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「学んだこと」は置いてきちゃいけないと思った話

自分は仕事をしているときに「話を聞いてくれてありがとう」「あなたはよく話をちゃんと聞いてくれるね」と言われることがある。

「聴く」ということに関しては自分にとっては人生の中でも意味は大きかったと認識している。

もともと聞くと言うことを学ばせてもらったのは修行時代に出会った最初の直属の上司だった。自分はバスケットや体育会上がりで大きな声を出して挨拶していたり自分の言ってることを主張したり、いろいろと生意気なことをやってきていた。

実際に「聞く」「話す」ということの意味をこれっぽっちも理解していない状態で勢いでやっていたように思う。
今と思えばかなり恥ずかしい。

けれど全てが経験だったんだなぁと思う。聞くと言うことをきっかけになったのは上司の施術を受けている時だった。

上司からは「お客さんの話を聞いているか?」と言われた。
実際自分は答えられなかった。というか考えていなかった。

その時に上司からは「お前の話は誰も聞いていないんだよ」「お客さんは話を聞いてほしくて来てるんだよ」と言われたのがすごく響いた。

その時ちょうど会社で取り組んでいた一つ一つの言葉の意味を深堀りする「研究」と言うことをやっていたのもあり、自分は「聞く」と言うことをテーマに研究を進めた。

聞くと言う事はどういうことなのか文字の語源は実際に様々で、どういうことを意味しているのかということを自分なりに調べた。

「相手にしゃべってもらう」「丁寧に相槌を打つ」など、自分が全くできていないことばかりで正直情けなく恥ずかしくなったことを今でも思い出す。

そうか聞くとはこういうことだったんだ。相手に寄り添うこと、相手になりきることなど自分が想像もしていなかったことばかりが出てきてそれをまとめた。

実際に現場で実践してみたらお客様の反応はみるみる変わっていったのを覚えている。そして自分も今までにない変化をしていると実感していた。相手になりきっていくことで、「聞く」⇒「聴く」へ変わっていけた。

すごく良い学びになった事は覚えている。

全ては背景はあったと思うがこの上司からのアドバイスがなかったら自分はおそらく「聞く」と言う意味を理解せず突っ走っていたのかもしれない。

はじめは、この上司を「3年で追い抜く」と豪語していたが、足元にも及んでいなかったのだと思う。

もうその上司は当時の会社を退職し、地方で独立されたと聞いている。
会うこともない。

人はいろいろなことを思ったり考えたり、変わったり、人との関係もそれぞれで、もう私の話も覚えていないかもしれないし、特に重要と思っていないかもしれない。

けれど、変わらないものがある。
それは今でもその上司に「感謝している」ということ。

問題ばかり起こしていた自分であったがそういったきっかけを与えていただいたことや厳しいお言葉をいただけたことが、今も生きていて大切にしたいと思うことばかり。

自分もそういう、きっかけを与えられるような人間になれるようにがんばろうと思う。

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