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美術に疎いコピーライターが、おそるおそる「アートの対話型鑑賞」に参加してみた話。(後編)

「現代アートをオンラインで観る!アートの対話型鑑賞」と題された、絵画のオンライン観賞会。美術作品を見ながら参加者が感じたことを語り合い、作品に対する理解や世界観を深掘りしていく「対話型観賞」の体験レポート後編です。

前編はコチラ
美術に疎いコピーライターが、おそるおそる「アートの対話型鑑賞」に参加してみた話。(前編)

当日の音声(ポッドキャスト)も一緒にどうぞ(後編部分は23:15あたりから)
→  [spotify]「現代アートをオンラインで観る!アートの対話型鑑賞 #3」

今回鑑賞した三浦秀幸さんの作品

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前編のおさらい
対話開始から約20分は、絵の見た目に関する話題が中心。「ナスが眉毛に見える」「全体が福笑いのような顔に見える」「ナスは犬の耳で、涙を流している犬なのでは」「ピエロが泣いているようにも見える」「ナスの下の目のようなものは何だろう?ミミズ?ソーセージ?何かの種?」など。参加者の皆さんは描かれているモチーフに興味を示しつつ、探り探り作品の周辺を掘っているように感じました。

広がる解釈、加速する妄想。

対話開始から約20分が過ぎ、話題の軸がややファンタジックな方向に傾きつつある中、僕はどうしても作品の真ん中で握られた「糸(のような何か)」の話をしたい衝動に駆られていました。なぜパンツ一丁で糸を握っているのか。なぜ腹を出しているのに靴下は履いているのか。足元に転がるピーマンの謎。しかし、この穏やかな対話の流れを遮る勇気など僕にはありません。

とその時、少しだけ会話が途切れ、進行役の“ちょなん”さんから「別の視点でもいいので、何かありますか?」という声がかかりました。まさに渡りに船。僕はすかさず手を挙げて、この日初めてとなる発言を試みました。

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「僕は、真ん中に描かれている糸が気になっています。その糸は何なのか、その糸を上から見つめる人はどんな人物なのか。朝、パンツ一丁で起きてきて、パジャマからほつれた糸を眺める日々、そしてその足元にはかじったピーマンが転がっている、そんな荒んだ生活をする中年男の姿が浮かびます。上半身裸なのに靴下は履いている。ちょっと冷え性なおじさんなのかもしれません」。

それ、完全にワシやないかい。完全に自分と重ね合わせただけのプロファイル。と、そこにもう一人のおじさん参加者(失礼!)から援護射撃が。「そう考えると、この糸はデンタルフロス(糸ようじ)かもしれませんね」。すかさず僕も応えます。「かじったピーマンが歯に詰まったんですかね」。おっさん同士の美しいワンツーが決まる。この流れで場の空気がおっさんワールドに傾きかけたその時、危険を察知したのか、ちょなんさんから一つのタネ明かしがなされます。

「ちなみに、ナスの下の目のような部分、これはソーセージです」。ちょなんさんのナイスセーブによっておっさん世界に行きかけた流れが軌道修正され、議論はより内面的な世界へと進んでいきます。

「この絵を見る時の自分の心境によって、見え方は変わってくると思う。朝起きて、明るい光の中で今日も一日頑張ろうと思っている絵にも見えるし、もし自分が苦しい状況に置かれていたら、足元の白さや余白の部分がこの人の不安を表しているようにも見えるかもしれない」。

「私は、手のふっくらした感じから、おじさんではなく子供だと思いました。服が少し膨らんでいるのは、後ろから風が吹いて服がなびいているのかな、とか。赤、黄、緑の模様には、子供の無邪気さや可愛らしさを感じます」。

深く包容力のある意見、あるいは子供や風の存在を感じる美しい感性。嗚呼、私はなぜ、あんなにも得意気におっさんの四畳半ライフを語ってしまったのだろう。なんだか恥ずかしくなってきた僕を尻目に、対話は進みます。

「糸が、このワークショップに参加する時のちょっと緊張している自分の心境に重なって、最初は“緊張”という言葉が浮かびました。でもよく見てみると、そこまでピンと張り詰めていなくて、糸の柔らかさ、コットン系の素材なのかなとも思ったり」。

「涙のように見える点々から連想すると、ベースには悲しい気持ちがあるのかなと思う。なぜ悲しいのかを想像すると、まるで福笑いのようにバラバラになりそうな自分がいて、そのバラバラになりそうな自分を、真ん中の紐で必死につなぎとめているのでは」。

このあたりで開始から40分弱。さまざまな視点での解釈が生まれ、ファシリテーターのちょなんさんからも「そろそろ、この絵の主題が何なのか、読み解く材料は揃ったのかもしれませんね」という中締め的な言葉がありました。

明かされた秘密、一気に深まる理解。

そしてここで一つ、重要な秘密が明かされました。

「ここに描かれている人物は、美大に通う男子学生です」

この重大なタネ明かしをきっかけに、推理の解像度が高まり、参加者の妄想も加速します。

「美大生が、自らのパッションに従って作品を生み出そうとしている姿。静物画を描こうか、抽象画にしようか悩み、苦しんでいる。バラバラになっているものをなんとか一つにまとめて作品にしようとしている、そのモヤモヤとしている過程が見えて、愛おしさすら感じる」。

