見出し画像

もういい加減、他人の価値観で生きる事をやめて、自分の価値観で生きようよ!🤐

ああ!こんなに頑張って生きているのに、なんで生きづらいのだろうか?」と叫びたくなる今日この頃ですね。

30年前から日本の政治の最優先課題は、「経済!経済!経済!」。
政治家が経済を叫ぶたびに、
日本も国民の生活もドンドン衰退し続けている。

結果が悪いのだから、何かが間違っているはず!

でも、いつも同じ事の繰り返し!
「物が溢れ、金銭がたくさん稼げれば幸せになれるって?」
誰がそんなこと決めたんだろうか?

物も金銭も所詮は、生きて行くための手段のひとつじゃないの?

私達は、人生の目的も意味も考えずに
生活の手段ばかりを追い求めて一生を終わるのだろうか?

飢餓もなく、戦争もない日本人は、
少子化に見られるように、民族の遺伝子さえ残そうとしなくなって
来ている。

「裕福(金銭をたくさん得た人)になれば、幸せ?」
「高い地位につけば(出世すれば)幸せ?」
「他人より物量や金銭をたくさん持てば、幸せ?」
「受験競争に勝って、いい大学に入れば、幸せ?」
「楽して稼げる仕事につけば、幸せ?」
「みんなと仲良くすれば、幸せ?」
「他人に好かれれば、幸せ?」 「スキをたくさんもらえれば、幸せ?」
「他人と比べて、物も金銭もたくさん得た人が幸せ?」って
誰が決めたんだろうか?

資本主義社会が、利益を追求する社会だから
人の幸せも多量なものを追い求め
多くの金銭を稼ぐことが、幸せなんだろか?

でも現状をみれば、一部の人達だけが
多量の物を得て、多くの金銭を得て
多くの人達は、むしろ貧困になってきている気がするのだが。
生きがいを感じて生きている人が少なくなり
生きることは、息苦しいと感じている人が増えている気がするのだが。

では、一部の人が多量にものと金銭を独占して
物も金銭など生きる手段が得られない貧者は
何を始めるのだろうか?

窃盗、強盗、詐欺など他人から奪う事を始めるのでは
ないだろうか?いや、もうすでに日本ではそんな犯罪が
増えてきている。

私達は。子供の時から親や教師、文部省の価値観を
有無を言わさず押し付けられて育つ。
教育という名の洗脳。

勉強の楽しさも教えられずに
受験競争を勝ち抜くために、学校で塾で
問題をうまく解き、人よりも少しでもいい点を取る競争に
巻き込まれる。

スキでもない数学や物理、化学が人より少し点数が良ければ
「君は理系に向いてる」と言われ理系に進む。
スキでもなくやってるものが、多少人よりできたからといって
一生するべき職業を選ぶべきだろうか?

向いてると言われたはずの理系の職業もただただ
与えられた興味のわかない上司からの課題をこなすだけ。
苦痛以外の何物でもない。

親の価値観を押し付けられ
教師の価値感を押し付けられ
社会や職場の価値観を押し付けられ
いつの間にやら知らぬ間に
いつの間にやら自分を見失い
死と共に失うべき金銭や物、地位名誉を得て
幸せだと勘違いしているのではないだろうか?

是非損得相対効率の世界

アリストテレスは、
「幸福な人生とは、外に求める物でも運に頼る物でもなく
自分自身で決めるものである」と言ったのに😠
私達は、ご丁寧に他人に押し付けられた資本主義の価値観に沿って
人生を生きている。
時々「自分は、どこにいるんだろう?」と思い自分探しを
始めるのも納得できる。

幼子は、積み木をする時
親が手伝うのを嫌がり、他人が作った積み木には興味を
示さず、失敗しながらも自分で作ろうとする。
この頃には、別に評価されなくても自分でやる事の
楽しさを知っていた。

また、小さい頃には純粋に
「野球選手になりたい」
「サッカー選手になりたい」
「漫画家に成り立い」「歌手になりたい」と
笑顔で純粋になりたいものを主張していた。

ところが親が、「そんなものでは、容易に飯が食えないから
勉強して、いい大学に入り、給料のいい会社に入れ!」と
いかにも子供の事を考えているような助言を始める。

特に生活費に苦労した親ほど、自信を持って助言するのだ。
「まずは、お金だ」と。

受験競争も多くの子供達にとっては
同じようなものだ。
学びたいものがあって、大学や学科を選んでいるのではない。
就職に有利な大学、給料の良い企業に就職できる大学、
給料のいい仕事につける学科を選んでいるだけの事。

だから日本の大学生は、入学したら勉強を止めてしまう事が多い。
また、就職してもすぐにやめる若者が増えてきている。

若者に根性がなくなったのだろうか?
私は、そうではなく
今の日本の価値観が、幸せな人生を送る事とあまりにも
かけ離れているからだと思う。

少しでもいい給料を得る為に自分の良心の声にそぐわない
価値観に従って働き、ストレスを感じながら
逃げずに頑張る!これが正しい生き方だろうか?

それほどまでして生きて
退職したら、年金だけで生活できない上に
病気の原因を「高齢化」と言われ
検査数値を正常化させるためだけの
病気を治癒させる事もできない薬を死ぬまで飲み続け
少ない年金の中から医療費を支払う。

話は、変わりますが
皆さんは、最近星を見たことがありますか?
森に行って寝ころんだことがありますか?
(熊が出るから行っていない?)

何が言いたいかというと
自然に帰る時間が必要でないかと思うのです。
(動物としての人間の時間)

自分で考えて生きることを止め
他人の価値観で生きるようになると
息苦しくなりますね。

生きぐるしい世の中では、ペットショップが
増えるそうです。
それは、猫や犬は自分を生きているからです。
嬉しければ喜んで笑います。
怒ると悲しそうな顔をします。
可愛がれば、すり寄ってきます。
つまり、自分の感情そのままに生きているからです。
本能のままに、生きることを動物である私達は忘れ
自分を表現する事さえ忘れています。😂

感情や自分を殺して生きている私達は、
笑顔を見せることが少なくなってきています。(胸襟は開かない)

私達が忘れている事を思い出させてくれるのが
ペットだそうです。
作られた自分ではなく
自分のままに生きて表現する事!
それが癒しです。😁

今、世界中の若者の多くが
仮想現実の世界、ゲームの世界で生きようとしています。
容易に達成できない難しいゲームほど売れているそうです。
何故なら、何時間もかけて達成する達成感がたまらないのだそうです。
そこには、やはり「自分で何かを達成する喜び」を
まだ忘れていないのだと言う救いがあります。😊

平家物語でいう「諸行無常」とは
暗くて、儚いイメージがありますが
全ての物は、変化すると言う理(ことわり)を述べているのであって
変化する事が悲しい事ではありません。😶‍🌫️

全ての物が変化するのが「ことわり」なら
変化を怖れてはいけませんね。むしろ変化しなければならない。

他人から押し付けられた価値観で生きるのではなく
自分の価値観で生きるように、たとえ人生の途中だとしても
変化しなければならないと私は思っています。
そうしないと必ず、老後に後悔する事になります。
ありがとうございました。😁







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?