらず妓楼の門を叩く音がすると女将(かんのひとみ)に言われて起こされる。芸妓たちも疲れているだろうからと昼間は休ませたいと思うが、客人が来ているのならばと玄関の方に向かう。
すると、玄関には6人の軍人たちの姿があって彼らを「妓楼」の中に通す。その6人の軍人の中にはタナカとワダの姿もあった。軍人たち6人は、午前中に行われた練兵場での射撃大会で最高点を取った褒美として午後の外出許可が下されたので、妓楼にやってきたのだと言う。

女将と玄関番は早速芸妓たちを軍人たちの前で連れてこようとする。しかし、軍人たちはコイントスをして勝った人から芸妓と二人きりになれるという遊びをすることになる。
一人ずつ芸妓(永野百合子)たちが登場し舞を見せては、軍人たちはコイントスをし勝った人から芸妓と一緒に2階へと消えていく。そのうちに、タナカとワダが残ることになる。芸妓がやってきて舞を披露し、二人でコイントスをする。結果ワダが勝ったので先にワダが芸妓と共にその場を去る。
残ったタナカは最後の芸妓の登場を待ち対面する。しかし、その最後の芸妓が自分の妹のヨシコ(瀬戸さおり)であることに気が付く。ヨシコは両親から大百姓の元へ出稼ぎに出たと伝えられていたが違ったのかと驚かされる。ヨシコは事実をタナカに伝える。タナカが軍人として家を留守にしている間、大飢饉が訪れて貧困極まりなかった。そこへ、妓楼の主人が実家にやってきてヨシコを見て、お金を渡すから芸妓にしたいとの申し出が入る。父は金に困っていたので妹のヨシコを売り金銭を手にする。そのため、ヨシコはそれ以来この妓楼の芸妓として使われていたのである。幸いなことに、ヨシコは妓楼の主人に気に入られたので大事にされていると言う。
その事実を知ったタナカは正気を失う。自分がこの前実家で大盤振る舞いをされたのは、ヨシコを妓楼に売った金だったからだと知ったからである。

その時、妓楼に下士官ウメズ(土屋佑壱)がやってくる。ウメズは芸妓を求めているがいないかと玄関番に問うが、先ほどずっと一人の軍人と当店の一番の評判の芸妓が2階へ行かずにいたと話し、その芸妓を連れてこようとする。きっとその芸妓はタナカの好みではなかったのだと推測して。
タナカはヨシコがウメズの手に晒されていまうと思い、ヨシコに会わせないように障子を固く閉めて開かないようにする。ウメズが頑張って開けようとしても開かない障子。無理やり開けようとすると、その時タナカはヨシコを刺し殺してしまう。その姿にウメズと玄関番は驚く。タナカはその勢いでウメズまで刺し殺してしまう。
玄関番は怯えながら金を鳴らし助けを求めた。

ここで2回目の幕間に入る。

舞台は法廷に移る。タナカは芸妓とうウメズを殺した罪で裁判にかけられていた。裁判長(土屋佑壱)に事件のことについて尋問されるが、タナカは一言も喋らずにいた。裁判長は激怒する。どうして一言も喋らないのだと。弁護官(朝倉伸二)は必死にタナカを弁護する。そしてようやくタナカは口を開いて容疑を認め始める。
そこから裁判長は、なぜ芸妓とウメズを殺したのかについて問う。それまでタナカは射撃大会で最高点を出すほどの正気を保っていたのに一体どうしてそのようなことをしたのかと。理由によっては罪が軽くなるかもしれないから本当のことを話せと言われる。書記(村上佳)がいきなりギターを奏で始め、その音程に沿ってリズムよく裁判長はタナカを問い詰める。
そして、裁判長はタナカが殺した芸妓と以前から知り合いであっただろうということをタナカの反応から特定する。そして、タナカはいよいよ殺した芸妓が自分の妹であったことを告白する。
裁判長は驚く。タナカの妹は大百姓に出稼ぎに行っていたと思っていたから。ではなぜ妹を殺したのかと問い詰める。

場面は変わり、ステージ上には軍人が整列している。そこへタナカが現れて白馬に乗った天皇陛下の前に現れる。そして、タナカは軍人として天皇陛下の忠誠に誓うこと、そして妹など生活に困る女性たちを解放するためにも国のために尽くすことを誓う。ここで上演は終了する。

