見出し画像

【4000字無料】メタバースは人間を超えた世界を創れるのか!?——時間・空間・身体

*Kindle Unlimitedでもお読みいただけます!

それはある日の午後のことだった……。

しぶたにゆうほ(以下「しぶ」) メタバースって、「人間の生きているこの3次元空間をそのまま模倣する」みたいなモチベーションで作られてるけど、せっかくなんでもできるんだからもっと意味不明な空間とかを作った方がよっぽど面白いと思うのだよなあ。

八角 いや、そんなの現実にやるのは難しいでしょう。そういう主張を聞くと、ゲームとかやったことないのかな? と思う。

しぶ ……?(雲行きが怪しくなって来たぞ?)

八角 
 株式会社「遊学」の代表。
 京都大学大学院 修士課程修了(文学)。
 哲学をやっている。ゲームが好き。

しぶたにゆうほ 
 株式会社「遊学」の一員。
 京都大学大学院 修士課程修了(文学)。
 専門を尋ねられると、大学では「数学基礎論」、大学院では「宗教言語論」と答えていた。
 ゲームはあまりしない。ゲームの話を聞くのは好き。

八角 例えば、宇宙船で星を旅する『No Man's Sky』っていうゲームが、自動生成で、すごい数の星があるから「同じ星はない」ことを売りにしていてね、買う人たちも「全然ちがう星があるんだろう」と思ってたんだけど、実際プレイしてみると結局どれも同じような星でがっかりした……ということがあったんだよね。だから、全く違う空間を作るというのは難しいんじゃないかと思う。

しぶ そういうものかしら。

八角 ちなみに『No Man's Sky』は、最近出たばかりの『Starfield』とよく比較されるんだよね。『Starfield』は「何もない惑星」を作った。『No Man's Sky』には「何もない惑星」は無かったから、この点が新しい。「何もない惑星」は手抜きではないって公式は言ってて、まあ実際そうなんだと思う。『Starfield』のほうが1歩進んでるというか、意識が違う。とはいえそれでも、全く意味不明な星というのは作れないんじゃないかな。

しぶ でも……ゲームの例で言うなら、あらゆるゲームが実写映画のような絵を目指すわけではないよね。そういうゲームもたくさんあるけど、同時にデフォルメしたゲームもたくさんある。だから、この世界を完全に模倣する、という方向性は、必然的なものではないように思うんだけど。つまり、視野がそこに固定されているから自然に感じられるだけであって、本質的には他のことだって同じようにできるんじゃない?

八角 でも作ってるのは人間だしね。

しぶ でもゲームであれば、すでにいっぱい変な世界が作られている。不思議な物理法則で動いたりとか……。

八角 いや、基本的なゲームシステムは決まってるから数えるほどしかないよ。物理法則を無視しているっていうのは、例えば魔法使ったり、空を飛んだりってことだろうけど、別にそうしたからと言って、なんの脈絡もなく基本の法則が変わったりすることはない。

しぶ 物理法則はそうかもしれないけど、世界が3次元じゃなくて2次元になるとか、変な動き方をするとか。特殊な部分を抽象するデフォルメの仕方。

八角 それはデザインの問題だよね。ゲーム用語でデザインのことをどう呼ぶのかわからないけど、何をゲームの売りにしているかとかの問題になるんじゃないかなあ。

しぶ えっ、ゲームの内部の問題とは見なされてないの?

八角 うん。さらに言えば、例えば『Grand Theft Auto』とか『スパイダーマン』とかだと、世界を現実そっくりにして、その中で自分だけが異質である、という仕方でヒットしてる。つまり、普通の世界は普通のままで、あくまでも「自分だけが」違うというふうにしないといけない。

しぶ そういう作品はそこを売りにしてるから、どんどんリアルを追求するのはわかる。だけど、別にゲームっていうのは全部がその路線なわけではないのでは。そうじゃない路線の作品もいっぱいあるんじゃないの?

八角 「そうじゃない路線」が何を指してるかわからない。ゲームとして成立しなくない? もっと別の仕方で…という主張は、ゲームをずっとやっている身としては、「ゲームとかやったことないのかな?」っていう風に思う。


ゲーム(を参考にするメタバース)はどこまで世界の前提を変更できるか?

八角 メタバースは、ひと昔前のSFに倣ってテクノロジーが進化している。今だったらドローンもそうだし、人がジェットパック背負って空中歩行したり、空飛ぶ車を作ったり。全部、SFの世界観を実現しようとしてるよね。だから、もともとファンタジーなりなんなりで存在しているものしか作ることができないと思う。つまり、メタバースも、ゲーム世界の模倣なので、ゲーム世界であり得る発想でしかメタバースはできないと思う。

しぶ メタバースの発想が既存のゲームの想像力を超えられないというのはそうだと思うんだけど、ゲームが描いてきた世界観のバリエーションって、いわゆる今のメタバース的な世界観よりもっと多様なんじゃないのって思ったんだけど。

八角 いや、そんなことないと思うよ。「多様」ということで何を指しているのか分からない。ゲームの思想って1つしかないんだよ。思想が1つしかない状態でめちゃくちゃなものは作れないでしょう。基本に反するルールに基づくような世界は作れないと思う。

