自己紹介2

親の紹介で車関係の工場に入社しました。
大手の会社だけあって、若い同年代の人も多くて常に緊張していました。

仕事も人の目線が気になって手がつかず、常に不安、緊張、恐怖感を感じながらの毎日でした。

仕事での苦しさを紛らわすために、お酒の量もだんだんと増えていきました。

仕事での早退や欠勤も目立つようになり、苦しさを紛らわすために早退して、近場の公園で昼間からお酒を飲んで、気がついたら夜だった事もありました。

人は怖いけど、常に寂しい気持ちで毎日を過ごしていました。

1人で飲むのも寂しくて、ある日、家から近くのスタンドに行ってみました。

そこでお酒を飲みすぎて、急性アルコール中毒で病院に運ばれたのが最初です。

迷惑をかけたな、と次の日にスタンドのお姉さんたちに謝罪に行ったら、「大丈夫だった?すごい心配してたんよ」と思わぬ声をかけてもらいすごく嬉しかった事を覚えています。

それからちょくちょくそのスタンドに飲みに行くうちに、そのお姉さんを好きになってしまいました。

しかし相手は客商売。
優しい言葉をかけてはくれるのだけど、いくら好意があっても実らぬ恋。

それから徐々にお酒の量も増えていき、心療内科でもらった精神安定剤を1ヶ月分、大量のビールとともに飲んで倒れました。

命は取りとめたものの、体が冷たく腐っていくような感じの副作用がしばらく残りました。

それからというもの、お酒と精神安定剤を同時に摂取しては救急車で運ばれるということが何回もありました。

お酒を飲んでは街で暴れ、警察や救急の方たちにも何度かお世話になりました。

飲酒を制御できなくなり、強制的にアルコールと薬物専門の精神病院へ入院させられました。

最初は閉鎖病棟へ入れられたのですが、あまりに暴れるため、身体拘束をされ、一切身動きが出来なく固定されました。

苦しいのと身体が自由に動かせない事で脳みそが弾け飛ぶほど苦しく、叫びました。
それから注射を打たれ、すぐにコロッと意識を失いました。

それが最初の入院です。
入院中にいるはずもない所から人の声が聴こえたり、アルコールの影響による幻聴も聴こえたりしました。

先生の診察で、初めて自分がアルコール依存症だということ、現代の医療では一生治ることのない不知の病だということ。
生き残るためには断酒しかないこと。

それを聞かされたとき、余命を宣告されたようなショックを受けました。
本当にお酒をやめて自分が生きていく事が出来るのか怖かったからです。

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