「美大生という視点で考えると、絵のまわりの色が滲んでいる抽象的な部分は、芸術を追求しようとする中で、まだ自分の目指す表現が定まらない頭の中のカオスを表しているのかもしれない。片や、足元に目をやるとナスやピーマンが転がっているような生活。手に持つ糸には、そんな芸術と生活がせめぎ合う境界線のようなものを感じます。それからもう一つ、美大生の視点では彼の葛藤を感じる一方で、絵全体を引いて眺めれば、福笑いや犬の顔に見えるという滑稽さ、そういう二面性みたいなことも感じました」。

「全体の色彩を見ても二面性が感じられる。絵の周りの強い色はパッション、しかし中心には白い空虚な感じ、ポッカリと真ん中が抜けていて、まだ何も見えていない。そんな印象を持ちました」。

「近くから見ると美大生の葛藤であり、引いて見ると顔に見えるという二面性は面白いと思った。他者の視点で引いて見ると、葛藤している姿そのものがひとつの芸術で、美大生自身がひとつの作品に見えるのかもしれない」。

「糸ではなく、髪の毛かもしれない。髪が伸びた美大生。または、彼女が部屋に落としていった長い髪の毛・・・」。

「皆さんの話を聞いているうちに、これは美大生の自画像なのでは、と思い始めました。自分が葛藤している姿と、それを客観視しておかしさを感じているような」。

すごい。参加者の歯車が一気に噛み合い出して、バラバラに並んでいたパズルが、次々とハマっていく感覚。ボヤけていた絵の輪郭がはっきりと見えてきました。対話の前半で探り探り材料を集めながら、その材料が出揃ったところで「美大生」というキーワードを出す。そのタイミングも絶妙だったと思います。いや〜、対話型鑑賞、面白い!

ここまでたっぷり50分超。前編からの文字数も6000字を超えてしまいました。。通常の対話型鑑賞は短い場合は15分ほどらしく、ここまで長い時間やるのはあまりないそうです。しかし今回は30分を過ぎたあたりから一気に面白くなったような気がします。長文になってしまい恐縮ですが、ここまで来たら、もう少しだけお付き合いくださいませ m(_ _)m

※ ポッドキャストの音声は、ここまでとなります。続きは、以下の記事でお楽しみください!

そして作家さん登場。

さて、ひと通り話し終えたところで、いよいよ今回の作品を提供してくださった作家の三浦秀幸さんの登場です。

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【アーティスト紹介】
三浦 秀幸 Hideyuki Miura
1994年 長崎県生まれ
2017年 尾道市立大学 芸術文化学部 美術学科 油画コース 卒業
2019年 尾道市立大学大学院 美術研究科 美術専攻 絵画研究分野 修了

長崎県に生まれる。高校生の頃から美術の道を本格的に志し、大学生活を尾道で送る。大学院修了と同時に長崎へ帰郷し、現在県内の中学校、高校にて美術を教えている。生徒に美術を教えている傍ら自身も創作へ取り組んでいる。自然を師とし、観る人々の心を楽しませるそんな作品をこれからも創っていきたい。
私の制作は日常が主題である。身近な生活あるいは日常の中での思いや感じたことを可視化し、キャンバスを通して観る人へ伝えていきたいと思っている。

ウェブサイト:http://www.setocole.com/hideyuki-miura
Twitter:https://twitter.com/oildw64pa4991

この日、三浦さんはZoomのカメラをOFFにして、皆さんの対話を聞いていたそうです。部屋の後方には、今回の作品もしっかりとスタンバイ。丁寧に参加者に対するお礼を述べたあと、三浦さん本人から作品の解説をしていただきました。(コチラの作品画像を見ながら読み進めていただくことをオススメします

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作品のタイトルは「My Life and Me…」
三浦さんが大学2年生の時に描いた作品だそうです。つまり描かれている人物は、大学2年生の頃の三浦さんだったというわけです。以下、三浦さんの解説が続きます。

作品の構想について
この作品のアイデアが浮かんだのは、ある夏のことでした。朝起きて、そのとき旬の野菜を使って野菜炒めを作っている時に浮かんだアイデアです。この食材を使って何か作品ができないかと考えているうちに、人の顔のように並べたら面白いかもという思いに至りました。野菜や肉(ここではウインナー)といった食材は、生き物からいただいた命。その生きている感じを出したくて、ウインナーに小さな生き物の足跡のような点々をつけたりしています。と同時に、全体のバランスを取るために手の下にも点々を付けていき、ちょっとしたイタズラ心も働いて涙の形のようになりました。ちなみに、点々は紙をちぎって貼っています。

