グローバリズム in Japan~ちょっと違う解釈の可能性~

 その後、いろいろな情報を求めるにつれて、最近は真相に手が届いている実感がある。
 明確に理屈に合う、と感じることが増えてきた。

 戦争の歴史から、近年のコロナ、ロシアとウクライナの戦争など、どれもこのあらすじなら、違和感なく乗っかっている、と感じる。
※歴史が苦手だと感じていたころの私には、この「理解できている」感覚がなかった。

 そんな中で、なんとなく感覚的に日本だからこそ、誤解が多くなりそうな概念があった。
 「グローバリズム」は社会主義思想、という感覚だ。
 日本人の中にはちょっと違う視点で、このグローバリズムを見ている人たちがいるのではないか。

 人、モノ、金。
 すべてが自由に、グローバルに移動できると、何が起きるだろう。

 格差が極端になる。
 それも、貧しい国の人たちが稼ぎやすくなり、逆に富める国は貧しくなる中で、ごく一部の人たちだけが極端に豊かになる、という感じで。
 特に競争を強いる社会なら、競争の激化、騙し合い、格差の極端化が起きる。

 日本には、人類みなきょうだい、みたいな感じの考え方があった。
 いわゆる八紘一宇。
 こういう考え方は、世界の一般的な考え方とはずれている。

 だから、支配者が考えるグローバリズム(富の集中)ではなく、みんなが自由になれるグローバリズム、をイメージしてしまうのではないか。

 そもそも唯物論では、自由と平等は相反する。自由と平等とは、本来、同時に成立しない。
 日本では、少々違っていた時代があったらしい。自由であり、かつ戦わないので平等であれたから。
 ただ、世界で日本の常識が通用するわけではない。

 日本的なグローバル主義があるなら、平和的なその思想ごと輸出しなければ意味がない。

 もちろん、支配者たちは抵抗してくると思う。
 土地柄、なかなか受け入れない人たちも多いだろう。

 それに、日本の神話そのままでは、世界に受け入れられないので、グローバル化した形での比喩が必要になる、と私は考える。

 それでも挑戦できるかどうか、だ。

 

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