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<書評>『チャクラ・異次元への接点』

『チャクラ・異次元への接点』 本山博著 1978年発行 宗教心理学研究所出版部

チャクラ 異次元への接点

 ユング心理学とかオカルト文学などをやっていくと、自ずとヒンズー教やヨガ、そして身体の中心を構成するチャクラの概念に行くつく。私は学生時代、その直前まで行ったが、実際に修行することは選択しなかった。そんな経済的な余裕はなかったからだが、そのうちにオウム真理教事件が発生して、この関連情報は社会的なタブーとなり、またこの分野で活躍した学者たちも消えてしまった。

 その後こうした傾向はあまり変わらずに推移しているようで、現在は統一教会を筆頭にした新興宗教が社会問題になっている。その一方で、当時はオカルトと同一視されたUFOと地球外生命体の存在が、アメリカ政府が公式発表するなどの進展があり、今や立派な市民権を得るようになっている。

 また、UFO以外のものについても、かつてのセンセーショナルな三面記事的かつ猟奇事件というイメージから、ユング心理学、シュタイナーの神智(人智)学、オカルト文学、ヒンズー教のヨガの概念などが、徐々に人類が生み出した偉大な思想(哲学)のひとつとして、徐々に正しく認識されてきたように感じる。

 そういう状況となった現在、私は改めて本書を手にしたところ、これは今こそ読む時期がきたと自覚した。既に、いくつかのユングの著作、シュタイナーの『神智学』と『教育術』、日本では無名の著者による『魔法入門』などを読み進めたことも、チャクラについて認識しする時期になったことを確信させた。

 なお、私は仕事の関係で、バングラデシュとインド・チェンナイ(マドラス)に合計6年間滞在していたので、ヒンズー、ヨガ、チャクラといったインド圏特有の諸概念に親しい環境を経験した。(今はかなり変わったと思うが、当時の)インド圏の、現世と地獄を混ぜ合わせて攪拌したような混沌とした生活の肌感覚は、チャクラというイメージを理解するのに相当に有益であったと思う。もちろん、住んでいた当時は、ひたすら「今すぐ、ここから逃げ出したい!」といつも願っていたが。

 ところで、冒頭に著者の日課が紹介されているのが参考になった。それは、毎朝沐浴斎戒した後、ヨガ(体操)を行い、その後坐禅(瞑想)をするという。そして、こうすることによって、身体中の「気」の流れが良くなり、健康を維持できているという。一方私も、定年退職後は、腰痛や足の痺れ等の改善のため毎朝体操をしている。その前に沐浴斎戒はしていないが、当然顔を洗っているので、それに近いと思っている。そして、あと足りないものは坐禅(瞑想)だとその後気づいた。

 私は加齢と長年の仕事のストレス及び心身の酷使により、脊椎管狭窄症(腰痛と足の痺れ)と指のリューマチに悩まされている。これを少しでも改善させたいと思って体操をしているのだが、これに加えて坐禅をすることにしたのだ。つまり「気」の流れを良くして、特に神経系の痛みを取り去ろうと思ったのだ。果たして、その効果は出てくるだろうか?

 と、ここまで考えていたとき、ふと20歳頃のことを思い出した。その時、あるヒッピーのような知人から進められて、毎日般若心経の写経をし、坐禅(瞑想)をしていた。自分では特に効果があるとは感じなかったのだが、ある時母が私を見て「お前の顔の周囲が光っているよ」と言っていた。私は「なんでもないよ」と気にしなかったが。それは写経と座禅を組んだ結果得られたチャクラ=オーラだったのではないかと、今になって気づいた。

 もちろん、長年の心身を悪化させる社会人生活で私のオーラはとっくに消えている。もしかすると、それが腰痛などの原因かも知れない。そして、これから体操と瞑想を続けることによって(なお、写経は書いたものの処分に困るので、今は読経だけにしている)、オーラを取り戻せて、腰痛が改善するのではないかと願っている。

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 さて、本書を読み進めていくうちに、チャクラの概要について、インドのヨギから英国の神智学者までの多様な説明を紹介していて、これでかなりの知識が身に着いていく。各人によって理解の差はあるものの、基本となるものは当然変わらない。さらに著者によるチャクラ体験とその効能、さらにチャクラが発する電気信号の測定結果などの紹介があって、真実味を増すことに成功している。

