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インターネットに出会えた喜び/良い会社とは?

発掘メール第二弾。

これは僕が前職を退任するときに送ったメールです。2013年5月にに書いたものです。いっとき流行ったブログの退職エントリーみたいなものでしょうか。すでに退職して6年も経ってしまってますが・・・

まぁ、新元号も発表されたし、なんとなく時代が変わる感も高まってきたので、平成の想い出として、また、令和時代に向けてのある種の決意表明として公開してみることにしました。

今、僕は会社をもっとネットやデジタルに対応していこうと考えています。ただ、ネットやデジタルを「悪い方向」で使うことだけはしたくないと思ってます。「悪い方向」ってのも曖昧ですが、なんとなくわかるでしょうか。例えば、一度、見た商品があちこちのページで表示されたり、SNSにポロリと保険とかについて呟いたりすると、いたるところでやたらと保険アドバイザーやら見直しやらの広告を見るようになったり、、、、そういうものが全て「悪い」とは言わないけれど、でも、それが嬉しい人はほとんどいないと思います。

テクノロジーの進化によって、色んなことが可能になって、それは素晴らしいことだとは思いますが、行き過ぎたテクノロジーは何か「気持ち悪さ」のようなものをもたらします。

僕(ら)はテクノロジーを、生活者との距離をもっと近づけることや、熱意や雰囲気を共有したりすることを支援するものとして活用したいと思ってます。決して「悪い方向」ではなく、社会や世界を少しでも良くするような、そんな使い方をしていきたいと思っています。「気持ちの良い」デジタルやテクノロジーの活用を考えたいです。

このメールには、まだネットが海のものでも山のものでもなかった時に、それに接したことの喜びだとか、インターネットが世界や社会を変えていくであろう予感に、その場に出会えたことの喜びが語られていて、青臭いけど、僕自身も忘れたくない気持ちだなぁと思いました。そういう気持ちを軸に、デジタル活用を考えないといけないなと思ったんです。

あと、「良い会社」について考えてることは今も全く変わってません。創業当時の想いと、その後の素晴らしい仲間との18年という「成功体験」が、今も僕の組織に対しての理想のベースになっています。

家業に戻るとき、僕が一番懸念してたのは、木村石鹸にはすでに何年も働く社員たちがいて、そこには僕が知らない、全く関与もしてない文化や風土が出来上がっていて、それは、前職の時の感じでいた心地よさや、信頼みたいなものとは全く違うものなんだろうということでした。

そこは、もう同じようには無理だろうという若干の諦め感みたいなものを持って、僕は家業に戻りました。

でも、今は家業の社員たちのことも、本当に信頼できる仲間だと思えるようになりました。正直、そんな風になれるとは思ってもみなかったけど、少しづつ新しいメンバーも増え、そしてベテラン陣とも意思疎通ができるようになってきました。

そんなこんなで、自分のポリシーみたいなものを改めて確認するという意味で、6年前のメールと向き合ってみたわけです。

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皆さん。

別に完全にいなくなってしまうわけでもないので、役員退任のご報告とか連絡でメールを書くつもりもなかったのですが、今日で今までの役割とは一区切り付く形にもなるので、いちおうご挨拶を。

副社長取締役としては最後のメールです。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

イー・エージェンシーは1999年の設立ですが、その前身となる創業会社の有限会社ジャパンサーチエンジンから数えると、この5月(2013年)で18年目になります。

18年って、考えたら、小学校入学からから大学卒業までよりも長い年月なんですねぇ。いやー、そう考えると、けっこう長いなーと改めて思います。

大変なことばかりだったけど、それを上回って有り余るぐらいに面白いことが沢山あった18年間でした。大学時代は、大学が終われば、辛い社会生活が始まるんだなと考えては、よくブルーになってましたが、それは完全に杞憂でした。