大人でもあり、子供でもある。
手のゴツゴツした感じやお腹を見ると確かにおじさんっぽい一面もありますが、子供から影響を受けた部分も多くあります。当時、夏休みのボランティアで子供たちに絵を教える機会があり、そこで無邪気に絵の具を混ぜたり、墨を垂らしたり、紙をちぎって貼ったり、自由に創作を楽しむ子供たちの姿に感銘を受けました。そうした子供たちから得たものを自分の作品にも生かしたいという思いがあり、無邪気な気持ちに戻って描いた作品でもあります。

福笑いなのか、犬なのか。
もともと犬や福笑いを描こうと思って描いたわけではないので、それが何なのか、答えという形で断定したくはありません。絵を見てくださる方に、自由に解釈をしてもらえればと思います。とはいえ、最終的に自分で自分の絵を眺めてみて、確かに犬にも見えるし、福笑いにも見えるし、ひょっとこにも見えるな、という印象はありましたね。

「生活」と「芸術」について
人形浄瑠璃の近松門左衛門が説いた「虚実皮膜論」というものがあるのですが、芸術というのは、虚構と現実の狭間の部分にあるんじゃないか、そこに面白さがあるんじゃないかという考え方で、この作品でも、ゴツゴツした手やたるんだお腹という現実の部分と、ナスやピーマンが浮遊しているような虚構的な部分、そうした具象と抽象を組み合わせて面白みを追求した作品です。
と同時に、自分の日常を別の視点から眺めることによって、おかしみや不思議さを感じたり、そこに面白いことがたくさん隠されていることを感じるきっかけになればと思って創作した作品でもあります。

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緊張した面持ちで、訥々と一生懸命に説明する三浦さんの話に、皆さん静かに耳を傾けていました。ここで一旦、今回の対話型鑑賞は終了の予定時刻になりました。が、引き続き残れる方は残る形で、三浦さんへの質問タイムに。以下、質疑応答の内容を、いくつかピックアップしてご紹介します。

Q.真ん中の手や糸に込めた意味は何でしょうか?
じつは、この糸は最後に筆を止める直前に入れたものでした。ずっと糸がない状態で描いていました。最後に糸を入れた理由としては、全体の構図として斜めの線を入れたかったというのもありますが、糸は「結びつき」という意味を連想させるので、植物や生き物と人との関係や、人と人のつながり、そういうことを感じさせる要素として、最後に糸を付け加えました。

Q.背景の白い部分には、どんな意味や意図はありますか?
この作品を描く前は、私は風景画や人物画など、キャンバスいっぱいいっぱいに油絵を描いていました。しかし(何も描かれていない)キャンバスを眺めていて、キャンバスの白地も非常に美しいと感じ、この白地を生かすような表現にチャレンジしたいと思い、この作品では、なるべく余白をとるように試みました。

Q.今回の対話型鑑賞で、作家としての新たな気づきはありましたか?
「全体がピエロに見える」という感想をいただいた時に、自分自身の性格として、周囲の人や環境に合わせて会話をしたり対応しがちな部分があるので、そういう意味では、自分の中にはピエロ的な要素があるのかも、と考えさせられました。
また、「アンバランスさ」についての指摘をいただきましたが、確かにいびつで不安定な構図なので、アンバランスさが強調されていると思います。そうしたアンバランスさの中に、犬や福笑い、そして最終的には自分自身を投影した自画像になっている、そういうことを表現したかったのかもしれないと思いました。

「アートの対話型鑑賞」に感じた可能性

アートの対話型鑑賞、いかがだったでしょうか?
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

参加者の皆さんからは、

「以前、短めの時間で同じ作家の2作品を見比べる対話型鑑賞にも参加して、それも面白かったのですが、今回のように長めに一つの作品を見ると、誰かの発言に別の人が連想を重ねて展開が広がっていくのが面白くて、長めの対話型鑑賞はいいなと思いました」。

「今回ひとつの作品を長く見ることができて、すごく楽しかったです。皆さんの話を聞いて、そこから考えるということをじっくりと取り組むことができたので、そのモヤモヤと考えている時間がすごく充実している時間に思えました」。

「見る人の解釈と作者の意図は違うんだなぁと思って、興味深かったです」。

というような感想がありました。

個人的には、ひとつの作品をじっくりと鑑賞し、皆さんと一緒に妄想を膨らませていく過程がすごく楽しかったのと、これは、企業のグループ研修やチームビルディングなど、ビジネスの現場でも使えるなと思いました。企業のグループ研修って、最初にアイスブレイク的な自己紹介ワークなどがありますが、どうしても表面的で一方通行なコミュニケーションになりがちな気がします。そこで、そうした最初のワークに「アートの対話型鑑賞」を取り入れてみると、自然と心が開けて、お互いの人柄や感性を知ることができるのではと思いました。

ちょなんさんによれば、実際に、MoMAなどが企業研修をやっていたり、日本でも「対話型鑑賞」を研修に取り入れている企業もあるそうです。また、今回のイベントの案内文にもあるように、アートの対話型鑑賞は、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社、2017年)、「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」(SBクリエイティブ、2018年)、『教えない授業』(英治出版、2019年)でも扱われ、注目度が増しているようです。

というわけで、機会があれば(もしくは作って)、アートの対話型鑑賞を体験してみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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