見出し画像

自己がはじめた物語|本当の自己紹介 最終話

母から受け継いだ双極性障害


今なら母の苦しみを理解できるのです。

母にも、障害にも、感謝できるのです。

#双極性障害


どのようにして

この障害と向き合い、
鬱や躁と向き合い。

自己と向き合い、
家族や他人と向き合い

生きていくかを

人生に問われました。


私の人生を例として、

ひとつ、ひとつ
この命題を解いていきましょう。


気づいたときには、
感情や思考の制御が困難でした。

そのような状態を脳科学的に示すと


DMNが暴走している状態です。

思考は、
ネガティブな認知とともに

過去や未来に行ったり来たり

過去の嫌な記憶から
負の感情が爆発的に増幅し、

未来への不安から
極度の緊張状態に陥ります。


それは、

いまを生きていない

とも表現できるでしょう。

その時の私は、
正しく認知できている

つもりだったのです。

本能に、忠実に、生きることに
必死とも言える状態です。


実際には、ある事ない事
今までの人生で仕入れてきた情報を基に

勝手に解釈して、
勝手に認知して、

きっとこうであるに違いない

とネガティブ方向に自分を追い詰める

そのような思考が
自動反芻されることを、
止めることができませんでした。


人は五感から情報を得ますが、

脳はその膨大な情報を
処理しきれません。

よって、人の認知とは

今まで生きてきた経験から
予測を立てつつも、

五感の情報より軌道修正を
図るようにできています。

つまり認知とは、
人の思い込みからはじまるのです。

生きている時間が長いほど。


美味しいはずのご飯がまったく美味しくない

すごく単純ですが、
この状態に気づくことが
はじまりでした。

私の認知は、
ネガティブな反芻思考に制圧され

五感のひとつである
味覚から情報を得られません。

それだけではありません。


あなたも経験があるのではないでしょうか

・綺麗なはずの風景が視界に入らない

・楽しいはずの旅行が楽しくない

・気持ちいいはずの温泉が何も感じない

・寒さや暑さを感じない。痛みも


自己や自覚をキーワードとした
書籍を読み漁り、行きついた道のり。

・ネガティブな思考の自覚
・五感からの知覚

この二つを徹底的に鍛えることにします。

ネガティブな思考の自覚

ネガティブな思考は、
妄想や錯覚を生み出し
放っておくと、
やがて認知になります。

実際にないことでも、
その人にとっては事実になるのです。

だからこそ

事実ではない
錯覚のような思考

妄想するような思考遊び

それらを決して放置せずに、
湧いては処理していきます。


それでも親玉のような
反芻思考は簡単に止まりません。

スイッチのようにオフできたらと

エゴに翻弄されながら
幾度となく考えてきました。

その果てに

ボリュームのように
下げる方法がわかりました。


反芻思考の一因を
DMNの暴走と位置付けた上で、

意味飽和により、
活性化したDMNの働きを弱めていきます。


方法は、単純でした。

意図的に、脳へ意味飽和を誘導します。

勝手な憶測ですが、
仏教的なお念仏は
煩悩を抑えるべくして
作られたのではないか。

つまり、意味飽和により
脳への負担を強いることで、
煩悩の基となる思考を
抑制するようできていると

身をもって体験することとなります。


また、慈愛を感じる曲は効果があります。

ただ、一般的に
意味がわかる歌詞の曲は

すぐには意味飽和を
誘導することはできません。

よって、歌詞の意味が飽和するほど

何回も何回も、何回も。
繰り返し聴くのです。

歌詞を除くメロディーが
安らぎとセットで刻まれるまで。

安らぎを頭の中で
メロディーとともに再生できるまで。

ちなみに、アンカリング効果には
五感の情報とともに、
情動を記憶するという意味が含まれます。

意図的に、メロディーとともに
安らぎをインストールするのです。


五感からの知覚

・外からは季節を感じ、暑さや寒さを

・身体からは痛みを感じ、冷たさや温もりを

・口からは味を感じ、辛さや旨みを

・耳からは音を感じ、声や風を

・鼻からは香りを感じ、匂いや空気を

・目からは色を感じ、笑顔や涙を

そして呼吸を。

ひとつの感覚を
意識して感じていきます。

一点集中するのです。


例えとして、
水シャワーや水風呂は
わかりやすいでしょうか。

滝行のような過酷なもの
ではありませんが
思考を止める効果があります。

私は反芻思考の嵐の中でも、
思考を止めることができました。


エゴの肥大化

自己注目の発達した状態とも言えます。
なぜ、自己が、エゴが、発達し過ぎたのか。

きっかけはさまざまでしょう。

私の経験から、
ひとつ言えることは

生存本能や生存欲求を刺激したこと

刺激された生存本能は
生きることを優先しようと

アラームを鳴らしていきます。


脳と心体 革命大学さんの
記事が大変参考になります。

キーワードは扁桃体です。


自己がはじめた物語

当たり前のような表現ですが

お伝えしたいことは、
そうではありません。

肥大化したエゴ「自己」は
ストーリーテラーなのです。

エゴは人生の舞台監督なのです。

・自分は変われない理由

・自分は悪くないという意地

・病気だからどうにもならない

・生きてきた境遇が異常

これらを受け入れてしまうと
エゴには好都合です。

ただ生きることを優先できるため。

エゴが用意した

人生という舞台から

降りて欲しくないのです。


本当に変われないのでしょうか。


私は、そうは思いません。

諸行無常

すべては変わり、
生まれては、やがて朽ち果てます。

すべての生命はこの事実を
理解しています。

では、エゴが用意した舞台に
固執する意味はあるのでしょうか。


私は、この障害を受け入れて
それでも変わろうと思います。

朽ち果てる前に、
できることをしようと思います。

生きることを
優先してきたエゴに感謝をして。


有り難うございました

「スキ❤️?」「キライ🙅‍♂️?」


有り難うございました!


▼ 1話はこちらから


この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

サポートなんてダメよ❤️