小学校から大学までよりも、もっともっと愉しい18年間でした。40歳を越えるまで、こんなに愉しく仕事ができるなんて思ってもみなかったのですごく幸せだったなと思います。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

きっかけは、甲斐さんからの電話でした。

(甲斐社長とはあえて書かず、従来からの親しみを込めて「甲斐さん」と書かせてもらいますね)

甲斐さんは、同志社プロダクションという8mm映画制作サークルの部長だったんですね。三年の時に、長年休眠サークルだった同志社プロダクションを再開させたわけですが、その再開したばかりのほとんど先輩も誰もいないサークルに新一年生として勧誘されてのこのこ入ったのが、ボクだったわけです。なんで甲斐さんとの付き合いでいくと、もう20年を越えるわけです。とても長い付き合いです。

その後、甲斐さんは大学を卒業して、公認会計士の資格を取ろうと就職浪人をしてて、その途中で、インターネットに出会ったわけです。1994年ですかね。まだ日本ではプロバイダーさえも数えるほどしかなかった時代です。

(いちおう甲斐さんの名誉のために補足しておくと、そもそも就職は大手流通に内定をもらっていたわけですが、今から考えられないですが当時血の気の多かった?甲斐さんは、その会社の人事と喧嘩して就職前に、内定を自ら蹴るという暴挙にでたわけです。そんな逸話は、また機会があれば甲斐さん自身から聞くと面白いと思います。)

で、甲斐さんは弟の大樹や、当時のサークルの仲間たちと、見よう見まねで検索エンジンづくりを始めたんですね。当時、アメリカでインターネットは凄いと騒がれ、いろいろなベンチャーが登場しはじめてました。リアルオーディオとかネットスケープとか。

その中で、自分たちでも作れるんじゃないか、出来るんじゃないかと唯一思えたのが、Yahoo!だったわけです。当時はまだ会社にはなってなく、当然、Yahoo!JAPANもなかった時代です。

その頃に、ボクがMacを持ってるということで、甲斐さんから電話がかかってきたんです。こういうサービス作ってんねんけど、一緒にやらへん、みたいな感じで。

ボクは当時、周りが就職活動に勤しむなかで、なんとか働かずに生きていけないかと、学生モラトリアム気質を引きずったまま、現実逃避よろしく、毎日釣りと麻雀と、家庭教師のバイトでのらりくらりと過ごしていました。

当然、インターネットのことも全く知らなくて、もっぱらMacは趣味でDTMをやってたぐらいだったわけですが、そもそもコンピューターを持っている人間は周りには少なく、そんなことから甲斐さんも、とりあえずコンピューターさえ持っていれば誰でも良かったというのが実情だったのだと思います。

インターネットが何かもよくわからないまま、なんとなく面白そうということだけで、特段やることもなかったので二つ返事で引き受け、次の日に大阪の日本橋(東京の秋葉原みたいなところ)に連れていかれました。

そして、よくわからないままモデムを買わされ、そこからボクのインターネットの世界への扉が開かれたわけです。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ボクは中学生ぐらいの頃から、ずっと自分たちの世代は、何事にも「遅れて」しまった世代だという劣等感みたいなものを感じてました。

中学の頃から60年代、70年代のロックやポップスに興味を持ち始めたボクは、自分が、なぜ、この新しい音楽が次から次へと生み出された革新的な時代に生まれられなかったのか、こういうムーブメントをリアルタイムで感じられなかったのかと考え、屡々すごく虚しい気分に襲われてました。

興味の範囲は、音楽から、当然、文化やカルチャーにも伸びて、70年代のヒッピームーブメントや、学生運動みたいなものにも憧れを抱くようになりました。
でも、当時の日本は、70年代の熱気みたいなものは全くなく(自分ではないように思えてただけなのかもしれないけれど)、軽重・軽薄というか、なんか上辺だけの安っぽい文化が蔓延してしまってるように思えたわけです。

