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カサブランカとマリアさま

むかしむかし、イエス様がお生まれになったお話。

わたしには年長(5歳)のひとり娘がおり、キリスト教の幼稚園に通っている。
キリスト教の幼稚園では比較的定番らしいのだが、年長になると、クリスマス頃に、聖劇の発表というのがある。
いかにも園児の劇という幼いものではなく、受胎告知からキリスト生誕を再現した、めちゃくちゃシリアスで緊張感のともなう、ヘビーな行事だ。
年長になったら、本当にあんな難しそうなことするんかいな? と、入園からずっと疑っていた。
疑うなよという感じだが、信じきれない。
信じきれないまま、あっという間にむすめは年長になり、むすめの配役は聖母マリア様だった。
えええ主役じゃんどうしようと、動転した。
むすめは物怖じというものをまったくしないが、わたしはすぐに物怖じする。
結果、むすめは堂々とマリア様役をつとめあげ、おかげで親のほうがたいへん良い思い出になったのだが、それにしても面白いものだ。
わたしはいつも地味な裏方なのに、むすめは何かとすぐに主役を張ってくる。

大天使ガブリエルからの受胎告知、マリア様の扮するむすめは、白い百合の花を受け取った。
無信心なわたしは何も知らず、ハテむすめが持っている白い花は何だろうと思って観ていた。
後に調べてみると、百合はキリスト教で意味のある、大切な花なのだそうだ。
知らなかった。
そしてふと、クリスマスイヴの直前に思いついて、家に白い百合を飾ろうと思った。
クリスマスケーキを買った帰りに、夫におねだりして、花屋に寄ってもらった。
昔プレゼントした薔薇の花だって、1本600円くらいだったんだ、百合の花なんかで良いのか、買ってやると言われた。

花屋の冷蔵ショーケース、百合はあったが、蕾ばかりだった。
今日がもうクリスマスイヴなのに。もうケーキも買ったのに。
店員さんに、白い百合を今日からすぐ飾りたいの、と声をかけた。それならこちらはいかがですか、と、奥から持ってきてくれた。心なしか少し得意げな表情で。
目を見張るような大輪の、それはそれは立派な、純白のカサブランカ!
思わず見惚れるわたしを見て、これをください、と即座に言った夫は、会計で目玉が飛び出そうになってた。

おめでとう マリアさま しあわせなかた
あなたはもうすぐおかあさん
かみさまのひとりご
うまれるでしょう

咲いているのは一輪、ほころびそうな蕾が三つ。
むすめと二人、聖劇で歌った歌をうたいながら、大切に水を換えながら、毎日ながめた。
一輪、また一輪と、むすめの頭ほどもありそうな花が咲いてゆき、豊潤な香りが部屋じゅうに立ち込めた。
こんなすごい花が咲くなら安いものだと、夫が言った。

むかしむかし、イエス様がお生まれになったお話。

わたしはクリスマスなんて、幼い頃を別にすれば、38歳になった今まで、ぜーんぜん、好きじゃなかった。
パーティーもデートも、どれも期待外れで、楽しかった思い出なんてないから。
1つだけ素敵な思い出は、イヴの夜に夫がプロポーズしてくれたこと。
だからクリスマスが好きになるかと思ったけれど、嫁ぎ先のクリスマスは、寂しかった。
クリスマスとか正月とかお盆とか、そういうのはその家その家に昔からの習慣があり、嫁いできた身には、それこそ予想も期待も外れっぱなし。
件の、ケンタッキーフライドチキンも、誰も食べたくないみたいだし。笑

だけど今年から好きになれそうな気がした。
クリスマスは、パーティーやデート、豪華なプレゼントや大きなケーキの日ではなかった。
ベツレヘムの馬小屋の、みすぼらしくも幸せな、小さな小さなクリスマス。
むすめが教えてくれた。
夫が祝ってくれた。
うつくしい思い出ができた。

来年からは、非日常や贅沢を期待するのではなく、やさしくしずかな気持ちで過ごしたい。
マリア様を演じる幼いむすめの姿を、わたしは何度も何度も、誇らしく死ぬまで思い出すだろう。親バカ甲斐がある。
あんなに立派なカサブランカでなくても良い。
来年も、その次も、あの愛らしくも頼もしい聖母マリア様を思い出すたび、ホリデーシーズンには、白い百合を求めて飾ろうと思った。
わたしは、幸せな母。

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