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自炊の道はウェルビーイングに続く

「自炊は自分の食事を作る行為だけに留まらず、人生をより豊かにするための手段である」
これは私が今まで500人以上に教えてきて、じわじわと確信に近づいている自炊の効能です。

そんな大袈裟な!と思われるかもしれませんが、私は本気でそう思っています。

・別にすごくお金に困っているわけでもないし、友達もいるけど、どこか人生に不安がある
・食べることで幸せを感じてみたい(今はあまり感じられていない)
・なんで自炊からウェルビーイングまで話が広がった?
そう感じている方はぜひ読み進めてみてください。

コンビニ生活で満たされないのはなぜか?

私の料理教室にいらっしゃる方の中には、仕事が忙しく帰宅が21時を過ぎて、疲れ果ててコンビニで食事を買って食べるけれど「どこか満たされない感覚がある」と話す方がけっこういます。
疲れていて、作る気力がないからすぐ食べられるものを買って食べるのは、時間的・経済的に合理的な判断です。時間も節約できたし、あれこれ材料を買って中途半端に食材が余ってしまうこともない。お腹はいっぱい。でも「満たされない」。なぜでしょう?

きっとそれは自分が何かを食べたいと思う欲求がその時々で変化し、今食べたいものに当てはまるピースをなかなか見つけられていないからではないでしょうか。
例えばの話、昨日まですごく暑い日が続いていたのに、急な大雨で身体が冷えたとします。私ならそんな日は身体がじんわり温まる、具沢山の汁物が食べたいと思う。でも真夏なのでコンビニの弁当コーナーにはスタミナ系のお弁当や、冷やし中華が並んでいて、具沢山の汁物は見つけられません。
でも今日はもう疲れているから、この中から何か選ばないといけない。私ならカップスープのコーナーで豚汁を買い、おにぎり一つを買って帰ると思います。冷やし中華よりかは食べたいものを選べたと思うけれど、ベストアンサーではなかったと思います。

こういう時に、同じコンビニで売っている炒め物用のカット野菜、ベーコン、味噌を買って家に帰る。鍋に具材を入れて、水を入れて、沸いたところで味噌を入れたら今日食べたかったものにかなり近いものが食べられます。器によそうのが面倒であれば、鍋のまま食べたらいい。自炊をする選択肢があれば、こういう道を選ぶこともできます。

自炊は「今何を食べたいか」という本能的な欲求と向き合い、作りながらも「味付けはさっぱり?こってり?」「冷蔵庫に残ってるキャベツも入れちゃう?」など欲求と対話をして作り上げます。今の自分が必要としているピースに当てはまるものを自分で作る。この経験が増えていくことで、満たされる感覚は少しずつ強くなるのではないでしょうか。

自分の今の欲求にぴったりのものを作れるのが自炊

私は自分で食べたいなと思った料理が作れた時に自分の動物的な強さが1ポイントアップした感じがします。普段は理性的に頭で考えて生活しているけれど、自炊するときは本能全開になっても大丈夫。食材を触り、香りを感じ、おいしそうなタイミングを見極めて料理していると身体感覚が研ぎ澄まされていくような感覚があります。
「今自分はこれが食べたい→作る→おいしい!」と思える経験を積み重ねていくと、誰からも比較されない、奪われもしない動物としての自信が少しずつ培われていく気がします。

誰かによって用意された選択肢を選んで食べるのではなく、自分の身体が欲しているものから立ち上がっていくような自分の身体に根ざした料理。それはすぐ作れるようになるわけではないと思いますし、私も料理を作るようになって23年経ちますがいまだに「今日はこの味の気分じゃなかったな」と思うときもあります。でも、また明日もお腹は減るし、次のチャンスはすぐにくるのであまり落ち込みません。作れば作るほど、自分の食べたいものの輪郭がはっきりとし、それに対する答えを作る技術は上がるでしょう。

先日友人とこの話題について話していたときに、「自分で自分の欲望を理解して、満たしてあげることが幸せにつながる。誰かと比べない幸せは一番確実なもの。そんな確実な幸せを自ら作り出せる自炊ってすごいよね」と言われて「それだ〜!」と心底納得しました。

