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人間欲のしわよせを受ける無実の死刑囚たち

帰国中に、外国人観光客が「ノォー!クレイジー!」と首を横に振っている姿が目に飛び込んできた。都内のペットショップの前だ。

その店ではティーカップ犬に100万以上の値段がつけられて販売されている。遺伝子組み替えまくりの人間にとって可愛くて育てやすいペットだ。久しぶりに見たペットショップに違和感を覚えた。

命に値段?その数字を見て、高い安いと口にする客たち。
どうぶつが文字通り「動く物」である商品として扱われている。

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世界のあちこちでペットのいる友人宅に泊まったが、買ったという話は一度も聞かなかった。
私が訪れたヨーロッパやアメリカのペットショップは、店内に里親募集やブリーダー情報のポスターが貼られているだけで、売り物はペット用品のみ。

しかも人間がスーパーでするように、ペットを連れていくと、そのフードが気にいるかどうかの試食までさせてくれる。
通常のスーパーでも、肉やパンコーナー顔負けのスペースがペット用品に割り当てられている。
街を歩いていても、ホームセンターに行っても、あちこちでペットが檻に入れられて売られているのは日本特有の光景だ。

海外にもペットショップはあるが、動物保護法でゲージの十分な広さやフードの質など細かく規制があり、ペットショップ=赤字前提の運営になるような国も多い。
結果、生体販売ビジネスの縮小に繋がっている。

戦後に平和主義を誓った日本は、今この瞬間もボタン1つで犬猫を殺処分している。年間8万匹を超えるその数は世界一である。
ガス室で吐血しながら亡くなっていく姿は、間違っても安楽死とは言えない。人間都合で金にならなければ簡単に殺されてしまう無実の死刑囚だ。

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かつてアウシュビッツで大量のユダヤ人をガス室に送り込んだナチスドイツ。約70年前に大量虐殺の過ちを犯した国が、今や価値観のダウンロードに成功し、殺処分はゼロである (人を襲う危険性のある徘徊犬に対しては射殺) 。

同じ頃、日本は特攻隊や人間魚雷という世界に類を見ない悲惨な戦法を生み出していた。
大日本帝国の洗脳軍事は、アメリカやイギリスに精神力で勝てると国民に信じ込ませたことにも現れている。当時、軍が特攻隊員に配っていた覚醒剤 (ヒロポン) の小瓶はワシントンDCの国立アメリカ歴史博物館に今も残っている。

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そんな精神状態の中でも、特攻隊員の遺書には「平和な日本になるように」と後世の平和への願いが綴られている。
彼らが命をかけて望んだ平和な日本は、世界一犬猫を殺処分している今日の日本に当てはめられるだろうか。
  
こんな話をすると賛否評論がでることも承知だ。
命を救おうと保健所から引き取っても、パピーミル出身の犬であればその仕組みに加担することになり、獣医が儲かるだけだとの意見もわかる。

だが物ごとはどこを見るかである。
心や魂が気持ちいいかどうか、自分が一番分かっているはずだ。
自らの感覚を素直に信じて欲しい。
お金や欲のために魂を売って人が幸せになれる時代ではないからだ。

ギリシャでは市役所がつけた首輪をしている (予防接種、マイクロチップ装着、去勢、不妊手術済み) 犬猫が外で自由に過ごしている。
ネームプレートには「アテネ市役所管理。勝手に連れて行かないで!」とある。

「四つ足の市民」と共存する考え方に市民が賛同しているのだ。
ギリシャは財政危機で日本なんかよりずっと失業率も高く、お金がない。

ドイツ・オランダ・フィンランドなどEU諸国では犬税もある。安易に飼うことを防ぎ、結果的に殺処分の抑制に繋がっている。

対する日本では、かわいい子犬の背後で、足の踏み場もない不衛生な環境で、太陽の光を見ることもなく子どもを産まされている親犬がいる。生涯名前もつけられずに。
動物愛護法第7条に「飼い主の終生飼養の責務」とあっても、アメリカやイギリスのアニマルポリスのような専門機関がないため、取り締まりがほとんど行われない。
形ばかりの愛護法はザルのように抜け道がある。