また、大学に入る頃にはバブルも崩壊してて、バブルの一番愉しい時期は、高校生という時間もお金も全然自由にならない時に過ぎ去ってしまいました。

ここでもボクは、自分たちの世代は、何から何まで、一歩遅い、一歩ズレてる世代なんだなぁという、ちょっとした諦めみたいなものを感じずにはいられませんでした。

そういう負け犬気分的なものを大きく変えてくれたのが、「インターネット」でした。

今のようにネットが当たり前になり、生活の隅々までIT技術やネットワークが普及しようとしている状況では、あまり想像もつかないかもしれませんが、初めてインターネットに繋がった時の感動というのは、もうそれまで感じたことのないものでした。

この技術は明らかに世界を変える、文化を変える、ボクらの生活様式を変えていく。これは凄いことになるなぁと、ものすごくワクワクしたのを覚えてます。

この時、ボクは、自分たちの世代が初めて「間に合う」世代になるんじゃないかと思ったんですね。

ネットでの社会変化や生活の変化がこれから一気に押し寄せてくる。これはもうありきたりの喩えですが、当時は真剣にこれは「明治維新」並の大変革が訪れるんじゃないかと思ってて、自分がそこに20代の前半というもっとも良い年齢のタイミングで居合わすことができたということに、ボクは物凄く興奮したし嬉しくなったんですね。

明治維新を成し遂げた人たちの多くが若者だったように、このインターネットが引き起こす大きな変革の中心地に、ボクも立ち会えるというのは、なんとラッキーなことだろう。
自分たちの世代が、このインターネットを使って、社会を変えていく世代になるんだ。そう強く思ったわけです。

この時代の変化を最前線で見よう、どんな仕事にせよ、業務にせよ、こんな瞬間に立ち会えることはまずないだろう。たとえ会社が失敗しても、このタイミングを経験できるだけでもそれは幸せじゃないか。ボクはそんな風に思ってました。

若いからこそ、その可能性や未来に無謀な挑戦ができたのです。あの年齢のあのタイミングにインターネットと出会えたこと、その出会いへのチャンスをもたらしてくれた甲斐さんはほんとに感謝のしようもないです。

あれから17年、18年。いまだにネットはますます生活を便利にしていき、スマートフォンなどの登場もあり、より一層身近に、そしてより一層劇的に、ボクらの文化やサービス、生活スタイルに変革をもたらし続けてます。

劇薬も使いすぎると、効き目が薄れていくのと同じように、それがもうあまりにも早く、頻繁にあるので、ボクらは若干そういったことに驚かなくなりつつもあるわけですが、でも、はたと立ち止まってみれば、今もなおこの瞬間に、すごいことが起きてるわけで、その最前線にいられるというのは、実はとても幸せなことなんじゃないかなと思います。

ボク自身も、この18年間、時代が変わる、社会が変わる最前線でそれを見ることができ、また、そこに関与することができたのはとても幸せなことでした。

そういう現場から少し距離を置かなければならなくなるのは、正直未だに実感も沸かず、イメージすら持ちにくいのですが、やっぱり残念でもあるし、とても寂しく感じます。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

会社が出来たばかりの頃、仕事が少なかったということもありますが、よく「どんな会社が良い会社なんだろう」という話し合いをしました。

その当時、話をしたことで今でも自分の会社に対しての考え方として変わっていないのは、

「良い会社とは、一緒に働いていて愉しい仲間と働ける会社」

ということです。これ確か●●●さんがポロっと口にした言葉だったんじゃないかなと思います。

人生において仕事に関わる時間は物凄く長いです。そして、会社の人たちと過ごす時間というのは、もしかすると家族よりも長いものになるかもしれません。

であれば、一緒に仕事をして愉しい人たちと仕事がしたい。

仕事の中味よりも、誰と働くかを重視したい。

そんなことを話し合いました。

すごく青臭い、サークルノリの考え方かもしれないですが、実は、ボクは今でも、相変わらず、この「誰と働くか」ということが最も重要な価値観だと信じていたりします。

その後、随分経ってからですが、「ビジョナリー・カンパニー」という本を読んで、良好な企業が偉大な企業に飛躍するには、まず目的地を決めて、そこからその目的地に向かうバスに乗る人を選ぶ、という順番ではなく、まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、その後にどこに向かうべきかを決めるという法則が出てきて、やっぱりこれだっ!って、この考え方が強い確信に変わったのをよく覚えてます。