自炊は技術がなくても、資格がなくても今日からできる

衣食住で、衣は自分で作れるといえば作れるけれど現代社会で普段から自分の服を自分で作っている人は少数派です。住は理想の家を自分で作りたいなら国家資格が必要だし、誰かの手を借りるとしても土地も家も都内であれば何千万円のお金が必要です。
でも、どんな小さな1Kの部屋にもほぼキッチンはあります。食材も調理道具もスーパーですぐ買えます。1万円もあったら道具や調味料は最低限揃います。最初に作るのは、鰹節とみそをお椀に入れてお湯を注いだだけの即席みそ汁。スーパーでおいしそうだなと思った肉を焼いて塩で食べる。それくらいシンプルなものから始めるのが良いと思います。
料理は作ったらすぐ食べられます。そして食べたらその場からなくなって、また作れます。食べたものは、物理的に自分の身体を作ってくれるのです。

近頃ウェルビーイング、マインドフルネスなどの言葉をよく耳にするようになりましたが、それが何を指すのかは私を含めいまいちピンと来ていない人が多いのではないでしょうか。というのも、何によってウェルビーイングを感じるかマインドフルネスな状態になれるかは、個人によってかなり違って、具体的に定義したり比較したりすることは難しいのだと思います。

でも、自分がおいしいと思う食事を自分の手で作り出せていれば「マインドフルネス」を感じるでしょうし、それが日常的になればきっと幸せで「ウェルビーイング」と呼んでいいはずです。
自炊ができれば、1ヶ月に使える食費が一人で2万円でも4万円でもその中で工夫ができます。収入が今から多少減ったとしても、自炊の技術があればお財布と相談してなんとかすればいいかと思えるかもしれません。それは不安定な社会を生きる自分の人生から、不安を減らしてくれるでしょう。

誰にも見せない個人的な幸せを守ろう

ちょっと話がそれますが、今、私のブームは「化粧」です。半年前までは、朝化粧をするのが面倒でした。女性だから化粧くらいしないといけない、誰かに会うなら化粧をしていないと失礼になってしまうかもしれないと「他者の視点」を気にして、化粧を義務だと思っている節があったのです。人から見られているから「本当はやりたくないけど、やらないといけない」と思っていました。
けれどある時を境に、化粧が楽しくなりました。

化粧するのがちょっと楽しくなってきたら「今日はどんなメイクにしよう?」と自分の中に化粧をやりたい気持ちが芽生えていることに気づきました。今も他者の視点が気にならないわけではないけれど、主軸が自分に移って「自分がきれいでいたい。だからメイクする」という動機に変わりました。1日の中でやりたくなかったことが少しずつですがやりたいことに変わっていく。その日々を積み重ねることで幸せの総量が増えていくな〜と実感しています。

自炊に話を戻すと、自炊こそ誰からも見られなくていい行為です。家の中にまで人の目線を持ち込んでしまっては、しんどいですよね。日常のご飯の写真を撮るようになったのなんて歴史上で見てもここ10年くらいの話で、それもごく一部の人です。しかもそれをSNSに載せるのはその中からもっと少ない人たち。私も普段の料理をSNSに載せていますが、半分仕事だからやっているのです。載せているもの以外にも、他の人が見たら「変だ」と思われそうな組み合わせもたくさん食べています。
例えば今日の朝ご飯は昨日のみそ汁を食べた後に、今食べたいピーナッツバタートーストを食べました。誰かから見られていれば、その組み合わせはちょっとひかえておこうかなと思ってしまいそうです。でも私ひとりだけなので何も問題なし。「今食べたいものを食べられるのが、最高に幸せだ」と味を噛み締めました。

SNSにアップされている煌びやかな料理と自分の料理を比べても、すごく幸せになることは難しいでしょう。なぜなら、自分がおいしいと思えるかという「絶対的な基準」を誰かと比べても仕方ないから。料理は見た目も大事ですが、茶色ばかりの食卓も愛おしくてほっとすることは言わなずもがなではないでしょうか。自炊には比較も評価もされない、誰にも見せない個人的な幸せがあるのです。

自分がウェルビーイングな状態かどうかは、誰に決められるものではなくて、ごく個人的な感覚に基づいています。だからウェルビーイングを知りたい、そういう状態になりたいと思うなら、まずは自分の食欲を真っ直ぐに見つめて、食べたいものを作る「自炊」から始めるのがいいのではないでしょうか。自分の食べたいものが自分で作り出せて「不幸になる」わけがありません。自分で作り出した料理が、自身の身体と心を支えてくれたらこんなに心強いことはないですよ。

「自炊×ウェルビーイング」はこれから私の中で大きなテーマになりそうです。また感じたことがあればnoteに書きます。

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今日のようなテーマについて日頃はVoicyでよくおしゃべりしています。よかったら聞いてみてください。フォローもうれしいです!

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