 もっとも、既に50年以上前に作成した機器の写真を見ると、産業革命期に製作されたおどろおどろしい金属機械のイメージに、どこか似ているように思える。そう漫画や映画で出てくる「マッドサイエンティスト(狂気の科学者)」の実験室のようで、それはまた20世紀の錬金術めいたイメージにもつながっている。もちろん、ここで使用する「マッドサイエンティスト」や「錬金術」という用語は、肯定的な意味で使用しているのだが。

 そういうわけで、本書を読めばチャクラとは何かがだいたいわかる。もちろん、チャクラの全容やその開発方法までわかるわけではない。そのためには、厳しい修行が必要なのだ。しかし、そうした概説の中で特に面白かった箇所は以下のものだった。

P.121(「第5章サッチャナンダの説くチャクラ、ナディ」から)
 ところでアナハタチャクラ(注:心臓のチャクラ)を目覚ました人は、自らの願望を此の世で成就できるが、その願望が善なるものであっても、悪なるものであっても等しく成就できる。ここに、アナハタを目覚ました人、これから目覚ます人が守るべき注意が重要となる。

P.123((4)アナハタチャクラが目覚めて生じる超能力)
 空気をコントロールできる。従って風をコントロールできるという。個人的でない宇宙的愛が目覚める。雄弁になる。詩的天才が開花する。願望、意志を現実の世界で実現する力がえられる。

 著者によれば、この万能の力を得られるアナハタチャクラを目覚めさせる人は、倫理的に高い人でなければならないと注意している。また、一つのチャクラを多用すると、それに関係した臓器、つまりアナハタでは心臓が疲弊・悪化し、死に至ると注意している。

 この箇所を読んでまっさきに考えたのは、倫理的に低い人が、例えば「俺はハーレムを作る」とか「世界征服してやる」とか「悪の帝王になってやる」などの願望を抱き、これを成就されたら大変なことになるだろうということだ。

 実際、例えばアドルフ・ヒットラーは、オカルティズムを通じてチベット密教などの影響を受けた(ハーケンクロイツは仏教の印である卍を借用した)くらいだから、たぶんこのように考えてアナハタチャクラを開発したのではないか。そして、アナハタばかりを酷使したため、晩年は心臓を含めた多臓器が悪化したのだと思う。この事例は、悲惨な最後を含め、倫理的に低い人が願望を成就させたことによる因果応報でもあった。

 文学を嗜む私としては、アナハタチャクラの効能の中で、「詩的天才が開花する」というのはありがたいものだと思う。一方私自身の考えでは、詩的天才は開花するとかしないとかいう(後天的に生じる)ものではなく、もともと生まれついた気質であり、ある時それに自分が気づいて積極的に使用するか否かの違いだと思っている。また、私のこれまでの実体験では、社会人として普通に生活するためには、詩的天才は障害となる場合が圧倒的に多いので、その利用はむしろ不要であった。

 当たり前のことだが、ビジネスや法律の文章に詩(的天才)は不要であり、それが有用となるのは芸術の世界だけだ。そして、世の中の大半の人の生活は芸術とは無関係に生きているし、むしろ芸術(や詩)と言う概念に反するあるいは縁遠いものが、一般的に現実的あるいは常識と言われている。もちろん、そういう社会では、芸術や詩の才能が、例えば「営業成績アップに結び付いた」、「業績アップに貢献した」、「良い国会答弁が作成できた」などとなる場合は皆無だ(私は、ある時上司から「こんな文章は、・・・らしくない!」と全否定されたことがある)。

 そのため、「普通の人」としてこの社会で生きるためには、詩的天才は心の奥底にそっと秘めておくべきものなのだ。そして、その一部のラッキーな人(つまり詩的天才を社会から容認された人)だけが、そうした芸術や詩の世界で生活できると思っている。

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 今、私は定年退職となり、「実社会」という生活からは縁遠くなった。そして、それによって得たものは、(もし私にあれば)詩的天才を開花(利用・公表)しても良い生活ができるということだ。そして、そうした生活は私にとって(少ない年金による生活の不安を伴うが)、自分の気持ちを、自分の感情を、自分の表現を、みんな自由にできる素晴らしいストレスフリーの環境だ。そしてこれが、チャクラを目覚めさせる条件なのではないか。いや、こういう環境にいること自体が、既にチャクラを自覚していることかも知れない。

 このような観点から考えると、チャクラは自由と翻訳しても良いのではないかと思っている。

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