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これからの「ファッション」の話をしよう live in Slane Castle2019

忘れないうちに今の気持ちを書くぞ。今日、スンドゥブを食べながら、らしくないメンバーでファッションの話を120秒くらいすることがあって、帰り道にファッションについて考えたりした。たぶん、今後もうそのような機会もないだろうから思い出したを書いておこうと思った。

最初に断っておくけど、ここに書いてることは、私自身が肌感覚で感じていることだけで、何年の出来事とか、時系列とか、事実関係については一切確認してないし、それについては別にどうでもいいと思っている。

「ファッションとアパレルは違いますよ」って尊敬する某先生(先生ではないんだけど先に生きてる知識量半端ない方という意味でやっぱり先生)は仰るけど、ここでいう「ファッション」はモードを含めたfashion industry全体のことだと思います。

新しいコレクションに新しさもワクワク感も得られなくなった。今シーズン2019FWのメンズは美しいマイフレンドが出ているショウ(自己申告制)以外何もチェックしなかった。ValentinoとDiorとLouis Vuittonは多分買ってる客層も同じだし、だいたい同じに見えた。え、そんなことないじゃん全然違うじゃん、めちゃくちゃ違うということは厭というほどわかっているのですが、それらが同じに見えるようになって、そして興味を失った。ついに。そこから何かをピックアップしてどれが好きかとか、お送りすることに体力を使いたくないくらい、どうでもよくなっている。
映画「プラダを着た悪魔」で「全然違うベルト」を「同じに見える」とクスクスしちゃったAnn HathawayことAndyに向かってMeryl StreepことMirandaが顔を歪めながらAndyが着ているセルリアンブルー色のセーターがなぜセルリアンブルーなのかを説明するシーンを思い出す。

ちゃんと見てないくせに色々というのはあれだけど、一応サムネイルは流し見していてってだけの感想だけど、結局歴史が繰り返される中でマイナーチェンジとかして、たまにVetementsとか出てきて驚かしたりして(けどそれも結局Martin Margielaの以下ry)緩急つけながらぐるぐるしているよねファッショントレンドは。それは、前からアーカイヴとか見てて薄々感じていたのですがファッションに興味を持って約20年、コレクションをウォッチしだして十数年、ついに「ほんとだ!いよいよ実際に自分が買い集めたものだけでほぼほぼ補える」という状態になっていることに気づいて数年、normcoreとか(懐かしいだろう)関係なく。まあまあイケてるバランスイケてる組み合わせ的な感じで世の中で見せられているもの、だいたい手持ちのアイテムで完成してしまう。なんてつまらないんだ(それはモードの話だけど)新しいもので、好みの問題で取り入れるのが困難だったりするし。(結局好みの問題かいw)
そもそもアシンメトリーが好みではない。憧れはあるけども。前もどこかに書いたんだけど、それはただの自分の好みなので、それでトレンドを切り捨てるのもおこがましいのだけど、変形の服とか、あんまり持ってない。派手だと思われるのは、形はめちゃくちゃ普通の、「すごい色」とか「すごい柄」だから。そして異素材mixとかアシンメトリーが好きではないのは、子ども心に昔から「そういうものはトレンドが終わったら恥ずかしくなる」と植えつけられたお陰だと思う。だからこそシルエットが非常に美しくてでも攻撃的で毒のあるAlexander McQueenによるAlexander McQueenをこよなく愛することができたんだと思う。

ここ数年90年代のリバイバルがファッションも音楽もきてるんでしょ、噂では。80年代リバイバルが終わって90年代で90年代って何だろう、という話になって、始まりはgrunge rockとKurt Cobainの死とwaif model(Kate Moss)の登場、Purple MagazineMark Borthwickとそして愛してやまないCorinne Dayみたいな、エモーショナルで作り込まれてない風の、ストリート感みたいなファッションと音楽とあとファッションフォトグラファー時代。そしてAntwerpen Sixの台頭。90年代は(子どもだったけど)振り返ると、その時代におとなだったら面白そうだった。でもリバイバルは子どもながらに既視感があって、新しいと思えないし響かない。00年代は成熟の時期(中堅からベテランに移行Antwerpenとか、と言いつつ3年に1回くらいは60年代フラワーチルドレンBOHO lookとか言ってた気がしなくもない)それで10年代はなんだろう。90年代から一世を風靡したいろんな人がこ世を去ったり引退したりした。