一、二、三幕それぞれで全くシーンが異なるので、そこに途中休憩を挟む今回のような上演構造はとても適切な判断だと感じた。
戦時下の日本の話ということで、戦争の残酷さを物語るような反戦ものをイメージしていたが、そうではなく当時の日本は女性に対する差別が根強かったというミソジニーが色濃く反映された作品ということでずっと不快な気持ちだった。
私は映画『SAYURI』を思い浮かべた。この映画は、アメリカの小説家が世界恐慌時の日本を舞台に京都の芸者さんの成長物語を描くのだが、欧米の脚本家が描く日本(ジャポン)という感じが似ており、女性差別みたいな描写も似ていたので、外国人からしてみれば昔の日本というのはそういうイメージだったのだなと色々考えさせられた。
また、タナカという人物の描き方には色々思うことがあった。ドイツ人脚本家が描く作品なので、やはりどこか感情移入出来ない側面があって、だからこそ良い意味で不思議な観劇体験だった。

写真引用元:オフィスコットーネ 公式X(旧Twitter)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

流石は読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞しているだけあって、演出の仕方が上手く今まで観たことないような演出だったのだが、凄くシンプルで色々刺激された。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは、舞台装置から。
舞台装置といってもこれといった仕込みがある訳ではなく、ステージ中央に菱形の広々とした台が敷かれている程度で他にステージ上には何もない。凄くシンプルで洗練された舞台空間だった。
だからこそ、天井に吊り下げられている巨大な黒い球体の存在感が強かった。最初のコンテンポラリーダンスが始まった時、この黒い球体が少しだけ下に降りてきたのだが、戦争モノという作品ジャンルで観ていると、この黒い球体は原爆だろうか、それとも太陽だろうかと考えながら見ていた。特にその後のシーンで、この物体に対して明示的に使われるシーンがなかったので、結局何を表現していたかは分からなかったが、それだけで凄く舞台空間が過酷な世界であることを物語っているような気がした。
第二幕で、妓楼と書かれた障子がステージ上を行き来する演出が面白かった。タナカとヨシコの二人で障子に隠れながら追ってくるウメズから逃げる演出が良かった。また、障子の背後でシルエットでタナカがヨシコを刺し殺してしまう演出もインパクトがあった。
第三幕は、下手側に書記の席が置かれて裁判だというのが一目で分かる舞台セットだった。こんな展開になるなんて想像もしてなかったから楽しめた。

次に衣装について。
クリーム色の、いかにも戦時中といったようなボロボロの同じような衣服を全員が身につけいているので、そのビジュアルがまず残酷に感じた。様々なもの・ことが制限されている戦時中っぽさを表現していて、個人的には好きだった。
また、芸妓の衣装はどこか日本ぽいようで日本ぽくない感じが印象的だった。どちらかというと中国の印象に近いなと感じる。日本ではない、むしろ外国人がイメージしたジャポンという感じがあって、良い意味で違和感のある演出だった。この衣装で割と映画『SAYURI』を思い浮かべたりした。
第三幕の裁判のシーンでの裁判官の衣装も、どこか日本ぽくなくて好きだった。あの弁護士用帽子がどこか滑稽に見えた。

次に舞台照明について。
全体的に灯体の数が少ない印象で、ステージ上を黄色く照らす照明がいくつかある程度で、それ以外に照明がない点が凄く戦時中っぽさを表しているようで良かった。その黄色く照らす照明もどこか煌々と輝く太陽のようで、たしか大飢饉が日照りによって起きたという描写があった気がしているので、人々の生活を苦しめる象徴のようにも思えた。
また、第三幕の裁判のシーンではまた違った照明になっていた印象で、法廷というのもあり暗く重々しい感じの照明だった気がしていた。
また、物語序盤のコンテンポラリーのシーンの照明が凄く格好良かった。

次に舞台音響について。
音響は、たしか物語序盤のコンテンポラリーのシーンと、芸妓の舞のシーン、客入れ、客だしだけだったような印象である。
特に序盤のコンテンポラリーの演出は一気に世界観に引き込まれたのでとても好きだった。

最後にその他演出について。
まずオープニングのコンテンポラリーダンスが素晴らしかったのだが、途中で役者が右手を垂直にあげて、左手を水平に広げるポーズを一斉にしていたのだが、この時長崎の平和祈念像を思い浮かべたのは私だけだろうか。頭上の黒い球体も相まって原爆のシーンか何かかと思った。でも実際にはその後戯曲としても原爆は出てこないので違ったのかもしれないが。
第一幕のタナカとワダが自分の靴を天井から降りてきたフックのようなものに掛ける演出があったが、あれは一体どういう意味があったのか考えたが解釈は分からなかった。ただビジュアルとしてとても印象的だった。タナカとワダが空中に踊らされている様、つまり家族に騙されている、もしくは天皇陛下に従ってこき使われているというのを暗示したかったのかなと思うが分からなかった。
第二幕の、芸妓さんがヨシコ以外は全員永野百合子さんが演じているところにも今作のメッセージが隠されているなと感じた。異なる芸妓さんを同じ人が演じることで、当時の日本では女性を記号としかみていなかったのかと考えると残酷だなと感じた。芸妓として同じ格好をさせられて、まるでドールのように扱われていたと考えるとミソジニー甚だしいし、それは今の日本社会にも通じることなのかなとも思えてギョッとした。
第三幕の裁判の尋問中に、ギターによる生演奏が入る演出が驚かされた。きっとこの演出に違和感を感じた人も多いはずだが、私は一周回ってアリかなと感じた。裁判中にギターの生演奏が入ったり裁判長のふざけた尋問姿を挿入することで、この裁判が茶番であるということを伝えているようにも感じた。そしてギターというのがアメリカンなので、ジャポン要素も加味されて総じて滑稽である様を描きたかったのかなと思った。