しぶ 例えば、コントローラーを動かして、画面の中のキャラクターが動くときに、何らかの体験をするとする。3次元で実写寄りのゲーム体験って、現実世界で動いてる体験に類似していると思うけど、でも画面上で全く違う動きをするゲームもたくさんあるよね? 平面しか動けないと、動くルートが限られているとか、何でもいいんだけど、そのときの体験って普通に3次元空間を移動するときの体験とは違うものだよね。

八角 順番にいうと、第1に、1人称だったとしても、3次元の体験とは同じではないよ。第2に、自分がキャラクターを動かすゲームがまず限られている。第3に、それじゃあ自分で動かすゲームだけに限定したとして、自分の通常の認識と異なる動きをキャラクターがするというのはどういうことか。せいぜい、宙に浮いたり、空飛んだりくらいしかできないよね。

しぶ もっと根本的に、もとの条件が違うみたいな……平面移動しかできないとか、ある特定のルートしか動けないとか、斜めにしか動けないとか。

八角 斜めにしか動けないっていうのは、例えばトルネコとかのような、昔のローグライクものだったら、あれはマス移動だから、どちらかというと将棋とかボードゲームの発想だよね。

しぶ ボードゲームだと、そもそも身体的な擬似体験になりにくいか。

八角 だから空を飛ぶくらいしかない。でも、例えば最近、『Bee Simulator』っていう、ハチになるゲームがあったけど、あれは酔うでしょう。

しぶ 酔います(経験談)。つまり、人間とは全然違う動きを本気で実装したら、気持ち悪くてプレイできない。それが技術的問題じゃなくて、本質的にそうだってこと?

八角 身体に合わないでしょう。結局キャラクターを動かしているのであって、自分が動いているってことじゃないからね。例えば全く度の合わない眼鏡を掛けた時に気持ち悪くなるでしょう。ぐるぐる回ったって悪くなるし、上下逆さまの世界で生きられますかって言われたら、そんなの耐えられないでしょう。つまり、体はそういう風にはなっていないので。
 ハチのゲームで酔うのも、自分の感じてるスピード感とか、自分が見ている世界と違う動きをするから。少し速いにしても、少し遅いにしても、「考えているのと違う状態が見えている」ってことが一番気持ちが悪い。任天堂の桜井政博さんもこの間、同じ話をしてたよ。3D酔いするのは、思ってるよりも速いとか、思ってるよりも遅いとかっていうときだって(「3Dゲームで酔う場合」-「桜井政博のゲーム作るには」)。

しぶ ぼくはすぐゲーム酔いするから、自分に関しては絶対に無理だろうなって思うけど。でも酔わない人は酔わないし、慣れる場合もあるはずだよね。げんに、コントローラーの場合でも、慣れるまで「コントローラーを動かしている」という感覚があるけど、慣れてくると直感的に操作するようになって、自分が何ボタンを押してるかって言語で説明できなくなるよね。そういう風に慣れていくことは可能なんじゃないか。「自分がこう思ったときに/こう動く」が最初はずれてるんだけど、何回も繰り返していくうちに自然に馴染むとか。上下逆転メガネも脳がすぐ補正するという実験があったはず。人間の適応能力なら、意味不明な世界でも慣れることができるかもしれない。

八角 あとは、それまでなかった新しい動きに慣れることはあるんじゃない。スマートホンの「スワイプ」、つまり押しながら動かすみたいな、あれは新しい動きだろうね。ページをめくるのと一緒だから直感的ではあるけど、昔はそれがデバイス上の問題でできなかった。よっぽど前の状態、つまり下向きのボタンをトントントントンって押し続けるという動作のほうが不自然。もちろんそっちはそっちで慣れてるから不自然とは感じないわけだけど。

しぶ それはむしろ、デバイスの制約上不自然な動作だったものが、より身体的なものに近づいたという例になるのかな。

メタバースで「変な空間」は作れるか?

しぶ ともかく、メタバースが最大限ゲームを参考にしたところで、それほどめちゃくちゃな世界を作ることができない、と結論づけたいんだろうけど、ん〜、ぼくはそれでも、ゲームならもっと色々と変なことができそうだと思ってしまう。空間の方を主体にするとか……。

八角 空間の方を主体にするってのは?

しぶ うーん、視点を切り替えるなり、複数のカメラを同時に見るなり、同時に1地点にしか存在できないみたいな制約を外すなり……。

八角 それは処理できる情報が増えるっていうだけのことだよね。

しぶ まあ確かに、別に人間じゃなくなるわけじゃないね。カメラの比喩だから現実世界の比喩であることに変わりないし……。じゃあ、あれは? 「上から出ていったら下から出てくる」とか「左から出ていって右から出てくる」みたいな、空間の繋がり方が変わっているとか、これなら酔いはしないよね。

八角 ああ、ドーナツ型の世界の話ね。よくあるやつ。でも、場所を地図で把握できないと無理じゃない? 世界として成立しなくない?

しぶ ん〜、でもまあ、そんなこと言ったら、地球は球面だけど、平面の地図で近似して成り立ってるわけだから。別にローカルに地図が作れれば全体の地図ができなくてもいいよね。

八角 それは、「世界は天動説ではなく地動説だ」と理解していても、我々が生きている空間だとどう考えたって地面は動いていなくて空は動いているように見える……という話と同じだよ。違和感がなければ差分がない。「そういう風に動く」「そういう風になってる」っていうだけの話。存在論的に変わってたとしても、認識論的には何も変わらない。

ここから先は

5,076字

¥ 100

この記事が参加している募集

#メタバースやってます

1,801件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?