悪徳ブリーダーも仲介業者もペットショップも購入者も、資本主義の道具として扱われる犬猫の目には同じに写っている。
知らないじゃ済まされない。

「パピーミル(子犬工場)」
「キトンミル (子猫工場) 」

で検索して現実を知ってほしい。
商売の本質は「売れるから売る」だ。
買う人がいる限り、この商売は無くならない。

スウェーデンには、そもそもパピーミル自体が存在しない。どうぶつ保護法がものすごく厳しいためだ。

どうぶつに限らず、たしかに世界を見渡せば問題はキリがない。

カンボジアでは236人に1人が地雷被害で手足を失い、その光景は意識せずとも目に飛び込んでくる。
フィリピンのスラムには25万人のストリートチルドレンがいて、教育も受けられないま生きるために盗みを働く。
インドには、年収12円で働かされている子どもが4400万人いる。
アフリカやアジアでは、成人儀式で毎年200万人が女性器切除 (FGM) されている。反対の声も増えているが「伝統に先進国が口を出すな」でかき消されてしまう。
国連の世界人権宣言もむなしく、今も拷問は150カ国以上で行われている。

加えて、世界の70%以上の人は電話を使ったことがない。
7年前にフィジーを訪れたとき、滞在先の子どもは、ドラえもんの道具を手に入れたように私のiphoneに夢中になった。

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2012年の写真なので画像荒いです・・

インターネットを自由に使えて、銃弾の心配もなく、飢えの心配もなく、適切な賃金ももらえる、識字率99%の国は世界人口の10%以下。

日本人の立ち位置はこの10%以下にある。
つまり他の者を助ける余裕がある人も、このゾーン内の人だ。
まして、犬猫など人間以外の者に目を向けるとなると教養も必要である。言葉を使えない彼らの頼みの綱は人間しかいない。
 
それなのに日本人の若者の自殺率は世界一位。
SNSで見える世界で他人と比べ合いをし、
情報を積極的にとるよりゲームに夢中になり、
高学歴なのに人の気持ちを考えないネットいじめは後を立たず、
自分をどう見せるか・見られているかに気を取られ、
映えることや利益や名声を生み出すためにスマホにしがみついている。
肩書き集めと資格取得に勢をだし、人目を気にするのに隣の人には無関心だ。

日本人の立ち位置を理解して、周りを見渡して行動する役割がある。
目に見えている狭いコミュニティの中で病んでいる場合ではない。
 
できる範囲でいい。
この時代の日本に日本人として生まれた私たちには、意識することで救える命が山ほどある。

先日ご縁があって、どうぶつ殺処分ゼロを目指すどうぶつ愛護家の平山ガンマンさんの動物愛護活動に未使用のタオルを送らせてもらった。フェイスブックで情報を取れる恩恵を受けて。

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飼い主に捨てられた秋田県の明希は、殺処分寸前で新しい飼い主が見つかり、余命宣告を受けても1日1日をしっかり生きようとしている。
民泊運営の際に使われず私の家に眠っていた未使用のタオルは、微力ながら明希の包帯となり1日でも長く生き続けることに一役買うことができた。

直接連絡が取れて、助かった動物の顔が見れること。物質社会の中で叩かれることに屈せず活動を続ける人に私たちは簡単にアクセスできる。
私たちがわずかに感じるものや日本でパンも買えないお金が命を救えること。
ツールがないために、字が読めないために、情報を取れない人が世界に9割もいること。

日本の常識は世界の非常識だと、改めて実感している。

事実は、耳にも目にも心にも痛いことが多い。
本当に世の役に立つキャリアを積む人は、人の枠を超えてものを見て考えて行動できる人ではないだろうか。

「愛の反対は無関心」だ。
言うことを聞かないから、可愛くないから、引っ越しの関係、病気だから (お金問題) で捨てられるなら、人間の子どもは2才のイヤイヤ期でとっくに捨てられているだろう。
日本で年間30万匹がそんな扱いを受けている。飼育放棄など、自分の子どもにしないことはペットにもしない。
全ては繋がっている。

パピーミル撲滅!!!


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