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「あああもう自分ダメ」って責めてしまう時

どうもこんにちは。皆さん、今、どんな気持ちで生きてますか? 

今回は、どうしても自分を責めてしまう時にどうやったら復活できるのか、ということについて語ってみたいと思います。

言われた仕事ができない時、役割を果たせない時、それによって周囲に迷惑をかけてしまっている時。たぶん、多くの人は「なんで自分、こんなにダメなんだろう……もう存在自体消えた方がいいわ」とか「20メートルくらい穴を掘って入って籠もりたい」とか「全てを捨てて南国に行きたい」とか考えて自分を責めてしまうんじゃないかと思います。

私も何年も前から、絶賛自責の念に駆られ中で、今年に入ってから酒と心療内科の先生にだいぶお世話になっていました。

そんな中。先日、私の元にとある取材案件が入ってきました。

一部の病院には、入院中の子どもたちが院内で勉強をする「院内学級」というものがあります。そこで教師として勉強を教えながら、「ホスピタル・クラウン(道化師)」と呼ばれるユニークな手法を取り入れて子どもたちの心の傷に寄り添う専門家にお話を伺うというもの。

メインの内容は「子どもたちとの接し方」だったのですが、私が絶対に聞いてみたかったのは、

「仕事や家庭、プライベート、様々な役割を担う大人がストレスに押し潰されそうになった時、自信をなくした時、自分を責めてしまう時、どう復活すればいいのか?」

ということでした。

先生、是非とも教えてください。媒体の読者に向けて……なんて建前を言ってる場合じゃない。私自身がもうギリギリ崖っぷちなんです。


先生:まずは、自尊感情について説明しますね。自尊感情には二つあって、一つは「できる」「分かる」という社会的自尊感情。もう一つは、自分を大切に思うという基本的自尊感情です。当然ですが、この基本的自尊感情が育っていないと、自分のことを大事にできないんです。だから、誰かに責められた時には「どうせ自分なんて」って考えてしまう。

だけど、今、僕が心配しているのは、基本的自尊感情が育っていないのに社会的自尊感情だけで勝負しようとしている子たちなんです。勉強でも親の言うことでも、できる、分かる。だから、すごく頑張り屋で「よい子」が多い。

でも、それを潰されないように必死なんです。社会的自尊感情は、例えるならば風船のようなもの。膨らみやすいけれど、脆いものです。一方で、基本的自尊感情はレンガのように地道に少しずつ積み上げていって成り立つもの。本当は、この基本的自尊感情がしっかり構築された上で社会的自尊感情がふわーっと乗れば、少々の問題が起こっても大丈夫なんです。自分は家族から、仲間から愛されている。ちょっと失敗しても、自分は変わらず大事な存在なんだと。

でも、ベースにある基本的自尊感情が育っていない人たちはどうなるでしょう。上に乗っかっている風船のような社会的自尊感情を膨らませて、一生懸命誰かと比べて、順位を気にして勝負している。すると、社会的自尊感情を潰されるのが怖いので、苦手なことに近づかないんですよ。自分の実力よりももっと上のことにチャレンジしようとしないんです。だから、そういう子どもたちは、「これをやってよ」と言っても全力で「嫌だ」って言います。それは別に、やることが嫌なんじゃなくて、自分ができないことを自分で見つめなきゃいけないことが嫌なんですよ。

そういう子どもたち、大人たちに、基本的自尊感情をどうやって育てていけばいいのか。

一つは、「褒めるよりも認める」。もう一つは、その人が「今」感じている感情を、「大事だよ、それでいいんだよ。そのままでもあなたは素敵な存在です」「今のあなたが失敗しようと、あなたのことを大好きだよ」と言ってくれる人間が側にいることです。

でも、みんなこんな風に言われるわけです。「もうちょっと頑張ればできるんじゃないの」「最後まで諦めちゃダメだよ」と。でもそうすると、できなかった時、分からなかった時には自分のせいになるんですよ。多くの人たちは、そんな教育を子どもの頃からずっとされてきている。そこに適応できなかった人たちは、基本的自尊感情が育っていないので、もう一度、そこを育て直さないといけない。

じゃあどうするのか。それは「共有体験」です。一緒に同じことをやって、その時の感情を一緒に味わうことです。大事なのは、先ほども触れましたが、「褒めるよりも認める」こと。「すごいね、できたね」よりも、「おおっ、やったじゃん。正直、できないと思ってたんだけど」とか。上手くできなかった時も一喜一憂しないで、「失敗することもあるよ、大丈夫」と。上手くいかなかった時にどう対応してくれるのか、受け入れてくれるのかというところを、いっぱい渡してあげることが大事です。だって、基本的自尊感情が育っていない人は、人を信用できないから。「すごいね」って褒められても、「次は何をやらせたいわけ?」と捉えてしまう。


不登校の子どもについて親御さんたちに話す時に言うんですけど、不登校になった時は「スタート」じゃないんです。学校を休んだ日はスタートじゃなくて、その日はもう、ギリギリ「最後の日」なんですよね。

学校で嫌なことがあったり、ストレスを感じても、何とか友だちや先生、家族とコミュニケーションを取りながら、何とかだましだましやってきた。でも、もうダメ限界っていう日が、学校に行けなくなった日なんです。

それまでに3年かかったのなら、再び学校に行けるようになるまでには3年かかるはずなんです。だけど、そこに専門家が入ったり、クラスのみんなや先生、お家の人が理解してくれたり、その中で自身の力が溜まっていけば、3年が1年になり、半年になり、もしかしたら数日かもしれないんですよ。

傷ついて動けなくなった人たちは、何かが起きた時がスタートじゃなくて、そこまでにずっと培ってきたものがある。大人になってそうなってしまった方は、非常に根深いです。

その人が動けなくなるまでに20年かかったら、回復まで20年かかると腹を括って、ご自身も周囲も関わっていかないといけません。でも、大人は子どもよりも頭で理解する能力が高いので、それよりも短い期間で社会的に適応していくことは十分に可能です。根っこのところでは、その人を抱きしめてくれたり、力を溜めてくれたりする人が絶対に必要なんですけど。

時間はかかりますが、やることは基本的自尊感情をしっかり作っていってあげることだと思います。基本的自尊感情は、一度構築されてしまえばそう簡単に崩れません。ただ、積み上げていくには、一人では無理です。色んな人と繋がって、支えていかないといけません。大変な作業だと思いますよ。


──と、先生はこのようにおっしゃいました。

うつ病等の精神疾患により休職を余儀なくされている方、精神的にきついけど何とか仕事を続けている方。自信をなくして日々に押し潰されそうな方。どれくらいの割合かは定かではありませんが、結構高い割合でいらっしゃるのではないかなと思います。

大人になってから基本的自尊感情を積み上げ、自信を取り戻すというのは、気の遠くなるような道のりであるかもしれません。でも、積み上げる過程は、新たな自分を発見することに繋がるんじゃないかな。本当は自分は何を望んでいるのか。どんな生き方をしたいのか。何をしたいのか。そういう自分の本質を見つける大きなチャンスでもある、と私は思います。

他者の支えは必要だけど、自分では何もできないのか? 次回、セルフで自己肯定感を上げるためにどんなことができるのか、について考えてみたいと思います(私も自分で実験中ではありますが)。




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