写真引用元:オフィスコットーネ 公式X(旧Twitter)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

文学座や青年座に所属する役者など、実力俳優揃いで演技力は皆素晴らしかった。
特に印象に残ったキャストについて見ていく。

まずは、タナカ役を演じた平埜生成さん。平埜さんの演技は初めて拝見する。
非常に誠実で正義感の強いキャラクターに感じる。だからこそ、人間臭さがあまり感じられず感情移入出来なかった。天皇陛下にずっと忠誠を尽くしていて、両親や近所の住人にも天皇陛下の素晴らしさを伝えるような人物。しかし、お金のために大事な妹が売り飛ばされてしまうといった絶望を経験することで、そのまっすぐな姿勢は揺らいでしまう。
なぜ、タナカはしばらく無言を貫いたあとで自分の罪と妹のことについて語ったのか、その感情の変化があまり汲み取れず、妹がそんな目に合っているという事実を突きつけられること自体の絶望は分かるのだが、それからの心情変化がちょっと掴み取れない所があった。
あとは、唐突に妹を殺してしまうという衝動的な行動なども理解が及ばなかった。妹と一緒に妓楼から逃げるだったら分かるが。
ただ、その正義感みなぎるまっすぐで誠実な軍人という人物像を演じた平埜さんの演技は素晴らしく、他の演劇作品でもまた芝居を観てみたいと思った。

次に、ワダ役を演じた渡邊りょうさん。渡邊さんの演技は、EPOCHMANの『我ら宇宙の塵』で演技を拝見している。
やはりタナカと同じく優秀な軍人で忠誠心の高い男性という印象を受ける。やはりドイツ人から見ても、日本人男性というのは真面目で忠実という印象を抱いていたからこそ、タナカやワダのような人物を描いたのかもしれない。
非常にタナカとワダの個性や出立が似ているが、きっと当時の日本の軍人というのはこのくらい、個性というものがかき消されてステレオタイプにされていたのかもしれないなと思った。そこにも、戦時下の日本の残酷性があるなと感じる。

なんといっても素晴らしかったのが、ヨシコ役を演じた瀬戸さおりさん。瀬戸さんの演技は、『物理学者たち』(2021年9月)、二兎社『鷗外の怪談』(2021年11月)、こまつ座『きらめく星座』(2023年4月)、口字ック『剥愛』(2023年11月)で演技を拝見している。
なんといっても、妓楼の芸妓であるところで兄のタナカに再会するシーンには心動かされた。もちろん、その経緯をタナカに語るシーンも良かったのだが、その後にウメズがやってきてタナカと一緒に逃げ回るシーンが印象的だった。兄妹愛を感じるシーンだったし、今作の一番の見せ所だと思った。
正直、前回観劇した『剥愛』では瀬戸さんの演技の良さがそこまで活かされなかった配役だと感じたので、かなり重要な役をこのようなシーンで見ることが出来て良かった。

個人的に好きだったのが、下士官ウメズと裁判長役を演じた土屋佑壱さん。土屋さんはカムカムミニキーナの『猿女のリレー』(2020年7月)やシス・カンパニー『ザ・ウェルキン』(2022年7月)で演技を拝見している。
個人的に演技が印象的だったのは裁判長の役。物凄く捲し立てるように喋り続け、リズムよくタナカを質問攻めにする裁判長という設定が目新しかった。途中ギターの生演奏まで入って、いって終えばそこだけ浮いてしまう演出だったのだが、これはこれでありなのかなと思った。
正直タナカを追及する裁判なんて茶番であり、それを敢えて面白おかしくしてしまうことで振り切っている演出に感じたのが、個人的には良かった。これが劇団チョコレートケーキのような日本人が脚本を手がけ、日本人が演出する真面目な戦争劇だったら違っていたかもしれない。しかし、ドイツ人が戯曲を手がけているということもあって、前提にちょっとしたジャポニズム的違和感のある脚本である。そうであるなら、振り切って演出してしまうというのも名案だったと感じた。
あとは、裁判長が尋問しながら腰を振ったり体をくねらせて喋っている感じが、一定数の客席にウケていた。ここはあまり笑ってしまってはいけないシーンだなと思って私は身構えてしまったが、滑稽ではあった。それが、ちょっと洋画を観ている感覚にも近かった。土屋さんの演技は欧米の俳優風だった。

