CHANELの残り香と、あなた

私が大学生の時、年上の、スマートな男性とお付き合いをしていた。

私には持っていないものを全て持っている彼は私の憧れの人でもあった。私は彼に何ひとつとして勝てなかった。

彼は私の知らない洋楽を、高級レストランを、お酒を、芸術を、ファッションブランドを、大人の考え方を、私に教えてくれた。

オトナを知らない私は、彼に少しでも近づこうと、そして愛想をつかされないように毎日努力した。背伸びしていたが、そんな自分が嫌いじゃなかった。

「香水とか、つけないの?」

ある日彼が聞いてきた。

彼はいつもシャネルの有名(らしい)香りを身に纏っていた。
その、大人の香りが私は大好きで、それを嗅ぐとほっとした。

「香水とか、ちょっと分からなくて…」

そう答えると、彼は私の手を取って、デパートのシャネルの売り場に向かった。

地味な毎日を送っていた私にとって、デパートの高級化粧品売り場で、しかもシャネルで、商品を手に取るなんて初めての事だった。

大人の彼と、美しい店員さんと3人で選んだ1万円する香水を、彼に少しでも近付きたい一心で購入した。

『シャネル』が『CHANEL』になった瞬間だった。

「じゃあ次は、そのオードトワレに見合った女性にならないとね」
なんて彼に意地悪なことを言われたが、私の小さな心はCHANELを抱えて踊っていた。

その後、彼とは長く続かなかった。

一緒に選んだ香水をつけてデートをしたかも定かではない。

そして、家族に「匂いが強すぎて玄関に残る」と強く言われ、使わなくなってしまったのだ。

***

つい先日、某フリマサイトでそれを出品した。
他に気に入った香水を手に入れすっかり使わなくなってしまい、飾っているだけなら、と出品した。
幸い買い手が決まり、何百キロも離れた地に届けられた。

梱包する際、最後にワンプッシュ、自分に吹きかけた。

大学に入ったばかりのあの頃、化粧っ気のない私が化粧品に1万円も使うなんて今考えたら驚きだ。これは、小さな体で悩んで買った、沢山の感情が詰まったものだった。

***

あの日初めての「CHANEL」を手に入れてから、私はCHANELのルージュココを何本も買い、Diorも買い、MICHEAL KORSもPaul SmithもPRADAも買うようになった。

古い洋楽だって聞くし、フレンチコースのマナーだって身に付け、特別な日には高級なレストランにだって行く。

もちろんもう、彼に近付きたいからじゃない。自分で興味を持ち、自然に学んだことだ。
気付いたら私も、オトナになっていた。

ただ、人混みの中で、CHANELの男性用オードトワレの香りを感じると、無意識に振り返ってしまう。

この癖だけはしばらく直りそうにないかな。

最後まで読んで下さりありがとうございます。いい日になりますように。