多分90年代くらい、アパレル界隈はブワーって一気に大量生産ブワーッ!安くたくさん作ろう!ってなって、ファストファッションなるものが大量発生して(だけど大学時代すでにH&MPRIMARKがあったことを考えると、それが「アジアに」なかっただけで、ヨーロッパではすでに存在していて、それについても大学時代に何百回、何千回も考えたりした。日本が独自のファッション文化を遂げている(と思われている)のって、ファストファッションの介入が遅れたからじゃないかと、今でも思ってる。ファストファッションがないと、人は「ちゃんと」洋服を買ったりしていた。セレクトショップが流行ってたし、カリスマバイヤーとかがいたりして、本当に訳のわからない小さいブランドとかの服を、人はちゃんと買ったりしてた。けどファストファッションの台頭で(以下ry)
そしてちょっと、最近、環境問題意識しだして、中国の工場も環境のこと気にしだして工場の稼働時間が制限されたりしちゃって、あれ、同じペースで大量に作れないぞ、えっそんなに大量に作っておいてそんなに廃棄してるの!?えっバー●リーも!?みたいになって、ちょっとファッション・アパレル界隈で本格的に、サスティナビリティ!とか言いだしている。
EVERLANEのこと何も悪いと思わないけど、やっぱりめちゃくちゃ購買促進のメルマガとか送ってくるから、結局買って欲しいんだなー生産背景がクリーンですよってだけで。という意地悪な気持ちになったりする。
サスティナビリティを謳うなら年4回ずつのプレタのファッションショーは辞めたほうがいいし(少なくとも年2回には減らせるよね。プレフォールとかクルーズとかいつから必須みたいな感じでみんな発表しだしたのw)シーズンの一番の目玉の魅せアイテムだけを発表すればいいし、多少マイナーチェンジしたものをさも、ニューモデルらから買いなさいよみたいな感じで宣伝しないほうが良いし、服がこれまでみたいに売れなかろうが、昨対割ろうが、コスト叩いて大量生産するのはもうやめようぜ。みんな適正価格で正しく作って、そして、必要な分だけ買おうぜっていう打ち出しに決めれば良いよね。本当に問題だと思っているならば。だけど一方で、中国でミシン踏んで頑張って作っている工員さんたちはどうなるのかなあと地味に心配していることもある。売るのをやめよう、作るのをやめよう、っていう時、いつも、それを作ってる人たちのことは考える。環境破壊だからビニール袋やめよう、ペットボトルやめよう、って思った時に、でもビニール袋を作ってる人、ペットボトル作ってる人は、今後どういう仕事をしていくのだろう。とか余計なお世話考えちゃう。その人たちは、明日から環境に良い何かを作る仕事にちゃんと就くことができるのかなとか。

だけど消費者には「どうやって、こんなにも情報も物質も過多な世の中で、必要なものだけを選んで買うか」ってことをもっと教育したほうが良い。
とりあえず買ってると、とりあえず売れてるからこのままでいんじゃね?って感じで手遅れになるし(何がかわからないけど)売れないから、やばい、いよいよ売り方や作り方を考えなくては!って気持ちになるかもしれない。偉い人とかが。

最初に思ってたことと着地点が違う気がする。けどまあ良いや。とにかく、最近思うのはものが多すぎるし、そんなに要らないし、ましてや安かろう悪かろうみたいな誰も得しないようなものを、だけどやっぱり売れるからって作り続けるのはもう苦しいな。よくわからないものは作りたくない。作りたいものだけを良い感じに作りたい。後継者がいなくて絶滅寸前のBurano島のvenetian laceを救いたい。ベルギーのbobbin laceだって救いたい(レースばっかかよw)伝統的な藍染も、その他いろいろな死に絶えてそうな美しい伝統技術をcombineして素晴らしい洋服とか作って、人が買って大事に着たいと思うようなデザインと適正価格で売りたいと本当に思う。
最近、そういうのをちゃんと自分でコツコツやってる若者を見かけて、見習おうと思いました。

けどそれには準備と計画が必要なので、一度、この世界からは離れても良いのではということを考えなくもない。。

え、本屋の話ししてなかったっけって記憶力のいい人は思うと思うけど、収入はもとより、人生が1回では足りないのではっていうくらい、やりたいことは結構ある。

1回目の見出し画像はもちろん我が家の犬(レヲンさん)と猫(ネロちゃん)

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