最後に、村人、芸妓役を演じた妖精大図鑑の永野百合子さんも良かった。
永野さんの芸妓さんが凄く似合っていた。実際にいそうな京都の芸妓さんとかではなく、西洋人がイメージした少し違和感のある芸妓さんという印象がとても良かった(褒めてます)。
芸妓としての舞も良かった。また舞に関しても同じ曲で同じ内容を何度も観させられる感じが凄くミソジニーで嫌悪感を抱いた。そして、コイントスをして勝った軍人から芸妓と一緒に消えていくのも、みんなおんなじ格好をして、みんな同じものを見させられて個性というものが全くなくなってしまった世界線に感じてしまって、戦時下の日本の残酷さをまざまざと感じさせられた。

写真引用元:オフィスコットーネ 公式X(旧Twitter)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは戯曲と、今の時代に日本で上演された意義について考察する。

今作は、亡きオフィスコットーネプロデューサーの綿貫凛さんが、病の床に伏しながらどうしても上演したいという夢を抱いていたと公演パンフレットには記載されていた。一体、この作品にはそこまで綿貫さんを突き動かした魅力がどこにあるのだろうかと考えてみる。
私は詳しくは知らないけれど、きっと1940年代という昔に日本を舞台にした海外戯曲というのは、きっと珍しいものだったのだと思う。日本に訪れたことがないカイザーが、どうして日本のの農村を舞台に戯曲を発表しようと思ったのか、この作品を観劇してみるとそれは見えてくる。
当時日本もドイツも第二次世界大戦に突入したばかりで、ドイツではアドルフ・ヒトラーによる独裁政権が敷かれ、日本でも大日本帝国の指揮の元天皇陛下を中心としたドイツの独裁政権に近いような政権が樹立されていた。だからこそ、そういったファシズムを批判する作品をカイザーは上演したかったに違いない。

私の個人的な感想だが、今回の上演を拝見していると、日本の戦時下における協力な支配体制が敷かれることによる民衆の搾取や苦悩を描くというよりは、ミソジニーに近い女性差別の色が強い作品に感じた。だからこそ、この作品は今でも上演するべき普遍性があるために綿貫さんは上演を切望したのではないかと思う。
戦時中の民衆の生きづらさというのは様々なものがあると思う。貧困もそうだと思うし、井上ひさしさんが手がけた戯曲のこまつ座の『きらめく星座』で描かれていた敵性音楽を聞くことが禁じられたり。しかし今作は、そんな戦時下だからこそ女性の人権が守られていないという現実を突きつける所に主眼が置かれていると感じた。そして、そういった性別による差別というのは実は今でも日本には内在することを暗示している点も興味深く且つ残酷である。

例えば、妓楼で芸妓が登場して軍人が一人ずつ2人で奥へと消えていく描写があるが、私はこの光景が形を変えて今の世の中にも残っているよなと感じてしまう。いって終えば、アイドルだってみんなおんなじ格好をして人々を楽しませるという構造自体が、この妓楼の名残なのではないかとさえ思ってしまった。
日本はとっくに戦争を終えた国ではあるものの、こういったミソジニーは以前として形を変えて残っていることを指し示していて、それを感じた時に自分は色々と衝撃を受けるものがあると感じた。
これこそ、綿貫さんが上演しようと決意していた真の理由なのではないかと感じた。

公演パンフレットによれば、今作は戦争によって命を失っていった人々の鎮魂でもあるようである。それは特に、物語序盤の役者たちによるコンテンポラリーダンスで深く感じた。戦争というのは、決して空襲などの敵国からの攻撃によって命を失った人々だけでなく、ヨシコのような戦時中という時代に翻弄されて命を失った人々もいるということを思い起こされ、そういった人々への鎮魂でもあるのかなと思った。そう考えると、いつも8月15日に終戦記念日で黙祷を捧げるが、そこにはヨシコのような命の失われ方をした人々の姿もこれからは思い浮かばれることだろう。

そしてこの鎮魂には、綿貫さん自身も投影されているのかもしれない。この作品を上演したいという強い思い、ミソジニーが終戦から80年が立とうとする令和の時代でも尚無くなっている訳ではないのだから、今現在の批判を込めてこの作品の上演を強く切望していたという思いも取り込まれていると思う。
そんな綿貫さんの願いも踏まえて、私はこの作品の鎮魂にミソジニーがこの世界から無くなって欲しいという願いも込めたいと思った。

写真引用元:オフィスコットーネ 公式X(旧Twitter)


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↓土屋佑壱さん過去出演作品


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