今、イー・エージェンシーを支えるメンバーは本当に素晴らしいと思います。物凄く魅力的な人たちが集まってる。仕事に熱心で真摯、そして仲間への思いやりに溢れ、ユーモアの精神もある。個性豊か、才能豊かな人たちです。

凄いのは、すごく幅のあるキャラクターが揃ってるところです。

「誰をバスに乗せる」というところから始めると、たいてい自分の意見を理解してくれる人、自分にとって都合の良い人を優先したくなって、似たような考えやキャラクターの人たちになることが多いのではないかと思うのです。
そうやって同質的な人ばかりが同じバスに乗ってしまえば、それはそれで、意外性や突拍子もなさみたいなものは築き難くなるでしょうし。

同質性と多様性のバランスはすごく重要で、どちらかに偏っても危険です。その点、この会社はここのバランスは絶妙だと思うんです。
同じ価値観やビジョンの共有は必要だけど、一方で、多種多様な考えやスキルを持っている人たちがどれだけいるかという多様性も、組織の強さには欠かせないポイントだと思います。

多様な人材、多様な才能、異端児的な人物を許容できるというのも、またこの会社の強味なんだろうと思うのです。これは事業のポジショニングだとか、事業モデル、選択と集中とか、そういうものでは作ることができない、他社にもなかなか真似ができないものです。

こんな人たちが集まる会社にできたというところでは、ちゃんと会社設立時に思い描いた良い会社の姿から、そんなにブレることなく実現できてきてるんではないかなと思いますし、そこだけは大声で自慢したいところでもあります。

インターネットの最前線にいられなくなる寂しさと共に、こんな素晴らしいメンバーとも一緒に仕事できる時間が少なくなってしまうという現実は、そのことを考えるだけでも、かなり気分が滅入るもので、未だに、自分の選択や決断が、それで良かったのかと逡巡させられるほどです。

いや、ほんとにね。ほんとに良いメンバーですよ。

いざ、会社を離れるということで客観的になればなるほど、それは身に染みて思います。

だからね、いつまでも、この素晴らしいメンバーで突っ走って欲しいなと思うんです。もしボクがまたこの会社に何らかの形でも帰ってこれたら、同じ気持や気分で仕事ができるメンバーそのままでいて欲しいなと心の底から思います。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

副社長というな立場ではありましたが、世間の一般の会社の副社長のような活躍ができただろうかと思うと、全然出来なかったなぁというのが正直な感想です。

ぶっちゃけ副社長という役職で何をなさなければならないのかがよくわからず、手探りの状態、模索しながらの数年でした。本来ならボクのような立場の人間が解決しなければならないこと、向き合わなければならないものに、ちゃんと向き合えてたかどうかというと、至らないところの方が圧倒的に多く、皆さんにはかなり迷惑をかけたんだろうなぁと、反省してます。

ボクは、コミュニケーションがそんなに得意な方でもないし、強い意志で強引にでも事を成し遂げるとか、そういう力強さがあるわけでもありません。デザインができるわけでも、プログラムが書けるわけでもない。

なんで、そもそも実はマネジャーとか経営者には向いてないタイプなんじゃないかと自分では思っていたんですが、そんなボクでも許してくれて、ついて来てくれたメンバーがいて、本当に幸せだったなーと思います。

ではでは、皆さん、さようなら&ありがとう。

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